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第10話 いろいろな事情

  「……ん」  目を覚ますと、いつものベッドの上だった。ぼーっとしながら起き上がり、ぽりぽりと頭を掻く。昨日は一体何をしていたのか……ということを思い出そうと、周は自らの身体を見下ろした。だぼっとしたTシャツが着せられている。それで、思い出した。 「あー……うわ」  走馬灯のように蘇るのは、真人と致してしまったみだらな行為の数々だ。あたたかい血液の味に酔い、肉体の隅々まで満たしてゆく真人の血液に、細胞が歓喜して――  そこからのことは、断片的にしか覚えていないものの、真人に触れられることが嬉しくて、気持ち良くてたまらなかったことは鮮明に覚えている。  何度もキスをした。キスをしながら昂ったペニスを慰められ、何度達してしまったか分からない。もっともっとと欲張る周に、真人はいくらでも愛撫を与えてくれたものである。真人にも触れてみたくて、強請るように手を伸ばした。自分と同じように屹立している真人のそれを見ると嬉しくて、拒む真人のペニスを手に包み、果てる真人の表情にまた興奮して……。 「……はぁ。どうしよう」  どんな顔をして真人に会えというのか。照れくさいような、気まずいような、落ち着かない気分だ。物のないだだっ広い寝室をうろうろうろうろと歩き回りながら、周は唸った。 「ていうか……ヴァンパイアって、みんなあんなふうになんのかな。……血、もらうたびあんなことしてたら、俺……」  ベッドに腰を落とし、はぁ……と深いため息をつく。吸血したおかげで、おもだるかった肉体が軽くなっているのはありがたい。……が、ずっと寝室で呻いているわけにもいかない。そろそろ諦めて、リビングへ顔を出そうと気合を入れるるべく、周は自分の頬をバシバシと引っ叩いた。 「あーもう!! いつも通りにしてりゃいいんだ!!」  勢い込んでリビングへ続く廊下を歩いてゆくと、何やらいい匂いが漂ってくる。まったく家事などしなさそうな真人が、まさか料理でもしているのかと訝しみながらドアを開いてみた。すると。 「おう、おはよう」 「えっ……な、なんであんたがいんだよ!?」  キッチンで手慣れた風に味噌汁を作っているのは、路生だった。  米の炊ける良い匂いのおかげか、殺風景なリビングが妙に家庭的なものとなっているような気がする。フライパンの上にそっと卵を落としながら、路生は生ぬるい目つきで周の全身をじろじろと見回している。 「……えらい色っぽいカッコしてるやん」 「えっ……」 「今日は朝から会議あるし、きみの面倒みたってくれって頼まれてんけど……なるほど、顔合わすんが気まずいだけかもな」 「……」  完全に色々と見透かされていることが気恥ずかしく、周は何も言い返せなかった。顔ばかりが熱くなり、語らずとも、路生の言葉を肯定する結果に陥っている。  路生はハァーーーー……とこれ見よがしなため息をつき、苦々しい顔で呟いた。 「大事なヴァンパイアにナニしてくれてんねんあいつは……」 「べっ……別に真人だって、やりたくてああいうことしてたわけじゃねーし……」 「ほな、どういうことやねん」 「だ、だからそういうんじゃなくて……」  こうも刺のある目つきで睨まれては、周も戸惑ってしまう。ダイニングチェアにすとんと座って、周は頬杖をついた。 「吸血すると……そうなっちゃうみたいで」 「そうって? ああ……ひょっとして、例の麻酔成分、ってやつか」 「……うん」  以前、真人がもごもごと口籠もりながら説明していた内容を、路生は覚えていたらしい。さもありなん、というふうに頷きながら、路生はフライパンの蓋を開け、フライ返しで目玉焼きを皿に移した。空腹を刺激する旨そうな匂いに、ぐうう、と周の腹の虫が鳴く。 「……そういうエロい気分になってまう、ってこと? んで、セックスしてもたってこと?」 「し、してない!! そこまでは……」 「でも、したくなった?」 「……う、うーん……よく分かんねー。したことないし……」 「なるほど。君が成熟した雄のヴァンパイアなら、その技つこてヤりたい放題やな。女、もしくは男をヘロヘロにして吸血し放題やし、犯し放題や」 「そんなこと、しねーし……」  デスクトップや書類の類をぐいっと脇へよけ、路生が皿を並べていく。レタスとミニトマトの添えられたハムエッグに、味噌汁、ほかほかと湯気の立つご飯があっという間に並び、周は「おお……」と感嘆の声を上げた。 「うわぁ、うまそう」 「簡単なもんやけど、しっかり食いや。栄養失調やねんろ? 