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カーテンの向こう側から、バタバタと物音がし始めた。
次はこのヘアスタイルとメイクで、……と最終確認をしてる声が聞こえてくると、俺のネクタイをちょちょいのちょいで結んだアキラさんが微かに笑った。
まるでこの機会を待ってたみたいに。
「ハル、さっきケイタに会って聞いたんだけど」
「え、っ? な、何をですか?」
ついでにジャケットのボタンを留めてくれたアキラさんが、首を傾げた俺の背中側にささっと回る。ホントに衣装チェックまでしてくれるらしく、姿見鏡の前に立つよう言われた。
背後のアキラさんと鏡越しに目が合った俺は、ケイタさんからいったい何を聞かされたのか分からなくて情けないへの字眉になってたんだけど……。
── あれ……何だろう。アキラさん、笑ってる……?
アキラさんは珍しく、いつものポーカーフェイスを崩していた。
「俺らが来るって知ってバンザイしてたらしいな。それで恭也とルイが妬いてモメたんだって?」
「あ、あぁ……! そのことですか!」
「フッ……」
うわぁっ、話がぜーんぶ筒抜けだ……っ!
アキラさんの楽しげな表情を見る限り、きっとトイレで籠城してたことまで知られちゃってる。
恭也とルイさんが〝焼いて〟……っていうのはよく分からないけど、揉めてるのはホントだ。
まだ謝れてないから、解散の危機は脱してない。揉めたまんま。
ケイタさんがどういう風に言ったのか想像もつかないけど……アキラさんに知られると無性に恥ずかしい……。
穴を掘って埋まりたい……。
「二人には悪いけどな、嬉しかったよ。ケイタから聞いたかもだけど、俺もここに来るの躊躇してたとこあったから。考えようによっちゃ、俺ら満島あやと同じじゃん? もちろん〝アイツ〟含めて」
「……同じ……ですか?」
どうしてアキラさんやケイタさん、そして先輩後輩さんの手前濁してくれた〝セナ〟が来るのが、満島さんと同じってことになるの?
不思議に思ってよくよく聞いてみると、アキラさんの躊躇した理由はケイタさんとは少し違った。
「俺らが来るってことはイコール、明確な牽制になるからな。あっちにそのつもりが無かったら、俺たちは居るだけでマジでただの脅しになっちまう。それをハルが気にしてやしねぇかと」
「あ、あぁ……! 言われてみればそうですよね……っ。でも俺、そんな風には考えもしませんでしたよ……!」
そっか、アキラさんはそういう意味でここに来るのをためらったんだ……。
レッスンスタジオではすっごくカッコイイ事を言って俺を安心させてくれたけど、それと同時に満島さん側にも牽制になっちゃうって事まで考えられるなんて、アキラさんはやっぱり頼りがいのある〝お兄ちゃん〟だ。
俺は正直、そこまで考えられなかった。
聖南たちが言ってくれた言葉と、満島さんが見学に来るという〝事実〟がすべてみたいなところがあった。
「フッ、らしいな。だから俺は嬉しかったんだ。ケイタもめちゃめちゃ喜んでた。っつーか、ホッとしてた。それで恭也とルイがまた微妙なツラしてたけどな」
衣装の最終チェックを終えたアキラさんが、俺の前に回ってくる。ホントにレアな小さな笑顔付きで優しげに見つめられると、先輩後輩さんの言ってた「妊娠」説が信憑性を帯びてきちゃうな。
そんなわけないんだけど……とヘラヘラしそうになった俺は、無視できないセリフに「え……」と呟いてアキラさんを見上げた。
「あ、あの……っ! 二人、まだ怒ってそうでしたか……?」
「いいや? アイツらは別に怒ってるわけじゃねぇだろ。なんでそう思ったんだ」
「……そう、感じたから……」
「ふーん?」
説明してる暇はなくて、返事とは言えない言葉をポツリと溢した俺を、アキラさんは数秒間ジッと見下ろしていた。
そして何を思ったか、シャッとカーテンを開いて俺の背中を軽く押す。
鏡の前で待機していた先輩後輩さんの視線が揃ってこちらを向いたことで、俺はちょっとだけ居心地の悪さを覚えた。
「ま、ハルはちょっと気にしすぎなとこあるからな。それでいっつもぐるぐるしてひと騒動起こす。俺何回も言ったよな、ロクなことになんねぇんだから一人で考え込むなって」
「……はい……すみません……」
アキラさんは決して、怒ってるわけじゃない。
それは分かってるんだけど、何も先輩後輩さんの前で直接言わなくても……と、お兄ちゃんのささやかな意地悪に謝りながらも膨れてしまった。
