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第32話 梧桐

 頼隆は、空を見上げた。 ー蒼い---ー  雲のひとつもない、限りなく澄み渡る青が何処までも続いていた。深さにも広さにも高さにも極みがない。蒼穹の果ての無さにただただ見入っていた。 「どうした、別嬪さん。」  ふいに投げかけられた言葉に、振り向くと異様な長身の男が後ろに立っていた。輝信だ。頼隆は無視して目の前の大樹に目を移した。 「後ろを取られるなんざ、あんたらしくも無ぇなぁ~。どうした?」 「棄て置け。」 と言ってから、ふっと思い出したように後ろを振り返った。相変わらず適当に結った髷に派手な色目の小袖、袴が深藍なのが救いだ。 ー趣味の悪いヤツだ---。ー  だが、輝信の異国混じりの容姿には、それが妙に様になるのが癪だった。 「いい加減、その呼び方は止めんか。我れはもぅ三十路ぞ、じきに不惑にもなる。」  不機嫌そうな顔に、色の薄い瞳が、やれやれ---とでも言うように笑う。 「美人はいくつになっても美人だ。いいじゃねぇか。」 「痴れ者が---」  輝信の目が、佇む頼隆を上から下まで眺める。生成りの小袖に縹の袴---背には紅葉の唐紅が一枝、色を添えている。以前よりは若干短めだが、垂髪を肩のあたりで結わえている。 ー直義が、髷にするのを嫌がる。ーという理由で、日常は相変わらず適当に結わえて済ませている。それが妙に徒めいて色っぽい。   「本当に男なんだよな---」 「なんじゃ?」  キリッと睨む眼は眼光鋭く、切れ長の黒目がちの瞳は威厳すら湛えているが、しかし美しい。細面の面差しも白磁の肌も薄紅の唇も全く時の流れを無視してそこにある。 ー本当に人間なのか?ー と輝信はたまに不思議に思う。 「観音様みてぇだな。」  ぼそっ---と呟くと、柳眉が、ひくっ---と吊り上った。 「あ?」  殴りかかってきそうな勢いを笑顔で制して、やはり大樹を眺める。 「普通にしてりゃあ、菩薩にみえるんだがな---。」  戦場に立てば鬼になる。一旦刀を抜けば、血に飢えた夜叉になる。---それは血筋のせいだ---と直義から、ちらっと聞いた。だが--- ー人間なんてなぁ、そんなもんだ。ーと輝信は思っている。ただ、頼隆は『桁が違う』だけの話だ。その振り幅の大きさは、つまりはー素直なだけーのことだ。雑多な欲も打算も無いから振りきれる。 ーだから、惚れるんだろうなぁ---。ー 「なんか言ったか?」  頼隆の眼がジロリ---と輝信を睨んだ。 「いや---ところで、直義のダンナはどこにいる?次の段取りをしに来たんだが---。」 「二の丸だ。柾木が伏せっていてな。政務が思うように捗らん。」 「悪いのか?」 「うむ---」  あらかたの領主が直義に降り、国内の平定の目処がついた頃、柾木は病に倒れた。 ー私も、もう年を取りました---。ー  見舞いに訪れた直義と頼隆に、柾木はあの狐目を細めた。薄かった髪はなお薄く、真っ白になった。狐の目は深い皺の中から静かに笑った。  ー殿は立派に天下を平定された。---思いもよらず弟---柚葉とも再会を果たし、共にお側にお仕えできました。---私には思い残すことはありません。ー ー何を気の弱い---お前には、まだまだ働いてもらわねばならぬ。ー  手を握って励ます直義に、柾木は被りを振って言った。 ー私の役目は終わりました。殿には御前様がいらっしゃる---設楽どのも---。ー  その眼がふいに頼隆を見た。 ー御前様には、数々の御無礼の段、どうぞご容赦を---。ー ーいきなり殊勝なことを---気味が悪いわ。それに---ー  頼隆は、苦笑を漏らし、溜め息をついた。  この稀代の策士が世を去ろうとしているのが、無性に寂しかった。 ーその呼び方はもう止めよ、柾木。我れは久神政権の執政ぞ。もぅ妾などではないわ。ー ーはい。ー と柾木は小さく笑った。 ー頼隆さまは、立派に大軍師、執政にお成りあそばした。私が思ったとおりのお方でございました。ー ー思った?ー ーあなた様は鳳の雛。いずれは高い空に羽ばたくべきお方--それゆえ敢えてお厳しくさせていただきました。ー  柾木の狐目が満足そうに、戸惑う頼隆を見つめた。そして、その思いに先んじるように言った。 ー雛鳥は、躾けが肝心でございますから---ー  頼隆は、柾木の言葉に予想どおり口を尖らせた。相変わらず素直な方だ---と苦笑した。 ーだから、直義の悪ふざけに乗ったというのか?ー ー悪ふざけではございません。殿はいたって真摯に頼隆さまを求めていらした。故にお手に出来るよう力を尽くすのは家臣の勤めにございます---それに---ー ーそれに?ー ー大事なる雛なれば、充分に育つまでは目が離せませぬ。ー  柾木は当然の如く、言った。多分、床の中でなければ、思い切り胸を張っているだろう---と頼隆は思った。  実のところ、あの座敷牢は『頼隆を守るため』のものでもあったことは、頼隆自身も気付いていた。外部の者の立ち入れない城の奥深くの閉ざされた空間---すなわち『暗殺者』の近寄れない場所に頼隆を隠し、食事すら直義の膳ともに作らせ、毒見も完璧だった。  そして---直義という男を、その『存在』だけを頼隆の心に『刷り込む』---。柾木の『策』は慎重かつ迅速に実行された。 