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第13話 疎外感

  「……周の血をそのまま使う……か。うん、ええんちゃう?」 「軽っ。てかもう呼び捨てかよ」  周の身体を調べ尽くす検査が終了した後、路生がまた真人の家へとやってきた。  おっかなびっくり野菜炒めを作っていた周を物珍しそうに観察しながら、路生はジャケットを脱いで椅子に引っ掛け、ごちゃごちゃと乱れたキッチンを見回してため息をつく。 「おーおー、なかなかの有り様やな」 「うっせ。俺だって慣れてねーんだよ」 「やれやれ。真人、手伝ったらへんのか?」 「……手伝おうとしたんやけど、僕が手を出した途端もっとひどいことになったから、大人しくしとくことにしたんや」 と、ダイニングテーブルでパソコンを睨みつけながら、真人は淡々と説明した。  実際、真人の家事能力は壊滅的だった。包丁を渡せば手からすっぽ抜けて床に突き刺さるし、味噌汁をかき混ぜろといえば鍋をひっくり返すし、床にぶちまけた味噌汁を拭けと頼めば濡れた床ですっ転ぶし……と散々だ。敢えなくキッチンから追い出された真人は、それなりの手際で野菜を切って炒める周を応援することくらいしかできなかったのである。  とはいえ、そうしてバタバタしている間は昼間の失言からの気まずい空気について考えなくて済み、それなりに気は紛れたのだが。  とはいえ、データもろもろは機密保持のために全て持ち帰りであるため、真人にはやるべきことが山のようにある。不慣れな家事に勤しんでいる暇などないのだ。  路生に『周の血液を直接飲ませてみる』案について話をしてみると、路生はあっさりと頷いた。そして、手にしていたコンビニの袋から缶ビールを数本取り出すと、ガコガコと音をさせながら冷蔵庫の中に収めていく。ご丁寧につまみの類も準備されているようだ。 「あっ。ていうかあんた、さっきはよくも俺を取り残してくれたな」 「え? ああ、桜間くんのことか? ええやん、若者同士、まずはぶつかってみるほうが手っ取り早いやろ」 「はぁ? あんたにはデリカシーってもんがないのかよ! 真人来なかったら、普通に殴り合いになってたかも知んねーんだぞ?」 「あははー、それも青春青春」  路生はちら、と意地の悪い笑みを周に向けながら、散らかったキッチンで皿洗いを始めた。  本当にただそれだけの理由で周と隆太を出会わせたのだろうか。大柄な隆太から向けられる剣呑な空気は凄みがあって、さすがの周も多少怯んだ。もし真人が来ないまま衝突がヒートアップしていたら、流血沙汰になっていたかも知れないのに……。  ――こいつ、ほんと何考えてんのか分かんねぇ……。俺のこと嫌いなのかな。  ついついそんなことまで考えてしまう。が、嫌われる要因がよく分からない。  ――ま、嫌われるのは慣れてるけどさ……。  ふと両親の顔を思い出しかけた周は、ぎゅっと目を瞑って息を吐いた。やけくそのように塩胡椒をふりかけていると、横から路生が「かけすぎやアホ」とツッコんできた。路生は手早く洗うものを洗い上げ、ちょこちょこと料理指南を始めた。それを聞きながら、他の野菜や調味料を加えたりしてみると、途端にフライパンからいい香りが漂い始めた。感動した。 「ほな、明日にでも桜間くんに頼んでみる……か」 と、テーブルに前のめりになった真人が、とんとんと指先でこめかみを叩きながらそう言った。手伝いを終えた路生が真人の向かいに腰を下ろし、脚を組んで頷いている。 「俺が話しとくわ。怪しむかも知れんけどな、なんせ飲むんが血ぃやし」 「カプセルか何かで、とも思ったけど、あまり量が少ないと何の効果も得られへんかもしれんからなぁ」 「ほな分量は……」  真人と路生が専門な話へとのめり込み始めたころ、ピーピーと炊飯器が電子音を発した。これでいつでも夕飯をスタートできるのだが、二人はややこしげなことを話し込んでいて、食事のことなどよそごとのようである。  相変わらずテーブルの上は散らかっているが、三人で食事をするのならもう少し片付けなくてはならない。話の邪魔にならない程度にファイルなどを移動しようとするのだが、なんせすごい量だ。紐で綴じられた学生の論文と思しきものの束まである。研究をするだけではなく、指導者という立場もあるのだから、真人はよほど多忙なのだろう。 