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56★④

「だって恭也だよ? 恋人が居る人でも、恭也からグイグイ迫られたらコロッといっちゃいそうじゃない? ドキドキすると思うよ、女の人は。映画だから奪えなくても仕方ないんだけどさ」 「…………」 「なんでいっつも奪おうとする側なんだろ〜って不思議だったんだよね。恭也だったらジーッと見つめるだけで奪えちゃうのにーって。分かってないよね、役を決める人」 「…………っ」  『ジーッと』の時に、俺の顔を覗き込むようにして見てきた葉璃についついドキドキしてしまった。  なんと例えればいいのか分からないけれど、俺を過大評価している葉璃は、男なら思わずグッとくるような台詞を平気で、何も考えずに言う。  そこが葉璃の良いところであり、無性に心配になるところでもある。  そんな事ないよ、と俺がどれだけ否定しても、葉璃は聞く耳を持たない。  見つめるだけで略奪できるなんてあり得ないのに。  本当に葉璃は、俺を過大評価し過ぎだ。 「恭也、無表情できてないで」 「いや……すみません。心を鷲掴みに、されてしまって……」 「……気持ちは分からんでもない」  グッとくる台詞にくわえ、見つめられたら最後の濡れた瞳を至近距離で味わった俺は、知らず口元を押さえてニヤついていた。  おそろしい子だよ、葉璃は。  同性だと分かっていても、何においても敵わない恋人が居ると知っていても、何らかの形でそばに居てほしいと願わずにいられない魔性の魅力を持っている。  同調してくれたルイさんには、この気持ちが伝わったみたいで嬉しい。 「それで、恭也は何役なの?」 「あ……主役、なんだ……」 「えぇ!? 主役!? ついに!? おめでとうー!」 「あ、ありがとう」 「良かったね! 主役ってことは、さすがに奪う役じゃないよね! たぶん、分かんないけど、奪われないように守ってあげる役だよね! 恭也にピッタリだ!」 「…………っ」  ドラマが決まった時よりも、葉璃はこちらまで笑顔になるほどテンション高めに喜んでくれた。  そんなに、自分のことみたいに喜びを爆発させてくれるなんて思わなくて、無性に……照れる。 「え〜っ、いいねいいね! いつ放送なのっ? 録画予約しなきゃ!」 「葉璃、撮影もまだだから……」 「あっ、そっか! うわぁ、楽しみだ! こっそり撮影見に行ってもいいかなぁ!? ちゃんと差し入れ?も持って行くよ!」 「う、うん、ぜひ来てほし……」 「行くよ! 絶対に行く!」 「……ありがとう」 「へへっ……! 良かったね、恭也」  この葉璃に微笑まれて、笑み返さない奴は人間じゃない。  俺はとてつもなく幸せな気持ちになりながら、無意識に葉璃の頭を撫でていた。  多少なりともたじろいだ〝主役〟を一番に報告したかった葉璃が、こんなにも興奮気味に、そしてどこか意気揚々と喜んでくれたことが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。  でも葉璃、重要な事を忘れてないかな。  俺、〝ボーイズラブ〟の主役なんだよ。  誰も奪いはしないけれど、男性と恋に落ちる役なんだよ。  いざドラマの内容を完全に理解した時、盛大に狼狽えそうな葉璃を想像すると……いや、それもまた可愛いだろうから、今はそっとしておこう。 「そういや去年撮ってた映画の舞台挨拶はいつなん? もうそろ決まってええ頃やろ?」 「あぁ……それは……」  目的地までの道中、ルイさんの話題変換で少し車内の空気が変わった。  何を隠そう、俺もその件が気になっていたからだ。  去年の夏に公開された初めて出演した映画は、もう今頃には様々なスケジュール……例えば完成披露試写会や舞台挨拶なんかの日程が決まっていた。  去年の年末まで撮っていた映画の方は、秋口公開予定だとは聞いているけれどそれ以外の進捗情報が何も入ってきていない。  