662 / 662
61❤︎⑧
わずかに覗き見てみるといつもの如く他人事で、自分には関係ないと信じてやまないその顔には薄っすらと笑みまで浮かんでいた。
とはいえ、それが葉璃らしい。
その無欲さが葉璃のいいところだ。
天然という言葉であっさり流してはいけないほど、良い意味でアイドルの自覚が薄い葉璃には無垢なままでいてほしい。
「どんなCMだろうな」
同調すると、葉璃が聖南の方を向いてふわりと笑んだ。
そのとんでもなく可憐で優しげな笑みに、釘付けにならない方がおかしい。
薄暗い会場内、都合よく一番隅のテーブルの端に掛けているのをいい事に、我慢出来なくなった聖南は葉璃の肩をそっと抱いた。
第三者から妙な疑いをかけられぬようさりげなくそうしたつもりだが、葉璃の体がピシッと硬直したのが分かる。
だがそれは、突然聖南に触れられて驚いたのと同時、ヴァイオリンの音色美しい〝タイスの瞑想曲〟が会場内に流れ始め、葉璃はその大きな音にも過剰に反応したからだった。
そして、──。
「えっ……」
モニターに映し出された映像を見るなり、葉璃の背筋がピンと伸びた。
それだけではない。
不自然に姿勢の良い状態のまま、微動だにしなくなった。
「…………」
会場内の全視線が注目する中、まずは十五秒の短い映像の方が流れた。
衣装替えは四パターンあったはずで、映像の中の葉璃も撮影した通りに、まるで着せ替え人形のように次々と装いが変わっていく。
台詞は無い。ただ遠くを眺めていたり、斜め上を向いていたり、振り向きざまであったり、二秒おきにナチュラルな葉璃が様変わりしていった。
売り出したいリップクリームの商品説明は、葉璃の表情に重ならぬよう小さく画面上に旋律と共に流れるのみである。
一番目立たせたいはずの唇をフィーチャーしている様子も無い。
近々まで起用されていた満島あやのこれまでのCMとはまるで異なった、コンクレ側の勝負を賭けた意気込みさえ感じるほど、一切の派手さの無いシンプルな構成だ。
過度なエフェクトも、おそらく修正も入っていない。限りなく自然光に寄せたスタジオ照明が、葉璃のナチュラルな魅力を存分に引き出している。
まるでグリーンバックで撮影したとは思えない仕上がりに、聖南は目を瞠った。
── うーわ……なんだあれ。
「…………っ」
聖南の心の声が届いたのか、映し出された自身の姿をどう捉えたのか分からないが葉璃も微かに息を呑んだ。
真っ白な肩口から横顔へ、カメラがゆっくりと寄っていく。未だ聖南の脳裏に焼き付いて離れないあの微笑みが、完璧な形で美しく記録されていた箇所はたっぷり六秒も使われていた。
性別を越えた色気と、どこか儚い微笑みが、クローズアップされた潤いを逃さない甘い香りのリップクリーム艶めく唇を妖艶に映している。
聖南は、魂を抜かれたような気分になった。
さらに言えば、そのたった六秒間で、静まり返っていた周囲がざわめく心理も理解できた。
会場内にいる半数以上が息を呑み、どこからともなく指笛が鳴る。
続けざまに流れ始めた三十秒の映像も、構成はほぼ同じであった。それぞれのカット秒数が延び、さらに動きの足された葉璃の存在感が際立っていた。
そこに居る数々の役柄を演じてきた俳優陣、様々な番組に出演し老若男女問わずお茶の間を楽しませてきたタレント達、お堅いスーツに身を包み難しい顔をしていた事務所幹部の面々、それらすべての者から、辺りが明るくなるや自然と拍手が生まれた。
『──こちらのCMに出演されていますのは、一昨年華々しくデビューいたしましたETOILEのハルさんです。全国での放送は来月の……』
拍手が鳴り止む頃合いを見計らい、司会者から簡単に説明が成されていく。