だけど、さっきの熊さんの突拍子もない言動みたいに、このアキラさんの行動にも意味があったんだってことを、俺はその直後に思い知ることになる。
「── クゥゥ……!」
「先輩っ、変な声出てます!」
「しょうがないじゃない! ハルさんは可愛いしアキラさんは私のドストライクだし!」
「あっ、先輩はアキラさんが好みなんですね!? ドストライクなんですね!?」
「最高じゃない! いい事も悪い事も指摘してくれる先輩! しかもあんな優しい眼差しで! 私もこんな上司が欲しいわ!」
「先輩……「眼差し」だなんて。小説くらいでしか聞きませんよ……?」
浅い背もたれのついた椅子に座った瞬間、俺の背後でそんな会話が繰り広げられた。
薄いカーテン一枚じゃ、たぶん俺たちの会話は二人に筒抜けだったに違いない。でも説明するほどのことでもないし、時間は刻一刻と過ぎちゃってるしで……となると、アキラさんは俺をヘアメイクに送り出すしかなかった。
先輩後輩さんの人となりを信じたからなのかは分からないけど、本人目の前にしてアキラさんのことをドストライクだと豪語した先輩さんも、この先輩さんに懐いてそうな後輩さんも、間違いなくここにアキラさんが来たことそのものを受け入れてくれている。
だって、緊張しきりで俺のメイクと髪を直し始めた二人は、それを見張るように背後に立ってるアキラさんにもはやメロメロなんだもん。
それが分かってるから、アキラさんは俺との会話を大っぴらに聞かせてもいいって判断したんだ。
何たって今、〝一秒も無駄に出来ない〟から。
「ふふっ……」
「なんで笑ってんだ」
「アキラさんってば、居るだけでこんなにお二人をメロメロにしちゃってるから……」
「メロメロってなぁ……」
「あっ、あんまり見ちゃダメですよ! またお二人が妊娠しちゃいますっ」
「ハールー?」
「あぁっ、すみません! 生意気言いましたっ、ごめんなさい!」
アキラさんが相手だとダメだ。
鏡越しに「フッ」と笑ってくれたからいいけど、俺は無意識に甘えちゃってすぐ冗談を言ってしまう。
「ま、それだけ俺に心開いてくれてるって事だよな。良く言えば、な」
「そ、そうですっ。俺、アキラさんに懐いてるってよく言われるんですよ」
「ンなこと誰が言うんだ?」
無言の先輩後輩さんが高速でヘアメイクを仕上げてくれて立ち上がった俺に、アキラさんが興味津々で近寄ってくる。
「えっと、……」
「少し屈んでください」と言うと、セットしたアキラさんの焦げ茶色の髪が間近に迫った。
別に内緒話でもなかったんだけど、自分でも懐いてると思ってるアキラさんには、そんな事を平気で言えた。
「えっと、ルイさんと、聖南さんに、言われました」
「へぇ?」
「アキラさんは怖い人じゃないのに。あ、もしかしてドラマとかの印象が強いんでしょうかね? アキラさん、先週も二人殺してましたし」
「いや俺が好き好んで殺したみたいに言うなよ。犯人グループと銃撃戦になっただけな? ドラマ観てくれてんのは嬉しいけど、観るならちゃんと観てくれよ」
「観てますよ! CROWN三人が出てる番組は見逃せません! 全部録画してちまちま観てますよ!」
「お、おぅ、……それは普通に嬉しい。ありがとう」
「ええっ? あ、ど、どういたしまして……っ」
最後の方は、先輩後輩さんたちのことを言えないくらい、ヒソヒソ話じゃなくなっていた。
アキラさんは全然怖くない。
だってほら、こんなに優しく笑いかけてくれる。
役どころがお堅いものばかりだし、普段はほとんど表情が変わらない人だけど、まったく笑わないわけじゃないんだ。
おまけに長男力が凄まじい。
俺のことが心配だからって、十五分のドタバタ休憩の間中ずっとそばに居てくれたんだもん。
お兄ちゃんらしく世話を焼いてくれて、叱咤激励してくれた。
「頑張ってこい」って、最後に背中をポンポンと叩いてもくれた。
心の柔らかいところがジーンときちゃうくらい、優しい人だ。
「尊いわ……」
「はい、先輩。私も尊みの極みで胸が苦しいです……」
── 俺が出て行ったあと、先輩後輩さんが扉の前で立ち尽くしてこんなことを言ってたらしいんだけど、それを教えてくれた時もアキラさんはどこか嬉しそうだった。
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