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❤︎ ❤︎ ❤︎ 「──どうかな。いけそう?」  ほんの数時間前にも同じ事を言った覚えのある聖南は、イヤホンの向こうで「えっ」とたじろぐ声を聞き、自宅の書斎でパソコンに向かいながら一人笑んだ。  脳内で完成しつつある曲を実際に興していく作業は、簡単ではない。短時間で出来る作業でも無い。  一週間で仕上げるためには睡眠時間を削らねばならないが、はなから尻に火がついた状態である事に変わりなく、ショートスリーパーなおかげで特に支障は無いだろう。  諸々の段取りがつきつつあるため、ワクワクと興奮する気持ちの方が強かった。 『いけそう、って……出来そうかって意味ですか?』 「そう。今話した通り、Lilyがバズらなきゃこのプランそのものが無くなるんだけどな」 『そんな……それって佐々木さんにすごくプレッシャーかけちゃってません?』 「だな。でも樹ならやってくれる」 『えぇー……』  二十三時を少し過ぎた時刻、葉璃との毎晩恒例の通話を始めてすぐに佐々木との会話内容を伝えたのだが、聖南の思いとは裏腹にこちらもあまり良い反応を示さない。  葉璃は、佐々木のプランを聞いても相槌さえ打たず無言だった。 『……確認ですけど、聖南さんが言ったわけじゃないんですよね?』 「何を?」 『さっきのお話ですよ。佐々木さんのプランって、佐々木さんが考えて動いてるんですよね?』 「そうだよ。俺が無理強いしたわけじゃねぇ」 『それならいいんですけど……』 「おいおい、俺もそこまで鬼じゃねぇって!」  浮かない反応だった理由が分かり憤慨する聖南の耳に、ようやくクスッと笑い声が聞こえて複雑な思いを抱く。  聖南が自身のプランを強行するために佐々木に無理強いをしたかもしれない、という疑惑を葉璃に持たれたのが、たとえ半信半疑だとしてもショックだ。  聖南ならやりかねないと思ったのだろうから、それはもはや日頃の行いのせいである。  ただし聖南は、葉璃には嘘を吐きたくない。  どう思われようと、葉璃にだけは本心を曝け出すと決めている。 「てかそもそも俺は今でもLilyの復帰をよく思ってねぇんだからな」 『えっ、そうなんですかっ?』 「そうだよ。心の片隅では、葉璃をあんな目にあわせた奴らになんで協力しなきゃなんねぇんだって思ってる」 『そ、そんなに怒ってたんですね、聖南さん……』 「当たり前だろ! 温情かけたのは葉璃のためだ。葉璃がお人好し発揮しなかったら、Lilyを樹に託してもないよ」  あの日ホテルでSHDの幹部らを詰めた後、Lilyに情けをかけてやる聖南をアキラとケイタはひどく不審がっていた。  助けてやる義理など無いだろうと、その場に居た恭也とルイでさえ訝しんだに違いない。  しかし聖南の思いは、その時彼らに言った事がすべてだった。  事態を知った葉璃は何と言うだろう。  どんな決断を下すだろう。  ある程度の事ならばどうにかしてしまえる聖南に、お人好しの葉璃はおそらく、きっと──。  Lilyの面々を見回し、『俺の葉璃を傷付けやがって』というどうしようもない怒りの感情を殺せていたのも、葉璃が後々下す決断が読めていたからだ。  だからこそ、あのまま〝ヒナタ〟を無かった事にはしたくなかった。  葉璃の功績や半年間の頑張りを、聖南が称えなくてどうするのだという熱意は、どんなにプランが危ぶまれようと揺るがない。 『もしかして……後悔してます?』 「いいや? よくは思ってねぇけどヒナタを昇華させるにはLilyの存在は絶対だ。Lilyがまた返り咲いてくんないと、ヒナタが霞んじまうだろーが。そんなの許せねぇよ。逃がすかっての」 『応援してるのかしてないのか、分かんないですね』 「樹の事は全力で応援してる。協力してほしいっつー事があんならその時は喜んで手を貸す。Lilyのヤツらに関しては、樹が最大限お膳立てしてやんだから自力で這い上がれって感じ。