その間、四方から飛んでくる視線を避けようと、姿勢の良かった葉璃の背中がどんどんと丸まっていった。
「…………」
俯き加減から、しまいにはつむじしか見えなくなったので、彼が今どんな気持ちでいるのかを察した聖南は華奢な肩をギュッと抱き寄せた。
── ほら見ろ。手練の業界の奴らがこの反応だ。あのCMが世に出たらどうなるかなんて企画の段階で分かってた事じゃん。
葉璃がアイドルとしてデビューすると決まった日から、先輩として、恋人として、公私共に見つめ続けてきた聖南にとって、今回のCMは彼に課された数々の極秘任務成功を総動員しても足らないほどの価値があると思えてならなかった。
今後さらに輝くであろう葉璃のアイドル人生に大きな箔が付くのは言わずもがな、放映後はこれまでの比ではないほどのトップスピードで聖南の背中を追ってくる。
そんな確信に近い予感が、企画段階から〝セナ〟にはあった。
だからといって大袈裟に持ち上げると、葉璃は確実に尻込みする。話をした時点で、謙遜でも何でもなく『俺なんかじゃ無理です』と本気で一蹴する姿が目に浮かんだ。
是が非でも葉璃にこの仕事を受けてほしかった聖南は、奥の手よろしくわざわざ社長から発表してもらったのも、そういう理由からである。
もちろん、内容次第だと条件を付けた上で、だ。
『──それではここで、ぜひともハルさんにCM撮影の裏話など頂きたいのですが……。ハルさん、ステージの方へよろしいでしょうか』
「え、……えっ?」
突然の事に視線を泳がせながら顔を上げた葉璃は、一度司会者の方を見るもすぐに聖南へ向き直った。
「す、ステージって……聖南さん、ステージって……!」
「……無茶振りだな」
さすがの聖南もぼやかずにはいられない。
場を盛り上げようとした司会者に罪は無いが、葉璃にとって非常に難しいアドリブを振った事については立ち上がって物申したい気持ちになった。
〝ハル〟を知る者らも、揃って心配げな視線を葉璃に向けている。
「とりあえず行くか」
「えっ、行くって……! 俺何も考えてなかったんで頭真っ白ですよっ?」
「俺が隣でアシストするから」
「えぇ……っ」
小声でおたつく葉璃を、聖南は問答無用で横抱きした。
お呼びがかかったからには、いつまでも皆を待たせるわけにはいかない。急遽ではあるがこれも仕事の一つだ。
頭が真っ白だと言うなら、抱き上げたついでに壇上に上がり葉璃をサポートすればいいだけだと、聖南は足取り軽く歩んだ。
「あ、あの……っ、これヘンに思われませんか? 聖南さんに運んでもらうだなんて、みんながどう思うか……っ」
「何言ってんの。俺はETOILEのプロデューサーなんだぞ? 当然個々の仕事にも口出す権利があるし、いつだって葉璃と恭也をサポートできる立場でもある」
「…………」
移動中も聖南の腕の中で葉璃は不安そうに見上げてくるが、こういう時にふと思う。
大いに私情を挟んではいたものの、ETOILEのプロデューサーを買って出て良かった。
公の場で出過ぎた真似をしようと咎められず、必要以上に葉璃を構っても怪しまれる事がない。
突然スピーチを求められた葉璃は、そもそもこのコスプレパーティーにすら乗り気でないのだから、そこへさらにイレギュラーに対応させるなどただただ可哀想だ。
隣に聖南がいるかいないかの違いで、場数を踏む良い機会であることに変わりはない。
「司会者の受け答えは俺がする。仲介役になるから、葉璃は俺に聞かれたことだけ答えたらいい」
堂々とお節介を焼く気満々で、少しの緊張感も無い聖南はそう小声で言うと、ゆっくりと葉璃をスタンドマイクの前に降ろした。
すると葉璃も、覚悟を決めたように表情を引き締め、小さく頭を下げる。
「……分かりました。ありがとうございます、聖南さん……」
ともだちにシェアしよう!