「うお」  とりあえずリビングのソファの上にでも移動させるか……と思いバインダーに触れた途端、ずさささ〜と音を立てて滑り落ちていく。あっという間に机の上はスッキリしたが、周はやれやれとため息をついた。そしてようやく周の行動に気づいた真人が、申し訳なさそうに中腰になる。 「あ、掃除なんてええのに……」 「いやいや、このままじゃ飯食えねーし。物ありすぎだし」 「うん……すまん。すぐ片付けるわ」 「いや、俺やるから。路生と話あるんだろ?」 「俺まで呼び捨てかい」  すかさず路生のツッコミが入るが、周は軽くスルーして床に散らばったファイルを拾い始めた。  そしてふと、手を止める。  黒い革の手帳が開いていて、カレンダーページが丸見えになっている。……といっても、そこに書き込むマメさはないのか、白紙だ。しかし、カバーのほうに挟まっていたものが、何枚かはみ出していることに気づいた。  ――写真……。  そっと拾い上げてみた写真には、三人の人物が写っていた。  学生服姿の少年が三人。おそらく、現在の周よりもずっと幼い、真人と路生。そして、双子の片割れである、明人という人物――  彼らの親が撮影したのだろうか、三人の表情はリラックスしていて、とても自然だ。ちょっとごちゃっとした居間のような場所で、食卓を囲んでいる場面である。  写真から笑い声が聞こえてきそうだ。  路生とともに明るい笑顔でピースサインをしているのは、おそらく明人のほうだろう。真人はというと、箸を持ったまま薄く微笑んでいる。顔立ちはそっくりだが、表情の作りかたがまるで違う。明人は爽やかで快活そうだし、真人は思慮深そうな雰囲気だ。今と似通ったところを見つけて、何だか少しほっこりした。  しかし驚くのは、路生の変化だろうか。  大きく口を開いて笑う路生は、現在の皮肉っぽい様子からは想像もできないほどに楽しそうで、幸せそうで……。  ――片割れを失った真人と、恋人を失った路生……。  こうして過去に触れてみると、彼らの失ったものの大きさを感じずにはいられない。周はぎゅっと唇を引き結び、そっと写真を元に戻した。そして、何食わぬ顔をしてファイルを重ねて、ソファへと運ぶ。 「……」  ソファに置いたファイルの上に手を置いたまま、周はじっとしていた。胸を塞ぐこの重い感情は、疎外感だろうか。真人と路生はあまりにも多くのものを共有している。  真人は過去を語ったとき、『十三年も前のことや』と言って微笑んだけれど、周はきっと、真人の感情のひとひらさえも理解していないのかもしれない。  ……そう思うと、何だか急に胸が苦しい。 「すまんすまん、食事にしよか。ありがとうな、作ってくれて」 「あ……ううん」 「? どうした?」  よほどひどい顔をしていたのか、真人が気遣わしげに周の瞳を覗き込んできた。周は慌てて首を振ると、ちょっと怒ったような声で「さっさと食おーよ、冷めちゃうよ」と言った。笑えないが故の、苦肉の策だ。  どこかまだ釈然としないようすの真人だが、テーブルの方から「周〜、ビール出してビール〜」という間延びした路生の声が聞こえてくる。周は顔を上げ、「うっせ、自分でやれ」と勝気な口調で返事をした。  不意に、頬杖をついた路生と目が合った。路生はなんとも言えない目つきで周を見つめている。  すべてを見透かされるような思わせぶりな眼差しに、写真を見てしまったことや、ついさっき感じた疎外感まで見透かされているような気がして、何だか背筋がぞわりとする。  だがそのとき、キッチンの方からガタガタガタと音がして、周は我に帰った。真人が味噌汁用の腕を取り出そうとして、それを床にひっくり返している……。 「ちょ、だからいいって! 俺がやるから」 「す、すまん……せっかく作ってくれたのに待たせてしもた詫びをと思ったんやけど……」 「いいよそんなの。真人は座ってろって! オッサン同士、路生とビールでも飲んでろよ!」 「はァ!? 誰がオッサンやねん! 俺のどこがオッサンや!」  無理に強気を装いながら真人をキッチンの外へ追い出しつつそんなことを言うと、ややマジギレ気味な路生の声が聞こえてきた。

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