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第3話 ヴァンパイアの特性についての考察〈真人目線〉
「なるほど……吸血時には、対象に痛みを感じさせないよう、媚薬成分のようなものが出るんやな……蚊みたいに、痛覚を麻痺させ刺されていることに気づかせないようにするっていうアレかもな……うん、確かに痛くはない、ずっぽりいかれてもうてるのに、全く痛くないうえに……ふぅ……くそっ」
冷静に分析をしようと頑張っているが、さっきから勃起が収まらない。
周にバスローブを着せてベッドに運んだあと、シャワーを浴び直して三回も抜いたのに、まるで興奮が治まらないのである。
宇多川真人は頭からタオルをかぶり、素っ裸のまま腕組みをしてブツブツ考察を深めながら、広いリビングの中をウロウロウロウロと歩き回っている。
白い頬を桃色に染め、うっとりと恍惚の表情で目を閉じ、一心不乱に真人の血を飲んでいた周の姿を思い出す。腕に縋って、赤い唇を血液でさらに赤く染め、興奮しながら血液を求める周の姿は思いの外可愛らしくて――正直グッと来た。この数年、そういうことからはめっきり縁遠くなっているせいで、とっくに枯れ果てたとばかり思っていたのに、だ。
ただそれは、純真無垢なものへ向ける『可愛い』という感情ではない。淫らさを伴った愛らしさに、真人は不意打ちの鉄拳を喰らったような気持ちになったのだ。荒みきった目つきや、人間不信丸出しの態度からのギャップがすごすぎる。
真珠のような白い牙を突き立てた瞬間の、歓喜を伴ったあの表情。おそらく、周自身もひどく興奮していたのだろう。風呂から引っ張り上げた時、彼の若い性器がしっかりと上を向いていたのは……おそらく、湯のせいだけではないはずだ。
ベッドに寝かせた周の身体も、素晴らしく美しかった。
通常の十六歳がどのような肉体をしているのかなど知る由もないのだが、均整の取れた体付きは、まるでモデルのようにきれいだった。ざっとみたところ、周の身長は約165㎝程度。多少痩せすぎていることが気になるが、どこにも怪我はしていない。
うすく紅を落としたかのような儚げな乳首や、やわらかそうな下生えの中からそそり勃つペニス……普段の真人であるならば、十六歳男子の肉体に関心を抱くことなどなかっただろう。が、今は周から注ぎ込まれた妙な麻薬成分のようなもののせいか、なにもかもが性的に見えてしまう。真人はそんな自分に激しく動揺しながら、そっと周にバスローブを着せ、布団をかけて寝室を出てきた。
「っ……ハァ、なんやこれ……誤算や……ふっ、ぅ……」
歯でも磨いてスッキリしようと思ってバスルームに戻ったが、ふたたび下半身に興奮の波が襲ってきた。すっかり水の抜けた空っぽの浴槽を見つめながら、真人は再び自慰に耽った。
――ヴァンパイアが、あんな感じやとは思わへんかったな……。もっとこう犯罪者っぽい感じの、顔色悪くてヒョロ長いおっさんを想像しとったのに、あんな可愛い子が来るなんて……誤算や。……これじゃ僕が犯罪者になってまう……。
しかも、吸血行為があんなにも淫らなものだとは。もっと獣っぽく、ギラギラと睨みつけられながら食いつかれると想像していたのに。もし周が気を失わなかったら、一体何がどうなっていたのか……考えるだけで震えてしまう。相手はまだ子どもなのだ。
――『僕の血、吸ってもいいですよ?』、なんてカッコつけて言うてもうたけど、毎回毎回あんなエロい感じで来られたら、やばいで……あかんでくっそぉ……!
