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「メイクを落としますので、このままメイクルームにいらしてください。うちの社員もハルさんを労いたいそうですから」 「えぇっ、社員さんがっ? い、いえそんな……っ、お時間かかってしまってホントにすみません……!」  じんわりとした優しい気持ちに胸を熱くしていた俺のほっぺたが、ピクッと引き攣った。  そっか……撮影を見てたの、先輩後輩さんだけのはずない、か……。  俺は、コンクレの社員さんの前で三十分以上も「出来ない」ところを見せて、おまけに聖南が来てからは情けないことに涙まで流してしまった。  その一部始終を見てただろう社員さんと会うのは、気まずい以外無い。  バミリから動くのを一瞬だけ躊躇しながら、俺は両手で花束代わりのドーム型のケースを抱いて、とぼとぼと先輩後輩さんの後ろをついて歩く。 「まさかセナさんまでいらっしゃるとはね」 「満島さん、せっかくいらっしゃったのに近付くことも出来ませんでしたね……」 「それで良かったのよ。今回のCM、過去イチ完成が楽しみだわ」 「分かります〜〜!! あのハルさんの微笑み……! 可愛かったなぁ……抱きしめたくなっちゃいましたよ!」 「私は「抱ける」と思ったわね」 「先輩もですか!? 実は私もなんですよー!」 「何なのかしら、あのハルさんの守ってあげたくなるようなふわふわなオーラは……」 「分かりますぅぅ!!」  ……はぁ。  やっと肩の力を抜けると思ったのに、これから社員さんと会わなきゃならないなんて憂鬱だ。  二人がこんな会話を繰り広げていたとも知らないで、幽霊みたいに深く俯いて気配を消して歩いてた俺は、ネガティブの沼に入り込んでいた。  ── やっぱり満島さんにお願いすれば良かった。  俺を抜擢してくれたコンクレの社員さん達は、きっとそんな風に思ってる。  予定より早く撮影は終わったかもしれない。だけど内容が……〝ハル〟を起用して良かったと思えるものになってるか、ちゃんとあのリップクリームの良さを伝えられてるか、まったく手応えの無かった俺には疑問しか残らない。  普段何気なく観ているCMはどれも、どの現場とも大差ないほど大勢の大人が絡んでいて、そこには商品を宣伝するという欠かせないテーマがある。  決められた秒数の中で、いかに消費者に購買意欲を湧かせることが出来るか……それは、演者のイメージだったり演技だったりも加味されてヒット商品になるか否かが決まる。    今まさに、俺の背中には目に見えないプレッシャーがドーンッとのしかかってる状態。しかもそのプレッシャーは限りなく巨大なもの。  やるからには! とこっそり気合を入れてた俺には、ちょっと荷が重すぎた。  コンクレの社員さん達も絶対、そう思ってる。 「えっ……!?」 「えっ……!?」 「…………?」  底なしのネガティブ沼で溺れそうになっていた俺は、先輩後輩さんの驚愕の声に俯いていた顔を上げた。  二人は楽屋の扉を開けて二歩進んで立ち止まり、一点を見つめて固まっている。  いったい何にそんなに驚いてるんだろうと、扉に阻まれてその先が見えなかった俺は、ケースを抱っこしたままチラッと陰から覗いてみた。 「あ……」  覗いた先の人物と目が合うと、日頃からあまりにも見慣れているせいか〝なーんだ、社長さんじゃん〟だなんて軽々しく思っちゃったんだけど……。 「やぁハル。お疲れさん」 「は、はい……っ! お疲れさまです……!」  いやいやいや、〝なーんだ〟じゃないよ、俺!!  社長さんだよ……!! そこにデーンと仁王立ちしてるのは、大塚芸能事務所の社長さんなんだよ!?  近くまで来たからフラッと寄っちゃった、なんて陽気なセリフが聞こえてきそうなくらい、俺を見つけるや手を振ってくるお茶目な社長さんだけど、室内はとてもそんな雰囲気じゃない。 「ど、ど、どうしてここに……!?」 「業務が終わり次第ハルを労いに来ると伝えておったんだが、聞いていなかったか?」 「い、いえ……! 聞いてました! でも、ま、まま、まさか本当に来てくださるとは……!」  瞬間的に心の中で馴れ馴れしさを爆発させちゃった後めたさで、俺はどもりまくった。