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第33話 散華
輝信は、ひとり、あの梧桐の木の下にいた。穏やかな風が茶色の髪を緩やかになびかせる。
ーみんな、逝っちまったなぁ---。ー
輝信は木漏れ日の淡い陰りに身を浸して、呟いた。
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ある秋の終わり---国内の平定を果たし、新しい政権を構築する政務の最中に、直義は急な病に倒れた。
突然の事態に、当然、周囲は動揺したが、頼隆がこれを収めた。
ーお疲れになっただけじゃ。しばし、お身体を休めれば治るー
九神政権は、既に成人していた直義の嫡男が継ぎ、柚葉と輝信が補佐を託された。次男は既に己のが家を建て独立した領主となっていた。
頼隆も政務から離れ、師幾城のあの屋敷で、直義の看病にいそしんだ。
ー甲斐甲斐しいねぇ---ー
茶化す輝信を横目で睨みながら、直義の汗を拭き、夜着を直す---その手は穏やかな優しさに満ちていた。
容態は---なかなか良くはならなかった。
「儂を憎んではおらぬのか。」
苦しい息の下で何度も問う直義に、頼隆は静かに微笑った。
「今さら、何を---」
手拭いを冷した水で絞って、額にぴち---と当て、ー子どものようじゃなーと小さく呟いた。白いものの目立つようになった耳許に顔を寄せて囁いた。
「我れに討たれたくば、早う良くなれ。快癒いたせば、存分に切り刻んでやろうぞ。」
微かな苦笑いが二つの唇から洩れた。その日は来ないことを二人ながら察していた。
けれど、頼隆は来ることを願わずにはおれなかった。それは直義とて同じだった。
頼隆は、細くなっていく直義の脈を引き戻すように、痩せた肩に頬を埋めた。
「我れを置いて逝くな---」
直義の手が、そっ---とその髪を撫でた。
西陽の強い夕暮れ、直義の容態はあやしくなった。頼隆は本丸の居室に直義を移し、所縁の者達を呼んだ。子らや側近達が控え、輝信も駆けつけてきた。
末期の近いことをさとった直義は、それぞれに後事を託し、言葉をかけた。
ー後を頼む。ー
輝信も、土気色に淀んだ直義の手を握り、
ーおうよ、任せておけ。ー
と誓った。
場に呼ばれた者達は皆、一様に涙を拭っていたが、枕辺に寄り添う頼隆の目に涙は無かった。
最期が近づいた時、直義は弱々しい手で枕の下から何かを探り、頼隆に手渡した。赤い紙に包まれたそれが薬包であることは、誰の目にも明らかだった。
受け取った頼隆はす---と座を外そうとしたが、直義の手がそれを止めた。
「ここで---」
頼隆が、ふっ---と小さく笑った。
「どこまでも疑り深いのぅ---。」
「そう---では----な---い。」
「わかっておる。」
頼隆の手が、直義の乱れた髪を撫で付け、枕元の白湯をとった。
柔らかな笑みを浮かべ直義に囁いた。
「良い夢を見させてもろうた---。感謝しておる。」
『天下』という夢---この男と出逢う事がなかったら、見ることすら無かった夢を追いかけて、共に走った。きっかけはどうあれ、楽しい夢ではあった。そして---
ーもはや、そなた以外の者と『夢』を共にする気は、無い----。ー
頼隆はさらさら---と湯に薬を溶いた。白い粉だった。毒---であることは明白だった。湯呑みを手に取り、直義をじっと見た。二つの目が、やはり頼隆を見つめていた。
「頼隆さま---!」
「頼隆---!」
半ば叫びに近い声と共に直義の嫡男が、輝信が手を差し伸べた。が、その手は遠く届かなかった。頼隆は静かに微笑んで、それを一息に飲み干した。苦し気に喉を押さえながらも頷いて、直義の傍らに身を寄せた。直義の震える手が頼隆の頬に触れ、その背を抱き寄せた。頼隆の青ざめた唇が震えながら、だが幸せそうに呟いた。
「先に----行っておるぞ。---」
『鬼神』白勢頼隆の最期だった。
直義は、事切れた頼隆の背をしっかりと抱いたまま、柚葉を手招きし、二言、三言囁いた。柚葉は一瞬身動ぎしたが、恭しく礼をして下がった。
ー悪いな。これは連れていく。ー
輝信にニヤリと笑って、直義もほどなく息を引き取った。辺りは既に黄昏に染まっていた。
三日の後、直義の葬儀は盛大に執り行われた。その前日、頼隆の遺体は白勢政隆、直隆らを初めとする白勢の由縁の者達の隣席のもと密かに荼毘に臥され、その遺骨は一部を残して、直義の棺に納められた。
ーお屋形さまの御遺言にて---ー
柚葉は平伏して詫びを述べ、密かに残した幾ばくかの遺骨を直隆に渡した。九神に仕えてから初めて、の直義の命に背いた行為だった。
ーこれは---お兄上さまのお傍に---ー
直隆は黙って頷き、その白い一握りの骨を福紗に包み、懐にしまった。
直義の葬儀の後、政隆らとともに帰国した直隆は、改めて『白勢弥一郎頼隆』の葬儀を行い、墓所を造った。
佐喜の幸隆の墓所の傍らに作られたそこには、墓碑が建てられ、一握りの遺骨が納められた。
頼隆の喪が明けて後、直隆は改めて家督相続、当主継承の儀式を行った。
-----そして、九神直義の墓所には直義の墓碑の傍らに、小さな墓石がひとつ、『八雲御前』と刻まれて据えられた。
ー盲執---か。ー
輝信はふぅ---と息をついた。
天下までも手にした男の凄まじいまでの『愛執』を見せつけられた。
『鬼』を抱く頼隆を残していくのが、不憫だったのかもしれない。---とも思った。後の世の憂いとなると思ったのかもしれない、とも思った。
ーだが---ー
やはり、『恋慕』であったのだろう---と輝信は思った。どちらにとっても、生涯で唯一度の、唯一の『恋』。屍すらも誰にも渡したくないほど惚れて、惚れられて---。
ー番(つがい)---か。ー
幸せじゃねぇか---ー呟いて、輝信はひときわ大きくなった大樹を見た。夫婦の鳳凰が、ゆるりと憩うているような気がした。
『見守っててくれよな---』
木漏れ日が、眩しかった。
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「刻限にございます。」
輝信は、控えていた家臣の声に振り返った。幾度かの変遷があった。直義の遺児は若くして世を去り、遺志を全うできなかった。白勢は一領主に留まることを選び、佐喜を守り続けた。
輝信が直義の建てた政権を継ぎ、生き延び、年をとった。そして---
「本日は総振れにございます。帝。」
「うむ。今、行く。」
応えて、輝信は大樹を今一度、見上げた。
葉擦れの音がさわ---と耳を掠めた。
ー了ー
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