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56★二人の違い
─恭也─
★ ★ ★
ドラマの出演を決めた日から十日後、レッスン後に事務所の方に一人で寄るようにと林さんから言われた。
この後は新曲のプロモーションを兼ねた取材が入ってるから、俺の都合で葉璃を待たせてしまうと心配してたんだけれど、ルイさんが居てくれるおかげで退屈させなくて済みそうだ。
もう大切な新メンバーなのに、マネージャーさんみたいに立ち回るルイさんに毎度申し訳なさを覚えるも、本人いわく「俺がやりたいからやってるだけや」らしい。
俺も葉璃も謝り過ぎだって、そう言って笑うんだ。
そんな意識はなかったのにな。
「恭也くん、こっちこっち」
ジャージから私服に着替えた俺が事務所の方へ向かおうとすると、すぐに林さんが駆け寄ってきてくれた。
ちなみに葉璃は、ルイさんの車で待っていてくれている。
「はい、これ」
「……はい?」
藪から棒に大きめの茶封筒を手渡されて首を傾げる俺に、林さんは「ついて来て」と言い事務所二階のマネジメント課に通した。
散らかったデスクが十三台ある雑然としたここには、俺と林さんしか居ない。タレントのマネージャーさんはとにかく動き回っていて忙しいから、日中に事務所に常駐している事なんかほとんど無いんだろう。
林さんもいつも慌ただしいもんな。
空いてるデスクの回転椅子に掛けると、タブレット端末を手にした林さんもその手前に腰掛けてくるっと回った。
「それ、ドラマの台本なんだ。僕も確認させてもらったけど、……なかなか難しそうな役だね」
「そうなんですか」
「うん。詳しくは持ち帰ってじっくり読んでみるといいよ」
「分かりました」
「内容知りたい?」
「そう、ですね。大まかでいいので、出来れば」
もしかしてこれは……と思った茶封筒の中身は、やはりドラマの台本だった。
出演を決めたのはほんの十日前だというのに、随分早い。
しかも林さんが難しそうな役だなんて言うとは……どんな役どころなんだろう。
「まず覚えておいてほしいのが、以前にも話したと思うけどこれはピンポイントで恭也くんご指名だった。その時点で僕はざっくりとした内容を聞いていて、それは恭也くんにも共有したよね」
「……はい。放送時間帯が、深夜だって事と、内容は恋愛ものだって事は、聞きました」
「そう、それで……恋愛ものは恋愛ものでも、ボーイズラブなんだ」
「はい。……はいっ?」
「驚いたよね。僕も台本受け取る際に初めて聞いたんだ。しかも主役だよ、恭也くん」
「えっ!? 俺が、ですか!?」
「そう」
そういう事はもっと早く言ってほしかったな……!
オーディションで役を勝ち取ったわけでもなく、オファーがくるだけありがたいと思ってた俺は、これがスタンダードなのかは分からないし、どういう流れで配役が決まっていくのかも正直知らない。
だけど多分、アキラさんやケイタさんクラスになれば、事細かな内容と役どころを精査して受ける受けないを決められるんだと思う。
俺にはそんな説明が無かったから、今初めて聞いた〝ボーイズラブ〟という単語にただ驚くばかりだった。
しかも、……主役。
という事は、俺は男同士のカップルのどちらかを演じなくてはいけなくて、それはもちろん……。
「それは……キスとか、それ以上の事も、……?」
「キスシーンは何度かある。でも地上波だからそれ以上の描写は無いよ。あ、それっぽいシーンはラストにあるけど。ライトなベッドシーンが」
「……そうですか」
「気が進まない? ……よね」
「…………」
ライトなベッドシーンって何。
それに、キスシーンも何度かあるの。
俺……出来るかな。知らない俳優さんと、キス……。
うーん……。
押し黙った俺に林さんが苦笑いを浮かべてるから、「そんな事ない」と言って安心させてあげたいのは山々なんだけれど……。
気が進まないというより、俺に出来るかどうかが不安なだけだ。
女優さんとのキスシーンですら前日から眠れないくらい緊張してた俺が、男性の俳優さんとキスするなんてイメージが湧かないどころじゃない。
想像すら出来なかった。
「受けたからには腹を括ってもらわなきゃなんだけど、恭也くんの気持ちの整理にはたっぷり時間を使って構わないよ。相手役の俳優さんも他のキャストもキャスティングOKらしいから、予定通り来月末には顔合わせが入ると思う」
「……分かりました」
そうか……もうキャスティングは完了していて、顔合わせの日程調整に入っているのか。
それなら本当に、腹を括らなきゃいけない。
気持ちの整理に時間をかけていいと言った林さんは、見るからに心配そうに俺を見ていて気の毒なくらいだ。
でもそう言われても、身近にとんでもなく熱々なボーイズラブカップルがいるからか、ドラマのジャンルがそうだと聞いても不思議と否定的な気持ちにはならない。
それに俺は、葉璃と約束したんだ。
どんな内容でも頑張るって。
「林さん、俺、ボーイズラブだから戸惑ってるわけじゃ、ないですよ」
「え、そうなの? そこ一番引っ掛かるところじゃない?」
「あぁ、まぁ……引っ掛かりはしますけど、俺に出来るのかなって、それが不安で……」
「恭也くんなら大丈夫」
「えっ……」
タブレット端末を操作する林さんが視線を落としたまま、何だそんな事か、と言いたげに即答した。
始まってもいないうちからこんな弱気な事を言う俺を、幻滅したと思ったんだけれど……。
「その点は、僕は何も心配してないよ。だって恭也くんにもあるじゃないか。ハルくんみたいに〝やる気スイッチ〟とやらが」
「……俺に? スイッチ、あるように見えます?」
「僕は恭也くんが出演した過去二作品の撮影に、ほぼ毎回同行していたんだよ。何度驚かされた事か」
「…………」
「僕もペーペーだから偉そうな事は言えないけどね。恭也くん、演技の経験が無いとはとても思えなかったよ。監督の要求にすべて応えて、撮影が滞る事が一度も無かった。時には役を掘り下げて感情移入し過ぎて、監督に説明を求めにまで行っていたよね。仕事への熱意と真剣さが伝わってきて、僕も頑張らなきゃと何度思わされたか分からない」
視線を上げた林さんと目が合うと、にっこり微笑んでそんな嬉しい事を言ってくれた。
ステージに上がるまで震えてる葉璃が、イントロが流れた途端に入る〝やる気スイッチ〟は見事としか言い様がないもので。
思わず見惚れてしまうほどに輝く葉璃を、いつも誇らしく思う。それなのに、本人にはまるで自覚が無いというから驚きだ。
スイッチのオンオフは自分じゃ切り替え出来なくて、音に合わせて体を動かそうとする本能的なものに近いんだろう。
葉璃はその自覚の無いやる気スイッチを体内に仕込んでいるから、アイドルとして成立している。
ネガティブ気質な上がり症のアイドルだなんて、ウケないわけがない。
親友としてもそうだけれど、俺は特に仕事仲間として、葉璃を毎日尊敬していた。
やる時はやる、を確実に実行できる人間だからだ。
そんな、羨ましいとさえ思うスイッチを俺も持っていると言われても、甚だ実感が無かった。
俺が褒めると葉璃がキョトンとする心境が、今分かった気がする。
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