おかげでほっぺたを二回は噛んじゃって痛い。  そりゃあ焦るよ……。  だって社長さんは、その肩書きもさることながら顔もかなりおっかない。少し前に、聖南が〝取り調べ中の刑事みたいなツラ〟と例えてたのがピッタリきちゃうほどだ。  視線を泳がせてみると、コンクレの社員さんと思しきスーツを着た男性が三人、カチコチに固まって顔を強張らせているのが目に入った。  俺がここに来るまでの間、もしかしてコンクレの社員さんが社長さんの話し相手になってたのかな……。  聖南たちが居る隣の楽屋じゃなく、どうしてここに居るんだろう? という疑問は、わざわざ聞かなくてもすぐに明かされた。 「こんなにもスムーズに撮り終わるとはな。到着と同時にカットがかかって驚いたぞ。終了予定は十九時だったはず。一時間も巻いたのか」 「も、申し訳ございません……っ」  即座に中央の男性が深々と頭を下げると、両サイドの男性たちもそれにならった。  ひ、ひぇぇ〜! 社長さんがいつになくおっかない……!  何だかチクチクとした嫌味にも聞こえるセリフを、コンクレの社員さん達を見て冷静に言い放つ社長さんに、俺の体も縮み上がった。 「何故謝る? 素晴らしいじゃないか。初のCM撮影、かつプレッシャーをかけられた現場にも怯まず、瓜生の要求にもきちんと応えていたと聞いたぞ。さすがだな、ハル」 「えっ? あ、い、い、いえ……俺はそんな……っ」  コンクレの社員さんたちを前にして、「褒めてもらえるような仕事はしていない」と首を振るのもどうなんだろうと、言葉を濁す。  聖南のあとに社長さんが来るかもしれないとは聞いてたけど、たかだか事務所の新人アイドル一人のためにスタジオまで足を運ぶはずはないって……どこかで信じてなかった俺が悪い。  社長さんは、労うどころか直球で褒めてくれた。しかも、俺を庇ってるみたいに角が立つような言い方で社員さんたちを責めた。  それはたぶん、例のことを言ってるんだと思う。  カンカンだったCROWNの三人よりも、社長さんこそが一番憤慨してるように見えた。 「事務所の連中を引き連れて来とった満島には、早々に帰るよう伝えたからな。帰りしなに出くわすこともないだろう。……そうだよな?」 「はい! 満島さんと事務所スタッフの皆様には、撮影終了時点でお引き取り願うようお伝えしております! ま、誠に申し訳ございませんでした!!」 「私に謝罪をするくらいなら、はじめから見学など許可するな。大塚も甘く見られたもんだ」 「そっ、そのようなことは決して……!」 「ハルの気持ちを考えれば分かることだろう。現広告塔がスタジオに居座るなど……恐ろしかったはずだぞ、ハルは」 「はい、その通りでございます……!」 「うちだけじゃない。よその事務所に対しても二度とこのようなふざけた真似はするな。今回の事は、演者とその事務所に対し相当な失礼に値する。私の忠告をよーく肝に銘じておけ」 「大塚社長のお言葉そのまま、広報の橋本には重々申し伝えておきます!」  社長さんの静かな叱責は、その場に居たコンクレ社員さん達を震え上がらせた。  じわじわと近付いてく俺には優しげな表情を浮かべてくれるのに、社員さんたちへの一瞥が氷のように冷たかった社長さんが、やっぱり一番激怒しているということが分かった。  ……こわかった。俺も一緒に怒られてる気分になった。 「ハル、ご苦労だった」  ドーム型のケースを大事に抱えて縮こまる俺の肩を、社長さんがポンと叩く。  ビックリした……。  そんなはずないのに、社長さんが腕を上げた瞬間殴られちゃうのかと思った……って、俺はちょっと怯え過ぎだよね。 「あ、……ありがとうございます……っ!」 「うむ」  社長さんは、俺をビクビクさせるためじゃなく、労いに来てくれたんだ。  それにはいっぱい、感謝しよう。  たった今目撃したのは少し……いやかなり、夢に見ちゃいそうなくらいおっかなかったけど、おそらく俺なんかめじゃないほど恐怖を感じてるのは……魂が抜けてしまったみたいに遠い目をしてるスーツ姿の男性三人だ。

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