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第8話 昔のこと〈真人目線〉
双子の宿命だろうか。
子どもの頃から、真人と明人は比較されることばかり。
二人の友人達は、真人を『変なほう』、明人を『まともなほう』と呼んでからかっていたものだった。
自分が興味を惹かれたものごとにしか関心を示すことができなかった真人には、あまり友人がいなかった。勉強やスポーツは人並み以上にこなせたけれど、人間社会、それだけではうまくいかないらしい。真人は『暗い』『キモい』『近寄りがたい』の三拍子で嫌われた。成長するにつれ真人自身も徐々にそれを気にするようになっていた。
対する明人は、名前の示す通りの明るい少年で、友人がたくさんいた。彼の周りにはいつも人が集まって、わいわいと会話が弾み、とても楽しそうだった。明人は、成績は人並みだがスポーツが得意で、中学ではバスケ部の主将を務め、人望にも熱い少年だった。
比較されるからと言って、兄弟仲が悪かったわけではない。むしろ、二人は仲が良かったと思う。
明人は人一倍他人に気を遣う繊細な人間で、人付き合いがうまいように見えるのは、ひとえに彼の努力の賜物だった。だが、真人と二人の時は何の気兼ねもいらないといい、くつろいだ表情で過ごしていたものである。
ゲームをしたり、同じ部屋で違うことをしていたり、何となくテレビを眺めながら会話もなく食事をとったり……そういう日常は平和で、穏やかで、真人自身も明人のことを大切な片割れだと思っていた。
そして路生は、子どもの頃から二人の良き相談相手だった。三つ年上の路生は知的で優しく、近所でも評判の美少年。しかも京都府内でも有数の名門高校に通っていて、双子にとっては兄のような存在だった。
人付き合いに疲れやすい明人を励まし、人に興味を抱かない真人の性格を肯定した。と言いつつも、「もっとうまくやらなあかんやろ! そんなんじゃ彼女もできへんで」と真人の尻を叩いてもくれていた。明人には優しいくせに、何で僕にはそんなことばかり言うのかと文句を言ったこともある。
その頃――中学二年生の頃には、明人と路生はすでに交際していたらしい。
きかっけは、明人からの告白だったらしい。
いろいろと相談に乗ってもらっているうちに明人が惚れ、それを路生が受け入れたのだ。そうなるのは自然なことに思えたし、真人は二人を祝福していた。路生と交際しはじめてから、明人は目に見えてたくましくなったからだ。小さなことで悩まなくなり、表面的な愛想笑いをしなくなった。
真人に隠れて、二人の関係が進展していることにも、薄々気づいていた。真人とて思春期真っ只中であったから、若干の気まずさを感じずにはいられなかったけれど、二人はとても幸せそうだった。
だが、真人たちが高校に進学した春、明人の身体に変化が現れた。
ある日突然、明人の膝に奇妙な水膨れが出来ていたのだ。まずは皮膚科にかかったが変化はなく、それは徐々に硬くなりはじめた。
皮膚が硬く盛り上がり、少しずつ透明度を増していく頃には、明人は自力では立ち上がれなくなっていた。
『水晶様皮膚硬化症』という不治の病に侵されている――その事実に、抗うことはできなくなった。
歩くことも、バスケをすることもできず、明人はひどく荒んだ。家の中は日に日に散らかり、両親はいつも暗く、悲しげな顔をしていた。育ち盛りだった明人の病状の進行は殊の外速く、何の手立ても講じる間もなく、いつしか入院治療を余儀なくされた。
だが、すでに東京の大学に進学していた路生には、明人はこの事実をひた隠しにしようとした。絶対に知らせるな、路生の人生を邪魔したくない、と痩せて力のなくなった手で、真人の手首を掴んで――
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「……え? ひょっとして、死に目に会えなかった、とか……?」
「いや。異変を感じた路生が、自分から戻って来たんや。それで、なんで早う言わんかったんやって激怒して……」
「そりゃ……どっちの気持ちも分かる気はするけど」
「そっからは大学休んで明人のそばにおったんやけどな。……そのあとすぐ、逝ってもた。まだ、十六歳やった」
「……」
そういえば、周は今十六歳だな……と真人は思った。そう思うと、なんだか不思議な感慨深さがある。神妙な顔で俯いている周を見ていると、「こんなにも若かったのか」と改めて感じてしまう。
カレー屋でする話ではないので、真人は適当に車を走らせながら思い出話を周に聞かせた。後ろへ後ろへ流れてゆく夜景とともに、過去の様々な感情と景色が消えてゆく。真人にとって、明人の死はすでに過去だ。受け入れ、乗り越えることができていると思っている。
だが路生は違う。ああして手っ取り早い男とセックスをして憂さ晴らしをするようになったのは、明人の三回忌が終わった頃からだろう。セックス依存症という診断がつき、一時期は真面目に治療しようと頑張っていたようだが、今はもう開き直ってしまったようだ。平気なような顔をしているが、付き合いの長い真人には、路生の情緒不安定が手に取るように分かってしまう。
