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51♡⑤

 呆けながら、俺はふと録音の内容を思い出す。 『会えない日が続くとどうしても無性に男の血が騒ぐ時があるんだ。でもそういう時の発散方法って一つしかないじゃん?』  そんなことを女性に言わない方が……とこっそりレイチェルさんに同情していた俺だけど、この言葉の意味をやっと理解した。  〝恋人〟とはプラトニックラブな関係だから、聖南は性欲処理が出来てない。忙しいのも相まって溜まってる性欲を、浮気相手で発散したい──そう聞こえなくもない。  一度もその単語がダイレクトに出ることはなかったけど、レイチェルさんはそういう風に捉えた……ってことだよね。  聖南のことを悪い殿方と言って、レイチェルさんは自分のことも悪女だって笑ってた。  恋人の存在を隠していない聖南が、まさかそんな裏切りの提案をしてくるとは思わなくて、二人だけの秘密を抱えたと思ってるレイチェルさんはつい舞い上がっちゃったんだろう。  実際に見たわけでもないのに、スキップしてそうなくらいルンルンで帰っていったように聴こえたし。  でもそこで、俺の中に新たな不安が生まれる。 「聖南さん、でも……そんな提案したら、レイチェルさん……諦めるどころかますます聖南さんのこと好きになっちゃいそうですけど……」 「今はそれでいい。こっちはレイチェルが浮かれてる隙にマスコミと繋がってる証拠を集めまくってやる。なんなら俺とのツーショもあえて撮らせる。情報がマスコミに流れてる証拠を掴みたいからな」 「あぁ、……!」  生まれた不安が、聖南によって一蹴された。  そっか……聖南はずっと前から、この件は長期戦になる、早くて三ヶ月。と言ってたっけ。あの時すでに、頭の中でプランが出来上がってたのかな。  コーヒーを手に取った聖南が、難しい顔で俺を見つめる。  『絶対に誤解してくれるな』ってメッセージが、脳に直接送られてきた気がした。 「目的は、レイチェルの想いを断ち切らせる事。俺にナメた真似しやがった事の制裁。この二点」 「制裁って……あんまりひどいことしちゃったら、社長さんが激怒しません? 姪っ子さんなんですよね?」 「その社長が役に立たねぇからこうなってんだ。……っつっても、社長だけを責めるつもりはねぇ。俺も役立たずに違いねぇからな。デビューに向けて動いてる人間の数と金額知ってるだけに、無下に出来なかった俺も充分無能だ」 「俺、聖南さんの気持ちも、社長さんの気持ちも、分かりますよ……」  ただ想われてるだけの聖南が、項垂れることないよ。  長期戦になるからって、俺に悪いなんてことも思ってほしくない。  だってしょうがないもん。  社長さんにとってレイチェルさんは血の繋がった姪っ子さんだし、聖南には簡単にキレちゃいけない立場と状況があって、それは今聖南が自分で言ってた通りだ。  聖南は無能なんかじゃないよ。  〝制裁〟なんておっかない言葉使ってるけど、たぶん聖南のことだから……お人好しを炸裂させた〝優しい制裁〟なんだ、きっと。  もう二度と、恋人がいる人にグイグイいかないようにするために、好意を向けても相手を困らせてしまう可能性もあるという事を分かってもらうために、聖南が一肌脱ぐって認識であってる……よね? 「まぁ……こんだけこじれてんのも、レイチェルがとんでもなく強え鋼のメンタルを持った肉食系女子だったから、っつーのが一番だけどな」 「は、はは……確かに」  かっこいい苦笑いを浮かべた聖南が、困り顔で俺を見る。それに俺も、苦笑で返した。  優しい聖南は、ほんとはこんな事したくないんだろうな。  面倒だって思いはもちろんあるのかもしれないけど、それ以上に、自分に好意を持っている人を陥れようとする行為なんか誰もしたくないに決まってる。 