三ヶ月も前のことを、しかもあんなたった数分間の会話を一言一句覚えてるやなんて。 　あの場におったせいで俺の彼女やと勘違いされたハルポンは、そらよくは思てないやろうと勝手に決めつけてたんやけど。イヤな思いしたんなら、忘れたいと思て当然やろうと。 「…………」 「…………」 　お人好しなハルポンは、あの時だけやなく今も俺に泣きそうな目を向けてくる。 　どうしよ……。マジでそんなつもりやなかったのに。「なんですか、それ」言うて笑い合って終わりの話やったのに。 「ルイさん、彼女はいないんですか？　それか好きな人とか。ここだけの話にするんで、教えてください」 「えっ、なんや。恋バナでもすんの？」 　到着したエレベーターに乗り込む間際、そんなことをいきなり言われて俺はどう返したらええねん。 　最低かもしれへんけど、俺は彼女ってもんを作ったことがない。その場のノリとか一夜だけとか、そういうライトな関係しか持ったことがない俺に、彼女はおろか好きな人いうんもおらんねん。 　一目惚れしたヒナタちゃんには、衝撃的な形で玉砕してもうたし。 　せやけど今ここで否定すると、ばあちゃんの遺言状をハルポンが間に受けてぐるぐる悩み出すかもしれん。 　ここは……好きな人ぐらいはおるで、ってキツいウソついた方がええんやろか。 　いやまぁ……そうか。ハルポンを悩ますくらいなら、アイドルとしてあるまじき存在を匂わすのもアリかもしらん。 　手始めにいっちょ反応みたるか。 「さぁなぁ、どうやろなぁ。ハルポンはどうなん？」 「茶化さないで答えてくださいっ」 「痛い痛い！　二の腕つねらんといて！」 　ムキになったハルポンから二の腕を掴まれた俺は、ちっさい手で服ごと鷲掴みにされて大袈裟に喚いた。 　ハルポンの反応を窺おうとした、弓矢ルイのお茶目なジョークやん。本気で掴んできよってからに。 　……って、ハルポンは真剣なんやから俺がこんな態度じゃあかんな。 　ウソつくのも、誤魔化すんも、そもそも俺の性に合わん。 　いらん事を言うてもうた以上、悩ませんようにうまくハルポンの意識を逸らしてやろう。それしかない。 　まだ俺の二の腕を掴んでるハルポンを連れて、社長室があるフロアに降り立つ。 「彼女も好きな人もおらんよ」 　ヘラヘラせんと、俺はハルポンを見下ろしてこう言った。 「あ、あぁ……そうなんですね……」 「いやなんで残念そうなんか知らんけど、おらん方がええやろ。これからアイドルデビューしよかって時に、恋人なんか居てたら面倒なことになるやん」 「そ、それを言われると……」 　他のフロアとは廊下や壁からして趣きの違うそこで、ハルポンは立ち止まって俯いた。 　振り返ると一点を見つめて動かなくなっとるハルポンに、先を歩いとった俺は回れ右して近付いていく。 　すると、屈んで耳を澄まさんと聞こえんくらいの声量でハルポンが呟いた。 「……俺、デビューした時には聖南さんと付き合ってました……」 「あ〜そうか。そうやったな」 「……はい、……」 　ぐるぐるが始まってもうたんかとヒヤッとしたんやが、そうやなかった。 　トップアイドルとしては異例の〝恋人います宣言〟をしたセナさんの恋人は、もちろんハルポン。 　当時のことでも思い出してんのか、ほっぺた赤うしてモジモジしだしてんけど、ハルポンが考えてるほど二人の状況は悪くないと俺は思う。 　その宣言をしたことで離れたファンも少なからず居るんやろうが、CROWNの人気は衰え知らずやん。 　セナさんとハルポンの関係は、実績のない駆け出しのアイドル（俺とか）に恋人がおるんとは、訳が違う。 　新人のハルポンは別として、セナさんはもうそういう次元にはおらんって。 「や、やっぱり、アイドルに恋人が居るのはマズイ……ですよね？」 「でもハルポンとセナさんは特殊やん。こんな言い方したらアレやけど、男同士やし。先輩後輩やし。言うてもそうそうバレへんやろ」 「たぶん、そう……なんですけど」 「これが一般の女やってん？　