俺は分からないから答えようがないと、そっと林さんを伺う。すると察してくれた林さんが運転中にもかかわらず答えてくれた。 「それなんだけど、水瀬さんの件が少し響いてるみたいでね。まだこちらには何も連絡がないんだ」 「水瀬いうと……アイとの事件?」 「そう。警察の方で事件性は無いって判断されたから疑いは晴れてるんだろうけど、スポンサー側がその一件を小耳に挟んだらしくて。こちらサイドは誰一人情報を漏らしていないはずだから、どこから漏れたのかは分からないんだけど」 「なんや、まだそっちもきな臭いままなんか」 「どうかな。水瀬さんはお騒がせなタイプの俳優さんでしょ、スポンサー側も独自に調べていたのかもしれないね。もしくは……」 「誰かがチクったか、やな。そうなるとまた恭也が水瀬に疑われるかもしれんやん」 「それは別に、俺は、大丈夫ですよ。事実無根なんで、なんと言われても、返事は一つです」  そういう事だったんだ……。  だったらスケジュールが決まらなくて当然かもしれない。  俺たちにはどうしようもない、出演俳優のスキャンダルが公開に響いているとしたら、今後本当にどうなるな分からないな……。 「待って、恭也。水瀬さんから何か言われた事あるの? ルイさんが〝また〟って……」 「あぁ、……」  なるほど、と腕を組んだ俺の隣で、小さな怒りを沸々とさせ始めた葉璃に、俺は気付くのが遅れた。  さっきまでニコニコ笑顔で可愛かった葉璃の顔が、スンッと感情を失くした怖いそれになっている。 「そうなんだ。へぇ、そう……。ふーん……」 「……ハルポンお怒りのようやな」 「……はい」  ヤバイかもしれない、と感じたのは俺だけじゃなかった。  身を乗り出して葉璃の顔を恐る恐る覗き込んだルイさんも、めったに見られない表情に引いている。 「もし水瀬さんからそういう連絡あったら、俺がいる時に掛け直してよ」 「な、なんで?」 「そりゃあ……ねぇ? 恭也が疑われるなんて許せないし」 「いや、葉璃がそんなに、怒らなくても……」 「えぇ? やだなぁ、何言ってるの。全然怒ってないよー」 「めちゃめちゃ怒ってるやん」 「は、葉璃……?」  葉璃は、大切な人が傷付けられたら劣化のごとくキレてしまう。だから俺は、去年の一件で水瀬さんに小言を吐かれた事は話さなかった。  アイさんをおびき寄せるためにセナさんに情報を流したと、後から電話で温度感強めに水瀬さんに責められたけれど、俺はまったく気にしていない。  俺も、俺にとって大切な人しか大事じゃないから。  その気持ちがより強い葉璃の怒りは、俺とルイさんの予想をはるかに超えていそうだった。 「俺の恭也を疑うなんて許せない。仕返ししようだなんて思ってたらもっと許せない。許せないから、許せないってことを俺からも言うの」 「充分キレてんで、ハルポン」 「葉璃、俺なら大丈夫だから」 「俺が大丈夫じゃないんだよ! もし連絡がきたら絶対に教えてよっ? 恭也一人で解決したら俺は恭也を怒るからねっ?」 「えぇっ!? なんでそんな事に……!」  うわぁ、あの時の水瀬さんよりも、今の葉璃の方が温度感高めだ……!  言う事を聞かないとなぜか俺が怒られるらしいと知って、『そんなに!?』と驚きを隠せない。  分かった。葉璃がそう言うなら、従う。  葉璃に怒られるだなんて、考えただけで嫌な気持ちになるよ。 「……いっつも思うけど、ハルポンだけはキレさしたらあかんよな……」 「普段が温厚な分、一度キレちゃうと、手がつけられないですね……」 「ほんまにな。恭也、あとが怖いし言うこと聞いとった方がええよ。水瀬から連絡あったらハルポンと掛け直し」 「……そうします」  ルイさんに頷いてみせた俺に念押しするように、葉璃が「絶対だよ」と微笑んできた。  ……うっ、怖い。  パッと華やかな笑顔はとびきり可愛いのに、瞳の奥は全然、まったく、笑っていなかった。

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