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 俺は、これがまさしく聖南の計画だとも知らずに、内心でちょっとだけレイチェルさんに同情した。 『セナさん……どうして私に、そんな話を?』 『さぁな。レイチェルなら理解してくれる、そう思ったのかも』 『理解……理解、だなんて……』 『俺のこと、好きなんじゃねぇの?』 『はい。愛しています。けれど私は……』 「…………っ!!」  うっ……! あ、あ、愛しています……!?  こうハッキリと好意を口にされると、聖南は俺の恋人なのに!ってまた怒りが湧いてきた。  それと同時に、盛大に狼狽えもした。  だって、だって……。  俺は聖南に、一度たりとも「愛」という言葉を伝えたことがない。  心の中では思ってる。常に。  でも言えないんだ。  まだまだ半人前以下の俺には、聖南に「愛」を伝えられない。伝えきれない。  恥ずかしいとか、言いたくないとか、そういうわけじゃなくて……。  聖南にとって俺からの「愛」は、もっとずっと重たいものだと思ってるからだ。  きっと聖南は、俺がその言葉を頑として言わないことに気付いてる。  現に今、レイチェルさんがさらりと放った言葉に狼狽えた俺の肩を、聖南がすかさず抱き寄せてきた。  敏い聖南には、俺がハッとしたのも、なぜ狼狽えたのかも、見透かされてると思う。  俺にはまだ言えないセリフを、こんなに簡単に伝えられるなんて羨ましい。  想いを伝えるには充分過ぎる重たい言葉だよ……「愛しています」は……。 『俺に恋人が居ても諦めらんねぇくらい、俺のことが好きって認識なんだけど。違うの?』 『えぇ、もちろんですわ。セナさんがそういう風に言ってくださって嬉しいと感じているということは……私は、イエスと答えた方がよろしいのかしら』 『その方が俺も嬉しいかな』 『まぁ……! セナさん……!』  狼狽えちゃってるせいなのか、俺にはレイチェルさんの声が明るくなった意味が分からなかった。ついでに、聖南の言ってる意味もまるで理解できない。  聖南もレイチェルさんも、嬉しいって。  何が? どういう事?  今の会話、俺にはほんとにさっぱり意味不明なんだけど……。 『あと二ヶ月は密着取材が入ってる。どこで誰が見てるか分かんねぇから、本格的に〝始める〟のは春先だ。万が一この事がマスコミに知られたら、俺らにとって都合が悪い。……だろ?』 『えぇ、そうね。それにしても悪い殿方だわ、セナさん』 『そう?』 『うふふっ。私もじゅうぶん、悪女ですけれど』  ──最後まで、まるでドラマのワンシーンのような会話のあと、レイチェルさんの足音が遠くなってパタンと扉が閉まる音が聞こえた。  そこで聖南が、再生を停止する。  俺は右耳からイヤホンを外し、スマホをサイドテーブルに置く聖南にそれを手渡した。 「…………」 「…………」  なんとなく俺は、何を話せばいいのか分からなくて黙っていた。  するとおもむろに立ち上がった聖南が、冷蔵庫から飲みかけのミネラルウォーターを一本取り出して一口飲んだ。その様子を見ながら、俺は最後の方のレイチェルさんの声を思い出していた。  意味はまったく分からなかったけど、聖南が特別な何かをレイチェルさんと交わしたことだけは分かって、でもそれがいったい何なのかまでは……。 「葉璃、……葉璃」 「…………」  レイチェルさんは聖南のこと、悪い殿方って言ってたよね。自分のことも、悪女だって。  二人は悪いことをしたの? それとも、これからするの?  恋人を……つまり俺を裏切るようなことを二人で実行する、そういう事? 「葉璃」 「…………」  イヤだよ。なんで?  いくらレイチェルさんを諦めさせるためだからって、聖南がレイチェルさんとプラトニックラブするなんて……!  いや、……もしかしてこの状況、俺が一番邪魔者だったりする?  ……そっか。そうだよ。なんで気付かなかったの。  俺っていう存在が無かったら、聖南はこんなにも追い込まれることはなかった。  レイチェルさんも、姑息な手を使って聖南を振り向かせようとなんてしなかったかもしれない。  切り札が〝ハル〟だから、ここまで拗れちゃったんだ。  ……ショックだけど。  だって、すごく……苦しい。  息が出来なくなる。  頭がボーッとして、いつも以上に何も考えられなくなる。 「葉璃。……おい、葉璃」 「は、はいっ?」  ミネラルウォーターを差し出してくれながら、聖南が俺を呼んだ。  ハッとした俺が慌てて顔を上げると、ダブルベッドにゴロンと横になった聖南が重苦しく「ふぅ」とため息を吐いた。 「今の会話、理解できた?」 「……はい。なんとなく」 「ほんとに?」 「えっ?」  