「…………」 「…………」  俺たちは、どちらからともなく手を握り合った。  大丈夫。大丈夫だよ、聖南。  俺なら大丈夫。  だから聖南も、あんまり深く考え込まないでいてほしい。  心労はアイドルには大敵だよ。 「葉璃、昨日聴かせた会話の内容なんだけど、大体でいい。覚えてるか?」 「……はい、大体なら」  握り合った手のひらをぷらぷらさせながら、聖南がコーヒーに口をつけた。 「レイチェル、ボロを出してただろ。社長から得たわけじゃねぇ情報を正確に知ってた事」 「あ……そうですね。社長さんから聞いたわけじゃないって、ハッキリ言ってました」 「これだけだと証拠としては弱い。どこの誰からその情報を得たのか、そもそもどっちからどういう経緯で接触したのか、そこまで突き詰めたいと思ってる」 「はい。だから……レイチェルさんにあの提案をしたって言いたいんですよね?」 「そう。葉璃には絶対に誤解されたくない。真っ先に葉璃に録音を聴かせたのも、一番誤解してほしくないのが葉璃だったから」 「……はい」  俺のぐるぐるが底無しなのを知る聖南は、これを後回しにした時のリスクが計り知れない事をも知っている。  こうしてちゃんと説明されなきゃ理解出来なかったくらい、俺はネガティブ思考が得意だから。  聖南が寝落ちする直前も、俺ってばその特技を振りかざして突っ走る寸前だった。  相手があの、俺なんかじゃとても太刀打ちできないレイチェルさんで、俺がずっと言えないでいる〝愛〟をストレートに告げられる人ってだけで、すでに完敗だもん。 「あと、報道規制を解除するタイミングなんだけど」 「あ……はい」  懲りずに沼に落ちかけた寸前、意図せず聖南が引っ張り上げてくれた。  報道規制……あ、そうだ。そういえば去年から、聖南の身を心配した聖南パパが業界全体に敷いてるって言ってたな。  CROWNやETOILEだけじゃなく、大塚芸能事務所に所属している全タレント、アーティストに関するそれは、レイチェルさんと繋がってるマスコミにも有効みたいで、切り札を握られてる俺たちはそのおかげで平穏な日々を送れてると言っていい。  でも聖南みたいに芸歴が長い人は、どんなに捏造記事を書かれてもマスコミとは共存すべきって考えがあるみたいで、いつまでも規制をかけているわけにはいかないらしい。  温くなって飲みやすくなった甘いコーヒーに口をつけて、聖南の横顔を盗み見る。 「ある程度レイチェルに関する証拠が集まって、社長にも話を通してからにはなるんだけど……。ヒナタの件を公表するタイミングと合わせようと思ってる」 「えっ!? ヒナタ、公表しちゃうんですか!?」  レイチェルさんの件が落ち着いたら解除する、そう言うんだろうなって生意気な俺の予想は、少しだけズレていた。 「あぁ、もちろん。その頃にはLilyも始動してるだろうからな。〝ハル〟がヒナタだって事を隠し続けるメリットは無い。葉璃のためにも、公表した方が絶対にいい」 「えぇ……っ」  えぇ……っ、えぇ……っ!  そんな事したら、俺だけじゃなく事務所も叩かれちゃうんじゃない……?  ヒナタの件は事務所同士で決めた事だけど、その任務を受けたのは俺自身だし、実際には半年間もLilyのファンを、もっと言うとETOILEのファンも騙し続けたことになってるんだよ……?  俺はわりと最初から、Lilyからの当たりが強くて自分のことしか考えられていなかった。  そのせいで任務のことばかりに気を取られていたけど、ヒナタの間中ずっと世間とファンを騙していた事になる。  ヒナタの役割が無事に終わっても、それはファンの人達には一切関係のない、こと……。 「不安か?」 「不安、っていうか……そうですね。不安、です」 「分かってねぇなぁ」 「え?」

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