「ん、ン……っ」
びゅる、びゅく……ッ……とバスルームの壁に迸る精液の量も、普段の非ではない。自分のどこにこんなポテンシャルがあったのかと、驚いてしまうほどだ。
学生時代に交際した女はいたが、その女にもここまで興奮したことはなかった。勉強や研究にばかり没頭する真人に愛想を尽かし、引っ叩かれ、勝手に離れていってしまった恋人だった。そしてその三日後には、新しい男の腕にしがみついていて……いや、思い出すのはやめよう。むなしくなる。
「……しかし、念願は叶った。ヴァンパイアを確保できた……。まさか、ほんまに引っかかってくれるとは思わへんかったけど」
ちなみに、床に撒いていたのは紛れもなく真人の血液だ。週に一度採血し、罠を張るために保存しておいたのである。なかなか派手に見えたが、量にして500ml程度。ヴァンパイアを捕獲するまで何度でも試してみようと思っていたが、意外と早く、その日は来た。
ようやく少しスッキリしたところで、真人はパンツを履いてTシャツとズボンを着込むと、ダイニングテーブルの上に開きっぱなしになっていたラップトップの前に座った。テーブルの上にはもっさりと書類が積み重なり、とうてい食事などできるような環境ではない。といっても、滅多にここで食事を取ることはないのだから、真人にとってはなんの問題もないことである。
真人は一冊のファイルを手に取って、数枚並んだ写真を見つめた。
写っているのは人の腕だ。痩せ細った白い腕に、キラキラと繊細にきらめくものがびっしりと付着している。
眺めているだけならば、それはとても美しく、まるでアクセサリーのように華やかなものにも見える。だがそれは、人体を蝕む不治の病だ。
「あの記述が本物なら……あの子の血液は、何万人の患者を救う力になる」
『水晶様皮膚硬化症 』。
真人が人生をかけて根絶を望む、難病の名だ。難病指定された病の中でもっとも根治が難しいとされる『level5』にカテゴライズされている。
最初は、肌に小さな水ぶくれが生じる。軽いもののように見えてなかなか消えず、むしろ数を増やしてゆく。それは徐々に徐々に硬くなり、透明度の高い、柱状の水晶の様な形状に硬化する。
硬質化した皮膚は徐々に皮膚を突き破り、内臓を傷つける。皮膚の表皮から真皮へとたどり着き、さらに深く根を張ってゆくのだ。そこまで病巣が広がると、全身に針を穿たれているようなものだ。薬を使わなければ、激痛のあまり気が狂うと言われている。
分かっているのは、ヒトからヒトへ感染する病ではないということ。そして、発症する原因は不明であるということだ。また、病状の進行速度は遅いものの、それはいずれ内臓にまで到達し、十年以内に100%死に至る――ということ。
この難病に対する治療法は、いまだに発見されていない。
対処療法として、硬質化の進行を遅らせ、痛みを和らげる『抑進剤 』が存在するのみなのだ。
この抑進剤がまたくせもので、痛みをほぼ完璧に除去する代わりに、使いすぎると精神を病むという副作用があるのだ。徐々に感情は鈍麻し、幻覚・幻聴に苦しめられる。使用にはかなりの慎重さを要するものなのだ。
現在、水晶様皮膚硬化症の患者は、全国に二万人程度。
治療法が確立されないまま、すでに一世紀近くが過ぎようとしている。
『水晶様皮膚硬化症』の治療法の確立こそが、真人が学生時代から取り組んでいる研究課題なのである。
+
ヴァンパイアを捕獲しようと思い立ったのは、半年前だ。
大学の書庫整理の際に、古い文書を発見したことがきっかけだった。
『水晶様皮膚硬化症』は時代の流れに突如発生しては突如消えゆくもので、過去には平安時代、室町時代にもその記述が見られる。見た目の美しさや禍々しさから、当時それらは『祟り』の類にカテゴライズされ、治療を目指すより前に、神頼みでなんとかしようとしていたようだ。だが、この現代においても相変わらず治療法が見つかっていないのだから、ひょっとしたら本当に、これは『祟り』なのかもしれない――と、真人は科学者ならぬ思考に沈むこともあった。
だが、偶然手に取ったその本には、こんな記述があったのだ。
『血 喰らう鬼から流れし血汐 たちどころに障りを打ち払う』と。また断片的に、『鱗が融け』や『腑内の傷 癒ゆ』と。
その書物に病名は明記されていないものの、書かれていることは99%『水晶様皮膚硬化症』のことだと、真人は確信していた。そして、かつて滅びたと言われている吸血鬼の血液で、その病が治癒したケースがあるのだと考察しているのである。
ヴァンパイアの生き残りなどいるわけがない、と世間では言われているが、いないと証明されたわけでもない。といっても、今までに実際に存在を確認したというニュースは見たことがないので、珍しさとしてはだいたいツチノコレベルといったところだろう。
だがこうして、現にヴァンパイアは生き残っていた。あの少年は本物だ。逸る気持ちを抑え込むように、真人はぐっと拳を握りしめた。
――本当に、あの子の血の中に、何かヒントがあるならば……。
「……頼む」
祈るような気持ちで、拳を額に押し当てる。
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