君」 「そ……そこまでじゃねーし。いただきます」 「はいどうぞ」  当然のように周の向かいに座り、まるでここの家主のような振る舞いで、路生は食事を取り始めた。この慣れた感じを見るに、路生はしばしばここで家事に勤しんでいるのかと勘ぐってしまう。 「……美味しい」 「ふふ、そうか。よかった」 「あの……あんたって、真人にも飯作ったりしてやってんの?」 「んーまぁ、昔はちょいちょいな。今はあいつも准教になって、忙しいみたいやし」 「……そうなんだ」  路生はじっと周を見つめていたが、突然げしっとテーブルの下の足を蹴ってきた。周が仰天して「いって!」と叫ぶ。 「姿勢が悪い。しゃきっとせんかい!」 「う……うるせーな」 「食事中に肘をつかない。茶碗はちゃんと持つ。ほれ、やれ」  クソビッチのくせに小姑みたいだ……と思いつつも、周は背筋を伸ばしてきちんと茶碗を持ち、卵の黄身に箸をつけた。ちょうどよく火の通った黄身は箸でつまんでも崩れることなく、舌の上でふわりと溶ける。味噌汁の味も濃すぎず薄すぎずでちょうど良く、身体の隅々まで染み渡るように美味かった。 「料理、うまいんだ」 「え? ……まあ、一人暮らしが長いからな」 「ねぇ、教えてよ、料理。ここにいる間、俺が晩飯とか作ることになったんだ」 「……君が? ふうん……」  周の言葉に、緩みかけていた路生の表情がまた険しく引き締まる。表情がころころと変わって分かり易くはあるのだが、美貌なだけに睨まれると怖い。 「ま……ええけど。ちょっとの間は面倒見たるか」 「あ、ありがと……」 「ここんとこ真人ともゆっくり喋ってへんかったし、ええ機会かもな」 「病院で会わねーの?」 「会うけど、仕事の話しかせぇへんから。しかもあっちは研究職やからなぁ。気づけば学生さん抱えてなんや忙しそうにしてるし……ほんっま、意味わかれへん」  箸を置いてグラスの水を飲みながら、路生はどこか醒めた目つきで書類の山を見つめている。付き合いが長い分、何やら色々ありそうだ。 「……なんか怒ってんの? 真人のこと」 「別に、怒ってるわけちゃうけど……。あいつもな、最初は俺のあと追っかけて医学部来たんや。せやからてっきり医師になると思ってたのに、臨床医にはならへんて言い出して」 「え、真人って医師免許持ってんの?」 「持ってるよ。まあ、真人のようなルートを進むそういう人間がいいひんわけやないけどな。……俺になんの相談もなく……」  ぶつぶつと独り言になりかけていたところで、路生ははっとしたように口をつぐんだ。 「ま、どうでもいいやんそんな話」 「う、うん……」 「そんなことより……今日もこのあと一緒に病院来てもらうで。検査の続きや」 「えー!? また!?」 「風邪気味かもって聞いてたけど、真人の血ぃで元気になったんやろ?」 「あー……うん、まぁ」 「それ食ったら、顔洗って着替えといで。ほれ、服もちょっと持ってきたったから」 「服?」 「着のみ着のままで逃げてきたらしいやん。君と僕ならそう体型変わらへんから、服も貸したってくれって頼まれたんや」 「あ……そうなんだ」  がさ、と渡された紙袋の中には、大人びた色合いの衣服がごっそりと入っていた。何だかいい匂いまでする。 「ありがと……」 「ふうん、礼儀作法はなってへんけど、お礼はちゃんと言えるみたいやなぁ」 「う、うるせーな」 「しっかし……何の色気もないこんなガキを、あの堅物がねぇ……」  路生は腕組みをして、ジロジロと不躾に周の姿を観察し始めた。二杯目のご飯をもりもり食べている最中なのだ、色気などあるわけがないだろうと言いたかった。 「だからそれは、致し方なく……。あいつだって、好き好んであんなことしたわけじゃねーだろうし」 「好き好んで、やったら大問題やで。君、まだ十六歳やろ? 性犯罪者や」 「だから違うっての。……俺だって、人から直接吸血するの初めてなんだもん。よく分かんねーんだよ」 「他の個体もそうなんの?」 「知らない」 「仲間、いいひんかったん?」 「俺の親は普通の人間だし。大覚醒遺伝とかいうやつで、俺の周りには全然。病院にはかかってたけど」 「へぇ、そういう裏ネットワークがあるとは聞いたことあったけど、ほんまにあんねやな」 「ま、情報漏れて、俺は捕まっちゃったわけだけどさ」 「……なるほどねぇ。その辺のことも含めて、ちょっと色々調べてみるかな……」  細い顎を撫でながら、路生は何やら考え事をし始めたようだ。周は一気にご飯を掻き込んで食べ終えると、「ごちそうさま」と言った。

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