マジで大変やから」 「……大変？　そんなにですか？」 「そうや。女はすーぐ暴露しようとするからな。ちょっと連絡怠っただけで目くじら立てて怒りよるし。それで感情爆発してタレ込みでもされてみ？　大スキャンダル、謹慎、引退にまでなったら、報じられた方は坂道を転がり落ちるようにして人生が急転換すんのやぞ。ハルポンとセナさんは、その点では同業者やから心配ないやろ」 「まぁ……」 　別のぐるぐる案件を提供してもうたと、俺は廊下の隅にハルポンを連れて行きながらそう捲し立てた。 　あかんな。言い方をマズった俺はかなり動揺してるらしい。 　俺にそういう存在がおったらあかんやろ、ってことを言いたかっただけなんに、またいらん事ハルポンをしょんぼりさせてまうようなことを言うてもうたんや。 　ただ少し、ハルポンの気持ちが見えたような気がした。 　ハルポン……セナさんとの付き合いでなんや不安を抱えてんのやろか……？ 「でも、じゃあ、結婚式はどうなるんですか」 「へっ？」 　真面目なハルポン。結局そこに話を戻すんか。 　俺の話題逸らしが通用してへんことを察すると、もはや潔く謝るしか方法は無い。 「結婚式なぁ。未来の嫁さんとのために貯金しとくわ。ハルポンはなんも考えんでええよ、って俺がいらん事言うてもうたからこんな話になってんのよな。……ごめんな？」 「い、いえっ！　俺はただ、おばあちゃんの遺言を無視したらいけないと思ったんです、咄嗟に！　でも俺は聖南さんと付き合ってるし、別れる気もないし、っていうか聖南さんと俺でも結婚式なんて挙げられないのに、ルイさんとも絶対ムリだし……っ」 　見上げてきた猫目が、うるうる潤んでる。 　無視したらいけないと思った── この一言で、ハルポンの真面目さというかお人好し具合がよう分かる。 　俺の軽率な言葉で、ハルポンをぐるぐる沼に沈ませるとこやった。ばあちゃんの〝遺言〟でこないな可哀想な顔させてしもたのが、ほんまに申し訳なくなった。 「……あーもう、ハルポン。そないな顔せんでくれ。マジでごめんやって」 「ルイさん……なんか、ごめんなさい……」 「おかしい。ハルポンが謝ることなんか一個も無いやろ。謝罪を撤回しなさいッ」 「い、イヤです！　おばあちゃんにも事情を説明して、謝ります！」 「アッ、それはあかん！」 「なんでですか！」 　そこまで生真面目やと人生生きにくいやろ、ハルポン……。 　線香あげに来てくれるんはええが、そんな報告されたら……。 「あんな、ばあちゃん、セナさんをテレビで観てるとき女の顔してたんよ。「ええ男やわぁ」言うてうっとりしててん。セナさんのことめちゃめちゃファンやってな。ハルポンがその恋人やって知ったら、ヤキモチ焼いて出てくるかもしれん」 「で、出てくるってどこから……っ？」 「仏壇からニョキッっと」 「えぇぇっっ！！？　こ、こわいです！！　それはかなりこわいです！！」 「あはは……っ！　まぁそういう事やから、ばあちゃんにも俺にも謝らんでええし、報告も要らん。これはあくまで、勘違いしたばあちゃんの笑い話。おけ？」 「お、お、おけ、です……」 「よっしゃ」 　不安そうに見上げてきたハルポンの頭を、俺はよしよしっと撫でた。 　これでぐるぐる考え込まんでよくなったやろか。 　素直に謝ったし、ウソもつかんかったから俺的には〝おけ〟やけど、ハルポンはどうや……と、撫でてた頭から手を離して、顔を覗き込んでみた。 　するとハルポンは、俺のごめんなの気持ちをすっかり笑いに換えやがった。 「あの……ルイさん」 「なに？」 「おばあちゃんに、俺がお線香あげてる時にニョキッと出てこないよう、出来れば……お願いしておいてください……」 「プッ……！！」 　……っ、あかん。笑てまう……！ 　ガチのトーンで言うハルポンがプンプンしだしてもいかんから、吹き出すつもりはなかったのに……俺は堪えきれんかった。 　今度はそっちで謝らないかんのっ？ 　ビビらせてごめんやん、って……？