ー育つ前に蛇や狢に襲われたり、他の鳥に懐かれたのでは、元も子もありませぬゆえ---ー  頼隆は溜め息をついた。それを直義の瞳が優しく労っている---柾木は己れの策の『成功』に満足そうに微笑んだ。 ー太平を司る鳳凰は番(つがい)にございます。どれほど大きゅうなっても、あなた様は殿の相方(つま)。それをお忘れくださいますな---。ー  もはや苦笑いするしかなかった。 「柾木は、未だに我れを女扱いしておる。」  憮然としてボヤく頼隆に、輝信は、う~ん---と伸びをしながら言った。 「まぁ確かに、相方(つま)だなぁ、お前さんは。」 「お前までそのような無礼なことを言うか!」  頼隆は、むっ---として抗議した。 「だって、お前さん、俺が口説いたって乗らねぇだろうが---。」  輝信の明け透けな物言いに、頼隆の顔が真っ赤になった。  「何を言っておる。我れは男ぞ。だいたいあのような事、他の輩となぞ---」  思わず俯く頼隆に輝信は、またあっけらかんと笑った。  「初心いのぅ。---直義のダンナがぞっこんなわけだ。」 「た、たわけ者が!」  照れ臭さにそっぽを向く頼隆を輝信は、ニヤニヤしながら眺めた。  正直、輝信に下心が全く無くなったわけではない。むしろ戦場で顔を合わせる度に、直義が妬ましく思えたのも事実だ。  殊に、散々敵を斬り倒して、血飛沫をたっぷりと浴びた満足気な頼隆の微笑みは、妖艶この上なかった。に---と笑いかける酷薄な笑みに背筋がぞくぞくした。 ー俺ぁ、鬼だからなぁ---。夜叉に惚れちまうのかもなぁ----ー  互いに血にまみれた姿のまま、交合ってみたい。ご大層な分厚い鎧を引き剥いで、血の匂いのする白い肌に吸い付いてみたい---と昂る気持ちは止まなかった。  幾度もこっそり誘い出そう、仕掛けようとは試みたが、柾木と柚葉は勿論、幸隆や政隆、直隆にも阻まれた。 ー四天王の警護は厳しいねぇ---。ー  そうボヤく輝信に、直義は笑いもせず、 ー当然じゃ。ー と睨み付けた。  なんとか隠れて口説こうにも、当の頼隆自身が、つれないことこの上ない。 ー鉛玉を喰ろうてみたいのか?ん?ー と、短筒を喉元に突きつけられ、追い飛ばされた。 ー我れを女扱いしたら、風穴が空くぞ。ー  キッ---と睨む目を蕩けさせてみたいという輝信の願望はいまだ叶えられないままだった。  ー直義のダンナとは仲良くしてるくせに、そう冷てぇこと言うなよ---。たまにはダンナ以外の男に優しくしても、いいんじゃねえか?ー。  と自棄半分で皮肉を返せば、 ー我れは男好きなわけではない。直義は----出逢うてしもうたが、運のツキであっただけじゃ。そなた、鮫とやらの餌になりたくなければ、その口は閉じておけ。ー  と、惚気られた挙げ句に、きっちり脅されて釘を刺された。 ーまったくよぉ---。ー  色事に呆ける性質ではないが、男ぶりには自信がある。口説こうと思えば、男女問わず口説き落とせる自信はあった。が、頼隆にはてんで相手にされない。相手にされないのはいいが--- ー直義に何かあったら、アイツはどうするんだ?ー  気にかかる。九神政権の屋台骨の半分は、あの細いが逞しい肩に掛かっている。殊に戦となれば、準備から後の始末まできっちりと無駄なく詰める。後の復興整備の差配も迅速で的確だ。直義を中心に据え、周辺を見事に固めていく。 『執事どのの薫陶は大したもんだ---。』  職務に勤しむ頼隆の様子を見守る柾木に、そっと皮肉混じりに洩らすと、 『資質がおありでしたから---。』 と鼻高々に返された。 ー直義に何かあったら---ー  頼隆はおそらく中心には立たない。いや、立てない。今でさえ軍議や評定自体には顔を出さない。大概は別室で成り行きに耳を側立てている。顔を出さねばならない時には頭巾をつけ、直義の後ろに控えている。素顔を知っているのは政権の中枢にいる数人と白勢の古参の者だけだ。 『我れが顔を出せば、舐められる。』  頼隆は自分の屋敷と直義の居室からでも、国は動かせる---と断言していた。 ーならば---ー  直義に『何かあった』時には、頼隆はどうするのか---、その動向によって政権の主体が決まる。それは、誰もが考えていることだった。が、その『ご機嫌取り』も出来ない場所に頼隆は居る。 ー周到なこった---。ー  取り敢えずは、機嫌を損ねないようにしとくか---と思いながら、輝信は、ついちょっかいを出さずにはおれない。 ーたいがい未練だなぁ、俺も---。ー  輝信は人知れず頭を掻いた。 ー直義に何かあったら----ー  有無を言わさず頼隆を引っ拐って、七瀬のどこかの島に隠して、波の音でも聞きながらゆっくり口説こう---と密かに企んでいるのも事実だった。 ー共白髪で、のんびり釣りなんかするのも悪かねぇよな---。ー 「で、あの執事どのは、なんと言っていた?」  輝信は、相変わらずむくれ顔の頼隆に、なだめすかすように笑いかけて訊いた。 ふ---と頼隆の表情が真顔に戻った。 「まことの鳳凰が飛び来る、平和な国にしてくれ---と。」  頼隆は顔を上げ、蒼穹に枝葉を伸ばす大樹を見た。輝信もその視線を追った。   梧桐の真っ直ぐな幹はどこまでも伸びて無限の空に届きそうな気がした。

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