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第12話 言いすぎた……

  「あの子のご実家は有名な資産家で、大きな会社をいくつも経営してる。彼も当然のように有能さを求められ、名門校と呼ばれる高校で優秀な成績を納めてた。……せやけど、半年前に水晶様皮膚硬化症を発症した」 「……そうなんだ。でも、死んだものとされてるなんて、大げさじゃね? ドラマや時代劇じゃねーんだからさ」 「まぁ、普通そう思うよなぁ。けど、いろんな家があんねん。面談した路生が憤慨するほど、彼の家族は冷徹だったらしい」 「路生さんが? そりゃ、よっぽどっぽいな」 「路生は、進行速度や家庭状況を鑑みてあの子を選んだんやろうけど……未成年やしなぁ、もう少し慎重にならんと」   そう言って、真人は空を見上げた。今日もまた秋晴れで、すっきりと高い空は痛いほどに青い。真っ白な病棟と青い空、そして色づいた樹々のコントラストは美しいが、建物全体を覆うかのような閉ざされた空気はどこか悲しい。吹き抜ける風も、いてつくように冷たかった。 「彼は愛人の子らしいねん。入院費だけドンと渡されて、後はほったらかしだ。時折使用人のような人が訪れる以外、面会もない」 「……散々だな」 「そう。しかも、あの子の病は進行が早い。ああして苛立っているのは、抑進剤の副作用や」 「よくしんざい……」 「この病棟の上階層には、もはや起き上がることもできない患者がたくさんいてはる。全身という全身に、さっき見たような水晶様の楔が突き立ってるような感じや。……ひどいもんや」 「……」  さっき目にした美しい病巣が、生々しく蘇る。ただ見ているだけならば、瑞々しく若い肌を飾る、きらびやかな装飾品のように見えるのに。その実、あれはいつか皮膚の奥まで貫いて、内蔵を破壊する悪魔なのだ。 「……俺の血、どうなの。効くの? あの人たちの病気、治せんの?」  周は、そう尋ねずにはいられなかった。  かつて真人と路生から大切な人物を奪い去った悪魔を、殺すことができるのかと。 「その件やけど」 「……う、うん」  真人はゆっくりと周の方へ向き直り、もったいぶったように口を開いた。緊張し、ごくりと唾を飲み込む周に、真人は厳かな口調でこう言った。 「分析結果が出た」 「結果が出た……!?」  さらっと真人の口から告げられた事柄に、周はついつい大声を出してしまった。 「何で早く言わねーんだよ!! で、どうだったんだよ! 俺の血って役に立つわけ!?」 「それはまだはっきりとは分からへん。せやけど、人間の血液には含まれない物質が一つだけ検出された。それがもし、伝承の示すものなら……」  表情は分かりにくいが、真人も少なからず興奮しているのだろう。語尾が微かに震え、理知的な双眸には高揚感が見て取れるような気がする。白衣のポケットに手を突っ込んだまま、真人は晴れ渡った空を見上げた。 「今、検出した物質を培養して、さらに詳しい検査を始めているところや。最優先でな」 「……そうなんだ。ていうか、そんな悠長なことしてていいわけ? さっきのやつ、早くしないと死んじゃうんだろ?」 「落ち着いて、周くん。そもそも、あの血液がヴァンパイアのものであることも、君の存在も最重要機密や。慎重にならなあかん」 「でも、でもさあ……。あ! ていうか、俺の血を採って、さっきのやつに直接塗るなり飲ませるなりしてみたらいいんじゃねーの? そうすりゃ手っ取り早いんじゃ……」 「…………うーむ。君の血を直接飲ませる……」  真人も、そのような非人道的なことは考えていなかったらしく、顎に手を当てて唸り始めた。ぴちち、と呑気なスズメの声が頭上に響く中、真人はじっと目を閉じ、何やら考えている様子である。 「……なるほど。やってみる価値はある」 「そうだろ!? それでもし効くなら、俺の血、いっぱい取って患者さんに、」 「いや、そんなことはできひんよ。それに、そんなことをしていると外に漏れたら、これまでとは違った意味で吸血鬼狩りが始まってしまう可能性もある」 「……え」 「不治の病を治しうるヴァンパイアの血液、やで? 金儲け目的の悪どい奴らに知られてみ? 世界に何人ヴァンパイアの末裔がおるんかは分からへんけど、君らはただでさえ生きにくい想いをしてはるやろ。そんな君たちを、さらに追い詰めるような真似はしたくない」 「真人……」  真人の眼差しが鋭さを帯びる。ハッとするほどに怜悧な表情を浮かべる真人の双眸から、周は目が離せなかった。 「そのためにも、きちんと研究を重ねなあかん。君の血液から抽出した成分と類似するものが現実に存在するなら、合法的に治療薬として申請もできる。そうすれば人類は、もうこの病に怯えることはなくなるんや」 「でもそれってさ……すげえ時間かかるんだろ?」 「時間はかかる。でもこれまでだって、人類はそうして病を乗り越える術を探し求めてきた」 「……でも、いま入院してる人たちとか……」 「医療で全ての人間は救えない。でも、彼らの犠牲は無駄やない。……明人のことも」  ぐ、と体側で拳を握りしめる真人の瞳に、ぎらりと蒼い光が揺れる。凄まじい決意を感じ取った周は、もうそれ以上、何を言うこともできなかった。 「……分かった。