終盤はかなり説明を欲したけど、それが無かったから俺は独自の見解を導き出した。  理解できたと思うから頷いたのに、肩肘をついて俺をジッと見てくる聖南の目は〝ほんとに?〟の言葉通り怪しんでいる。 「あの、なんとなく、たぶん……俺の存在が一番ネックで、お二人のプ、プラトニックラブの邪魔なんだろうなって事と、これを俺に聞かせたのは、後から知るより今知ってた方がいいって聖南さんが気を利かせてくれたんだろうなって事と、あと……」 「何も分かってねぇじゃん」 「えぇっ? 分かってますよ!」 「俺がレイチェルとどうにかなると思ってんの?」 「……違うんですか?」 「違う!」  そんな断言しなくても……! と、体ごと聖南の方を向いた俺は言い返そうとしたんだけど……。  俺の見解を一刀両断した聖南は、またベッドにゴロンとなった。  どうしたんだろ、聖南……。  明らかに疲れてるのはここに来て顔を見てすぐに気付いたし、食欲がなくて痩せてしまった事を叱ったばかりだし、色んなことが重なって疲労困憊なのは分かる。  ただこういう大事な話をする時、しかも聖南が何かを仕掛けたんだとしたら、ハツラツと説明し始めると思うんだ。  ……いや、もしかして聖南、言いにくいのかな。  レイチェルさんとのプラトニックラブに、俺は邪魔だって。  だったら……俺から切り出すしかない。  その方が傷は浅い、……気がする。 「……俺、聖南さんに裏切られるの耐えられないんで、今はっきりと言ってほしいです。……できれば」 「何をはっきり言えばいいんだよ」 「別れてくれ、って……」 「はぁ!? ちょっ、……はぁ!?」  たった今仰向けになった体が、裏返った声と共に起き上がった。ベッドのスプリングが弾むほど、勢いよくだ。  痛い胸に手を当てて、聖南が言いやすくなるように流れを作ってあげなきゃと冷静に言った俺は、聖南の怒った顔と声に怯みそうになった。 「どこをどう解釈したらそうなるんだよ! それとも何だ、葉璃が俺と別れたいってこと? もう面倒になった?」 「え、いや、違……っ」 「俺のことが面倒になったの? 人一人諦めさせることが出来ねぇ無能だし、ちょっと葉璃と離れてただけで不安定になるし、そんな彼氏なんか用無しだって?」 「えぇ!? そんなこと一言も言ってないですよ!」  聖南が、あの聖南が、ネガティブ全開だ。  そんなこと言われても、別れたいと思ってるのは聖南の方なんじゃないの?  いい加減めんどくさいのは、どう考えても聖南じゃなくて俺でしょ……。  聖南の表情を見れば、俺の見解が間違ってたのかもって事だけは分かったけど、だとしたら説明が足りなさ過ぎる。 「ま、葉璃が別れたいって言っても俺は離さねぇけどな」 「…………っ」  起き上がった聖南は不敵にフッと笑うと、ずるずるとまた体を沈ませて横になった。  ベッドの上にぺたんと座る俺の腰を抱いて、甘えるように大きな体を丸めてぎゅぎゅっとしがみついてくる。 「……あぁダメだ。マジで頭回んねぇ。……葉璃、物騒なこと考えなくていいからとりあえず背中トントンして」 「あ、えっ? は、はい……」  いきなりっ? 説明はしてくれないの!?  ……とは、とても言えなかった。  「トントンして」と言った聖南の声が、眠そうなんてものじゃなかったからだ。  いつもの覇気が無い。それどころか、頑張って起きてようとする気力さえ失ってるような、頭が回らないと溢した言葉そのままのふわふわした声色だった。  今思えば、久しぶりに浸かった湯船が気持ち良かったと笑ってた時から、聖南の顔がほんの少し眠気に襲われていたような気もする。  録音を聞いてるうちにそれがピークを迎えたのかもしれない。  言われるがまま広い背中をトントンすると、完全に仕事モードからプライベートモードに切り替わった柔らかい口調で、「ありがと」とお礼を言われた。 「葉璃の体温きもちー……。葉璃の匂いも……めちゃめちゃ安心する……」 「聖南さん……? ね、眠いんですか?」 「あぁ、ごめん……。ちゃんと話してぇんだけど……こんな眠気きたの久し、ぶ……」  言い終わらないうちに、聖南の声が途絶えてしまった。  俺にしがみついた状態で、聖南はほんとに規則正しい寝息を立て始めている。 「……聖南さん……」  限界だったんだ、聖南……。  いろんな事が重なって、毎日フル稼働してる聖南の心がとうとう悲鳴を上げたんだ……。  充電させて、と飛び付いてきた聖南は、あの時ですら必死に自分を保とうとしてたんだ……。  『葉璃の前ではカッコいい男でいたい』って、いつも冗談っぽく言って笑ってた聖南の最大級の甘えたが、「トントンして」だもんね……。

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