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わぁ……俺もお布団で寝るのなんていつぶりだろう。
二組並んで敷かれたお布団が生々しいような気もするけど、俺と聖南はとりあえず仲良く一つのお布団に入った。
聖南は畳に直で寝るのは初めてだって言うし、俺の記憶もおばあちゃん家に泊まった時以来だから、何年も前のことだ。
薄暗い照明に、シーンと静まり返ったシンプルな和のお部屋。雪見障子ってやつも何とも風情がある。
目をつむるとこのまま聖南の腕枕ですぐにでも落ちてしまえそうなほど、ふかふかのお布団が心地良い。
聖南も同じ感覚なのか、横になってしばらくは黙ってゆっくり瞬きをするだけだった。
サイズ違いのお揃いの浴衣を着て、あんまり馴染みの無い畳のお部屋でゆったり横になるなんて、ほんとにプチ旅行に来た気分だ……。
「落ち着くな……」
腕枕をしてくれている聖南が、仰向けから体を横にして俺を抱きしめてきた。
俺は、そう呟いた聖南の声にこそ安らぎを覚えて小さく頷く。
「はい……」
「たまにはいいもんだな、こういうとこも」
「……そうですね」
うんうん。すごくいい。
キラキラピカピカの洋風なホテルもいいけど、木のぬくもりや森の静けさ、畳のにおいなんかを感じられるここはホッと気が抜けちゃうよ。
露天風呂も最高だった。
生い茂った木々から覗く星空は綺麗で、ヒノキで出来たお風呂はずっといいにおいで、聖南はひたすらに優しい手付きで全身を洗ってくれて……。
冷えた空気と熱めの温泉がうまく調和していて、いつまででも浸かっていられそうだった。
柔らかな辺りの雰囲気がそうさせたのか、いつも洗浄を買って出る聖南が、自分でやりたい俺のワガママを聞いてくれたのもなんだか嬉しかった。
慣らすところまでは出来てないけど、後ろは綺麗な状態。でも……今日はしないかもしれないな。
聖南からやらしい空気を感じない。
出来ることなら、この時が止まったような静かな空間で忙しない日々を忘れてぐっすり眠りたい……みたいな。
聖南は今、いろんな仕事が重なっていて息つく暇もないだろうから当然だ。
定期的に密会してくれるようになって、会えない寂しさとかデキないムラムラを抱えることが無くなったから、俺はすごく心が安定してるし別に今日しなくてもいい。
それよりも聖南を休ませてあげたいもん。
「ふぁ……」
ぎゅっと抱きしめてくる高い体温に、俺もやられちゃいそうだ。
あと数秒、聖南が話し始めるのが遅かったら俺はたぶん落ちちゃっていた。
「あーっと……何だっけ。葉璃に話があったんだけどな……思い出せねぇな」
「ふふっ、聖南さん声が眠そうですよ~」
「いや寝ないよ。やる事はやる」
「えっ……」
あ、そうなの? そう、なんだ……。
今日はてっきり、体と脳を休ませるためのまったり密会かと思ったんだけど……とはいえズバッと言い切ったわりに、聖南は動こうとしない。
思い出せない話ってやつが引っ掛かってるみたいで、うんうん唸ってる。
「大事な話だったんだよなー。まずこれを処理してからじゃねぇと気が散ってしょうがねぇよ」
「えぇ……なんですか? 思い出せないとムズムズしますよね。大事な話……っていうと仕事関係ですかね?」
「仕事……仕事……あっ!」
思い出した! と言って勢い良く体を起こした聖南に、思わずビクッと反応する。
はだけた浴衣から見える細いチェーンネックレスが揺れてる様が、何ともセクシーだ。
「そうだそうだ。思い出したよ。葉璃が来たら一番に言わなきゃいけないことあったんだ」
「な、なんですか?」
「葉璃、……」
「なっ、な、な、なんかいきなり真面目な顔しててこわいんですけど……っ」
グイッと手を引かれて勢いに任せて浮いた体が、トンと聖南の胸元にぶつかる。
そのまましっとりとした時間が流れるのかと思いきや、聖南は俺の両肩に手を乗せて少しだけ距離を取った。
吸い込まれそうに綺麗な薄茶色の瞳が、俺の顔を覗き込んでくる。真剣な視線だ。
どうやらほんとに、仕事の話らしい。
しかもかなり大事な──。
「葉璃、あともう一回だけヒナタとしてステージに立ってほしい」
「え?」
……ん? ん? ……ん? ん?