そんだけの実力はあるんだから出来るだろって」 『ふふっ……聖南さんは正直者ですね。少しは遠回しに言ったり、うまく良いように言ったりしそうなもんですけど』 「ここまでぶっちゃけた事、葉璃にしか言わねぇよ」 『えっ……』  コーヒーの入ったマグカップに口をつけ、『そっか……』と独りごちる葉璃の声に耳を傾ける。  当たり前だろう。  プロデュースしているアイドルという肩書きがあるだけで、それ以前に葉璃は聖南の大切な恋人なのだ。  すでに情けないところは何度も見られている。  葉璃には何でも打ち明けるし、そうする事で理解されずとも聖南の思いをすべて知っていてほしい。  正直者かどうかは分からないが、常に真正面から葉璃と向き合う姿勢でいたい聖南の言葉は、近頃お決まりの照れ笑いが止まないので、どうやらきちんと伝わっているようだ。 『そっか……そうなんですね。信用してもらえて嬉しいです。……へへっ』 「信用……うーん。それはちょっと違うぞ、葉璃。信用も信頼もしてんだけど、もっとずっと深い形だ。俺が何を考えてるのかと、葉璃が思ってるほど聖人ではないって事も分かっといてほしい」 『聖南さんを聖人だとは思ってないですよ、俺』 「そうなの? でも葉璃、いっつも俺のこと優しいって言うじゃん?」 『優しいのと聖人は違う気がします。いま〝聖人〟の意味を調べたんですけど、……聖南さんは当てはまるとこもあれば、当てはまらないとこもあります』 「ん、当てはまらないとこ聞きたい。どんなとこ?」 『えーっとですねぇ……』  通話中にもかかわらず、葉璃がそれを調べて聖南と照らし合わせたとは実に興味深い。  悪感情の薄い葉璃は、聖南の事も毒を吐かない人間だと誤解していそうなのでそう例えただけなのだが、本当に生真面目な質だ。 『人格が非常に高い、は少し当てはまるかもですけど、他の人の模範に……ってとこはどうなのかな。聖南さんを目指そうと思ってもなれない人が大半なんで、これは当てはまらないですよね。目指されるべき人なのは合ってますけど……。あれ、ん? じゃあ当てはまるのかな? と、とにかく、やっぱり、優しいとは違います』  他者から言われると揶揄と捉えてしまいそうな見え透いた言葉も、不思議と葉璃の真剣な声色では本気で受け取ってしまう。  マグカップを手に固まった聖南は、意味もなく足を組み替えてニヤけた。  葉璃はそういう風に自分を見ているのかと、くすぐったくも温かな気持ちが胸中を覆った。 「あぁ……そう。俺が聖人じゃねぇとこを聞いたはずなんだけど、やたらと持ち上げてもらえて逆に恥ずかしくなってきたぞ、聖南さん」 『持ち上げるつもりがなくても持ち上がっちゃうんで、聖南さんは欠点が無いってことになりますね!』 「いや、マジでそんな事はねぇから……」 『そんなことありますよ! 何しろこの俺と付き合ってくれてるんですよっ? 自分でも「何だコイツ」って思うことばっかの俺と! それってスゴイことですからねっ?』 「コラ、いくら葉璃でも俺の葉璃の悪口はやめてくれ。怒るぞ」 『自分のことですからけちょんけちょんに言ったっていいんですっ!』 「よくねぇよ! 俺の葉璃の悪口言うな!」 『俺が葉璃なんですけど!』 「そうだよ、俺の葉璃だ!」 『そ、そうです! 葉璃は聖南さんの葉璃です! でも俺が葉璃で……っ、ちょっ……えっ? ワケが分かんなくなってきましたよ!』 「プッ、……あははは……っ」  この通話で葉璃に聞きたかった事は、一つしかなかった。  LilyがSNSで再び注目を集める前に、一度は顔を出するつもりでいる。その時はもちろん聖南も同伴し、極力葉璃に負担はかけない。  もしもまだ勇気が出ない、時間をくれと言うのならば、彼女達と対面するにあたっての心づもりだけはしておいてほしい。  「俺がついてるから大丈夫」……そう言いたかった。  見事にいつもの如く、良い意味で水を差されてしまったが。

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