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まずは二人に謝って、「解散だけは勘弁して」とお願いしてどうにか許してもらって、ひとまず気持ちを切り替えてから撮影だ! ……なんてのは甘かった。
ここが戦場と言うべき仕事現場だってことを、ケイタさんとトイレを出た瞬間に思い知ったんだ。
廊下には行き交うたくさんの撮影スタッフさんたち。みんな、突然現れたケイタさんの姿に驚きながらも、自分の仕事に追われて挨拶もそこそこ。
奥のスタジオから熊さん(あだ名の方がしっくりきちゃってる)の怒鳴り声が聞こえた時なんて、ただでさえ慌ただしいスタッフさんたちの動きがもっと早くなった。
そんな中、気合いを入れ直そうとしていた俺を人波かき分けて連れ出したのは、コンクレの先輩さんだ。
俺を探してたらしい先輩さんは、隣に居たケイタさんを見て顔が真っ赤っかになっちゃってたけど、とても話しかけるどころじゃなかったみたいで。
恭也たちが居る楽屋じゃなく、俺はその隣に連行されてすぐに着替えるよう言われた。
「もぉ〜っ! ビックリしちゃった! ハルさんに色々聞きたいことあるんだけど〜〜っ! 時間が無いから次の休憩の時に根掘り葉掘り聞いちゃっていいかしら〜!?」
「どうしたんですか、先輩?」
「あとで教えてあげるわよ。今は仕事に集中!」
「はーい」
ケイタさんを目撃してしまった先輩さんは、俺を試着室に促して衣装の着方を教えてくれながら、ちょっと笑っちゃいそうになるくらい大興奮だった。
まだケイタさんが来てることを知らない後輩さんは、さも不思議そうに興奮している先輩さんを見ていて、可笑しかった。
この先輩後輩さん、本社で一度会ったことがあるはずの恭也とルイさんを見ても、「キャーッ! イケメンが並んでる!」と黄色い声を上げていたくらいだ。ケイタさんに続いて、あと二人もイケメンが来るって知ったらどうなっちゃうんだろう。
これ以上驚かせちゃ悪いから、あらかじめ言っといた方がいいのかな……と悩んでる間に、休憩時間は終わってしまった。
「よぉし、ヘアメイクもOK! ハルさん、次も頑張ってくださいね!」
「頑張ってくださーい!」
「は、はい……っ! ありがとうございますっ」
親切で陽気な先輩後輩さんのおかげで身なりが整った俺は、三度目のスタジオ ─戦場─ へと向かう。
そこに入ってからは何にも気を取られちゃいけない。迷わず熊さんのところまで行って、指示を仰ぐ。
たった三十分で、学校の教室風から今時のカフェにセットが様変わりしていてビックリした。
熊さんと監督さんに促されるまま、俺はセットの中央で照明を浴びる。熊さんが俺の格好を上から下までじっくり見てることに気付いてはいたけど、カメラを回す直前に「うん、いい」と頷いてたのは知らなかった。
カフェのセットをバックに撮ったのは、社会人パターンとして用意されていた大学生風の衣装を着ての〝さりげない笑顔〟。
恭也が着た方がサマになりそうな爽やかなコーディネートで、学生パターンの時は無を追及された表情を柔らかくしろっていうのが、今回の熊さんの要求だった。
「── うーん、まだ固いなぁ。表情一つなんだけどなぁ。ハルくん、ほっぺたむにむにして表情筋ほぐして」
「ふぁい……っ」
監督さんより指示の多いプロフェッショナルな熊さんが、一度カメラから離れて俺のところまで来た。
こうやるんだよ、と自分でほっぺたをムニムニしてお手本を見せてくれたはいいけど、俺が笑えないのは表情筋の問題ではない気がする。
面白くもないのに微笑むなんて、演技のレッスンを一度も受けたことのない俺にはかなり難易度が高くて。
聖南が自分を〝大根だ〟って言ってた気持ちが、今頃になって分かった。
役になりきるのは難しい、セリフをミスらないことに集中してたら演技の方が疎かになる、そう役者を諦めた経緯を話してくれた聖南に、今なら力いっぱい「分かります!!」と同調してあげられるのにな。
……と言っても、セリフも無ければ特に〝演じること〟を求められていない俺じゃ、聖南と同じ立場だとは言えないか……。
「ハルくん、どうしても笑えないならボクの顔見てたらいいよ」
ほっぺたムニムニのあと、カメラに背中を向けて黙々と微笑む練習をしてた怪しい俺に、熊さんが再び声をかけてきた。
「えっ?」
「君のところの先輩でCROWNってグループいるでしょ。ボク、CROWNのセナに似てるって言われるんだ」
「え、……えぇっ!?!」
に、似て……っ? 似てる……っ?