だが、真人はどうしてやることもできない。……いや、できなかったと言うべきだろうか。
明人の身代わりのように、路生を癒してやりたかった。だが、話はそんなにも簡単なものではない。いくら顔が似ていても、遺伝子配列が同じでも、真人は明人ではないのだから。
路生の涙を思い出しそうになり――真人はゆるく首を振った。
「重い話やったな。すまん」
「いや……俺が聞きたがったんだし」
周は早口にそう言った後、はっくしゅんとくしゃみをした。今夜はひどく冷え込んでいるというのに、エアコンをつけるのを忘れていた。
「あっ、寒い? ごめん、エアコンつけんの忘れてた」
「ううん……ぐす」
「風邪でもひいたら大変や。すぐ帰ろう」
ハンドルを切り、最短ルートで自宅までの道を急いだ。周はずっと無言のまま自らの腕を摩っている。音を絞ったカーラジオからは、ぼそぼそと夜のニュースが流れている。
ちら、と運転しながら周のほうへ視線を遣る。何やら考え事でもしているのか、じっと一点を見つめたままだ。時折鼻を啜る音が聞こえてくる意外は、とても静かだ。
やがて自宅に到着し、二人は揃って車を降りた。だが、周は二、三歩歩いたところでふらりとよろけ、膝をついてしまう。真人は慌てて駆け寄った。
「どうした、大丈夫か?」
「……なんか、さむい」
「えっ……あかんな、やっぱ、風邪ひかしてしもたか。おいで」
ガレージの隅でへたり込んでしまった周に肩を貸してみると、その身体の軽さに驚いてしまう。少年らしい体つきではあるが、全体的に筋肉量が少ないような気がする。育ち盛りなのだから、もっと栄養を取らせてやらねばならないに決まっている。自堕落な生活を改めようと、真人は心に誓った。
ベッドに座らせて額に触れてみると、やはり少し熱い。表情を窺ってみると、ぼうっとしていて眼差しに力はなく、ひどく怠そうだ。
「うーん……体温計ないねんなぁ。どないしよ……とりあえず、寝とき。スポドリかなんか買ってくるわ。えーと、薬とアイスノンも」
「ま……待って」
「今日一日引っ張り回したし、疲れたんやろなぁ。まあ、待っとき。すぐ帰って……」
「待ってってば!」
立ち上がろうとしたところで、ぐいと腕を引っ張られた。もう一度ぼすんとベッドに腰を落とすと、周はすがるような眼差しで真人を見上げている。
「……ごめん」
「な、何が?」
「なんか……いろいろ、話したくないこと、話させちゃったんじゃないかって」
「え? ……いやいや、そんなん気にせんでいいて。もう十三年も前のことやねんから」
「でも……」
「意外と気ぃ遣う子やねんな、周くんは」
ぽん、と頭の上に掌を置くと、周の瞳がゆらりと揺れる。いつもは強そうな態度を貫こうとしているようだが、こうして心細げな顔をしていると、やはりまだ、庇護を必要とする子どもなのだと実感する。
もう何年も、この広い家でひとりきりの暮らしをしてきた真人だ。他人のペースに合わせて行動する必要のない生活は気楽で、ひとりで完結したこの世界に、他人など招き入れることはないだろうと思っていた。不運な境遇を知ってしまったからだろうか、周のことは、血液サンプルの採取という目的を超えて、守ってやらねばならないような気がしている。
真人は周を安心させるように微笑んで、さらりとした黒髪を撫でた。
「買うもん買うたらすぐ帰ってくるから。ゆっくり寝てたらええよ」
「……いらない、薬なんて」
「いや、でも」
「血……飲ませてよ」
「…………え?」
きゅ、と周が真人のシャツを掴み、思わずどきりとしてしまった。
なるほど、人の生き血は、ヴァンパイアにとっては風邪薬なんかとはくらべものにならないほどの滋養なのかもしれない。そういうことなら、いくらでも与える所存だ。ここにいてもらう限り、『いつでも吸血していい』という約束なのだから。
――で、でも大丈夫か、僕……。吸血ってことは、絶対またエロい感じになるやん……? え……大丈夫……?
あの風呂場でのことを思い出すや、急にドキドキと胸が早鐘を打ち始める。
しかもだ。頬をほんのりと火照らせた周の表情は、すでにじゅうぶんすぎるほどの色香を漂わせ始めている。真人は真顔のまま数秒固まって、この後どういう行動とればベストなのかということを計算した。
「……分かった。十分待ってくれるか」
「え……なんで?」
「着替えてくる」
「ああ……うん」
――十分で抜けるかな……。うーん、頑張るしかない……。
一回抜いておけば、多少惑わされても理性を保てると踏んだのである。だるそうな周をベッドに横たえ、どこまでも無表情を貫いたまま、真人は早足にバスルームへと向かった。
〈あとがき〉
真人、変人化学者のはずが全然変人にならなくて悩みます。。もっと変態になる予定だったのにめっちゃまともですやん……。
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