ヒナタって……ヒナタ? あのヒナタ?
ヒナタで、ステージに……? え?
「Lilyのヒナタとして一曲、場合によっては二曲」
「…………」
「葉璃、覚えてるか? ヒナタの正体は時期が来たら公表するって言ったの」
「はい、……はい、……」
「六月末の特番で公表する予定で、実はもう動いてる」
「はい、特番で……えっ!? もう動いてるっ?」
「あぁ。諸々確認作業中だけどな」
「…………っ!?」
ちょっと待って、待って……っ。
ヒナタでステージに立ってほしいって、それは正体が俺だってことを公表するためっ?
六月末の特番で……だなんて、もしかして何万人ものキャパの大きな会場なんじゃないのっ?
そんな大それた場所で、大それた発表をしちゃうって!?
そんな、そんな、……っ!
変わらずジッと見つめてくる聖南から、本気度合いが伝わってくる。両肩に乗った大きな手のひらも、どことなく緊張が滲んでる気がする。
俺に会って一番に話したかったと言ってたからには、これは当然冗談なんかじゃなくて、すでに動き始めてる聖南のプランの一つ……って事だよね?
……あ、そうだ。そういえば……!
どこかで何となくこんな話を聞いた事があったと、今頃になって俺の記憶が目覚めた。
「そ、そういえば……この間アキラさんとケイタさんが居る時、……」
「そう。葉璃も聞いてたんなら話は早い」
「いえ、あの……聞いてたと言えば聞いてましたけど、覚えてるかって聞かれると自信が……」
「あはは……っ、いいよ。俺から説明するつもりだったから。まずは葉璃に頼み込まないといけなかったし」
「頼み込むって……ヒナタを、……?」
「そう」
「…………」
……俺がもう一度ヒナタになって、ステージに上がる……?
そこではただパフォーマンス披露だけじゃなく、〝ハル〟である事を公表する、……。
把握はした。でもすんなりと頷けない。
ヒナタの任務が終わるまでの間、ほんとに……ほんとに色々あったから。
聖南が俺に頼み込むつもりでこの話をした、その意図のすべてを分かってるわけじゃない。
でも聖南、言ってたよ。
あれは、俺にだけは誤解されたくないからって、俺をプランBの共犯者にすると話してくれた時……情報処理が追いつかない俺を気遣って途中までしか明かさなかった、ヒナタの公表について。
報道規制の解除と同時にヒナタの正体を公表する事で、レイチェルさんの持ってる切り札を無効化できる──って。
でも、でも、でも……っ!
「あ、あの……っ、俺、聖南さんがヒナタの正体を明かすつもりだっていうのは聞いてたから、驚きはしてないんです。でもサラッと公表するもんだとばっかり思ってたんで、まさかその……ステージに立ってだなんて……っ」
「そこまで大々的に公表するとは思わなかった、って?」
「……正直、……はい。そこまでしなくていいっていうか……。前も言いましたけど、ヒナタの正体が俺だって公表したとして、いろんなところに迷惑かけちゃうかもしれないのがこわいので、俺はあんまりもう……ヒナタの姿で公の場には……」
「……そっか」
「……すみません……」
俯いて謝ることしか出来ない。
まさに仕事モードに入った、真剣な聖南の視線が痛かった。
あからさまにトーンの落ちた声も、聞いてられなかった。
聖南のプランに乗ってあげられなくてごめんなさい……そんな思いでいっぱいになって、たちまち視界が歪んできた。
俺なんかじゃムリだよ……。
そんな、とんでもなく大きなプレッシャーに耐えられる気もしなければ、聖南やみんなの期待に応えられる気もしない。
だって……どうするの。
〝ハル〟が〝ヒナタ〟だなんて、こんな突飛な事実を誰が受け入れてくれるっていうの……。
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