聖南に……? え……?
俺はたぶん、誰よりも一番近くで、誰よりも長い時間を聖南と過ごしてる。もちろん、聖南のあんな顔やこんな顔も毎日間近で見てる。
だからちょっと……いや、どう見ても熊さんとは……。
「失礼だな、君。そんなに絶句しなくても」
「……っっ! すみません!」
まじまじと熊さんの顔を見ていた俺が全力で謝ると、スタジオ内に大きな笑いが巻き起こった。
みんなでそんなに笑っちゃ、熊さんが本格的に機嫌を損ねちゃうよ……! と焦りまくった俺に、当の本人からニッと笑いかけられて悟った。
熊さんは、俺が絶句しても、みんなが大笑いしても、怒った顔をしてなかった。
きっとこれが狙いだったんだ。
張り詰めたスタジオの雰囲気で妙な緊張感を覚えていた俺は、とても笑うことなんか出来なくて。
でもそれが、熊さんの冗談一つ(本気だったらどうしよう)でかなりスタジオ内が明るくなった。
熊さん本人も分かってるんだ。
あまりにストイック過ぎて、思い通りにならないからってみんなに強くあたっちゃうこと。それでスタッフさんたちが戦々恐々として、よくない流れになっちゃうことも。
「いけそうかい、ハルくん?」
「……は、はい……! がんばりますっ」
熊さんはプロだ。
確かに仕事にはうるさいかもしれない。だけどうるさいだけだったら、こんなに重要な仕事をいくつも任されない。きっとお呼びもかからないと思う。
ケイタさんが言ってた通り、この人は信頼できる人だと胸を熱くした俺は、その後無事熊さんの要求に応えて微笑むことができた。
カメラの向こうと目が合うたびに、熊さんから〝どう見てもセナに似てるでしょ〟って話しかけられてる気がして、笑いを堪えきれなかった。
それが失礼なことだとは分かってるんだけど、でも全然似てないんだから仕方ない。
「── はいカーット! OK! 次は十五分後にいくよ! 散って散って!」
監督さんより大きな声を出す熊さんは、まるでその場の責任者みたいだ。
カットの声がかかったと同時に、先輩後輩さんがセットの中にまで俺を迎えに来てくれる。
次の撮影までたった十五分しかない。次はサマースーツなのにっ! と不満を漏らす先輩さんと後輩さんに連れられて、俺は大急ぎの衣装替えに向かう。
この分だと、恭也とルイさんに謝る機会は撮影後しか望みが無い。
仕事だからしょうがないんだけど……心の隅っこにあるモヤモヤが取れないでいるのは少しツラい。二人にも同じ気持ちを抱かせちゃってると思うと、もっとツラい……。
──コンコン。
先輩後輩さんが準備に大わらわしてる中、響き渡るノックの音。
試着スペースで衣装を脱いでた俺も、誰が来たのか気になって手を止めた。
「まったく! 一秒も無駄に出来ないのに誰よ……えッ!?」
「キャッ……!!」
ノックに応じた先輩さんの小言が止んだ。
扉が開いた音のあと、後輩さんが小さく叫んだ。
カーテン越しにその反応を聞いてた俺は、もしかして……とそっと顔を出してみた。
すると目の前には、……。
「── あっ!!」
「よぉ、ハル。撮影だいぶ巻いてるみたいだけど大丈夫か?」
「アキラさん……!!」
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