でも、ちょっとくらいなら俺の血、また採ってくれてもいいし」 「……」  ちょっと戯けたように軽い口調でそう言うと、つと目線を下げた真人が周を見つめた。少し表情をゆるめ、目を細める。  そしてふと思い出したように、真人は目を瞬いた。 「あ……あの……今朝はすまんかった」 「え? 何が?」 「起きたら路生がおったから、びっくりしたやろ。……分析結果を早う確認したくて、君を置いて病院へ……」 「あ、そーなの? 路生さんが、真人は俺に会うのが気まずいから早く出たんだろって言ってたけど」  周がそんなことを言うと、真人はぐっと言葉に詰まっている。ぎゅっと目を閉じてはぁ……とため息をつきながら、額を押さえた。 「…………まぁ、そういう理由でもある」 「ふ、ふーん……。てか、別に気にしなくていいのに」 「気にするわ。君はまだ十六歳やで? ひとまわり以上歳の離れた子に、僕は何てことを……」 「でも、しょーがねーじゃん。ああいうもんなんだろ」 「そうかもしれへんけど。……でも」  つと言葉を切った真人が、不思議と熱っぽい目つきで周を見つめた。そのどこか切なげな表情に、つい昨晩のことを思い出してしまう。周の頬もかぁぁと熱くなり、さっと目線を逸らした。 「でも、何だよ」 「……君は、嫌やないん? 僕みたいなオッサンに、あんなことされて」 「オッサンて。なに、自虐?」 「そこ拾わんでええねん。……だから、平気なんかってことや。いくら生き血を飲めるからといって、あんな……淫らなこと……。君を金で買おうとした男と何も変わらへん」 「そんなことねーよ」  周に対してセクシャルな触れ方をしてしまったことを、真人は心底気に病んでいるようだ。この男は、どこまでも真面目で、まともで、優しいのだろう。周の身体目当てに、金で競り落としたあの男とはまるで違う。周を受け入れて、人間扱いしてくれる。だからだろう、真人といると、周は安心できるのだ。 「俺……全然嫌じゃなかったもん。真人と……ああいうこと、するの」 「っ……ほ、ほんまに?」 「すごく、気持ちよかったし……」 「……」 「人間から直接吸血すると、あんなふうになるなんて知らなかった。けど……初めてが真人で、良かったなって思うっつーか……」  そんなことを語っているうち、だんだん気恥ずかしくなってきた。頬は熱いままだし、もじもじと落ち着かない気分になってくる。真人も黙り込んだままだ。一体どんな顔をしているのかと気にかかり、周はそろそろと顔を上げて真人の方を盗み見た。  すると、真人もまた顔を真っ赤にして、唇を真一文字に引き結んでいる。 「な、なんであんたまで真っ赤になってんだよ。大人だろ? ああいうの、慣れてんじゃねーの?」 「……慣れてへんよ、そんな」 「え? ひょっとして童貞?」 「ちゃうけど……経験は多くない。性欲とかあんまり感じひんほうやったから、昔の彼女を散々怒らせたし」 「そうなの? その割には……」 『その割には散々エロいキスや触り方をされたものだ』と言いかけて、周は慌てて口をつぐんだ。言えばもっと恥ずかしくなるに決まっているし、今すでにじゅうぶん照れくさいのだ。  だが真人はその先を求めることはせず、ゆっくりとした口調で、こう語った。 「……あんなふうに、全身で欲しがってもらえるの、嬉しかった」 「……えっ?」 「君が欲しいのは僕の血ぃやって、分かってんねん。それに、あの異常な興奮は君の唾液成分のせいやってことも」 「う、うん……」 「でも昨日の君は、かわいくて、僕は途中で(とど)まることができひんかった。……そして今も、どういうわけか君のことをめちゃくちゃ愛おしく感じている」 「……。………………は?」  唐突に、真顔で恥ずかしい台詞を口にする真人のことを、周は信じられないものを見るような目つきで見上げた。だが、真人の表情は真摯で、冗談を言っているような表情ではない。 『愛おしい』などと言われて、どういう反応をすればいいのか、周には全く分からなかった。数秒のフリーズの後、顔が一気に茹で上がる。 「ちょ……な、なに言い出すんだよあんた!!」 「……そうやな。ごめん」 「ちょ、まじで何なの。そ、そんな……い、いとおしいとか……ふ、ふざけんなよキモいだろ!! バカ!!」  しまった、言いすぎた。周ははっとして口をつぐんだ。  キモいなどと言われ、真人は素直に傷ついた顔をしている。照れくささのあまり勢いよく飛び出してしまった失言を、周は激しく悔いた。 「あっ……い、今の違う。俺、別にキモいなんて」 「いや……キモい、やんな……キモいと思う。ごめん、慣れてへんくて、こういうの」 「あの、だからさ。言いすぎたっつーか」 「いや、当然やと思う。……今後気をつけるから。ごめんな」  真人はがっつりと凹んだ空気を漂わせながら、ぎこちなく微笑んだ。そしてふっと背を向けて、ゆっくりと歩き出す。慌てて真人の後をついて歩くが、心を占めるのは苦い後悔ばかりだった。  気持ち悪いなんて、一瞬たりとも思わなかったのに。ああも大切に扱われて、不愉快なわけがないのに……。  これから行われる検査内容を事務的に告げる真人の後ろ姿を追いかけながら、周はちょっと泣きたくなった。

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