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第15話 名前のない関係〈真人目線〉
それから三週間が経った。
ゼミの後、真人が学生から質問を受けているところなのだが、チラッチラッと蘇我の大きな身体が視界の中に入ってくる。
大学四年生は年内に卒業論文を仕上げねばならないため、この頃は特に真人の日常も忙しない。締め切りが近付けば、ここは修羅場だ。熱心に今後の方針について弁を振るう女子学生の気が済んだところで、真人は会話を切り上げた。そして、かまって欲しそうな蘇我に声をかける。
「どうしたん、蘇我くん」
「あ、いや……あのお。一緒に昼食、行きません?」
「ああ、うん。ええけど」
ちら、とスマートフォンの方へ目を落とすが、周からの連絡は入っていない。
あれから周は再び桜間隆太と面会し、あの日の非礼を詫び合ったらしい。そしていつの間にか、周は成績優秀な隆太に勉強を教えてもらうという約束を取り付けていて、今日も朝から入院病棟へ行っているのだ。
年が近く、勝気な性格同士で意外とウマが合ったのか、ちゃっかり昼食もそこで食べている。路生の計らいで、病院食を手配してもらっているのだ。
抑進剤の効きが良く、病状が安定している場合は入院しなくともいいのだが、隆太は家庭のいざこざのせいか情緒不安定な部分があり、当面は入院治療だ。隆太にとっても、周の存在はいい刺激となるかもしれない――と、真人は思った。
食堂へ行く道すがら、蘇我はそわそわと真人に何か聞きたそうにしている。窓際のテーブルで向かい合い、真人がカレーを一口すくおうとした瞬間、蘇我は大声でこんなことを尋ねてきた。
「あ、あの!! 周くんって……まだ先生のお宅にいらっしゃるのですか!?」
「……え? ああ、うん。いてるよ?」
「そ、そうなんだ〜〜へぇ〜〜」
目を泳がせながらわざとらしく相槌を打つ蘇我を前に、真人はもぐもぐとカレーを咀嚼した。大学のカレーは甘すぎる。テーブルに塩と共に並んだ七味を手にとり、真人はそれをぱっぱと振りかけた。
「それがどないしたん?」
「い、いやぁ〜〜、研究室の方にはまた、遊びに来たりしませんかね〜〜」
「んーどうやろ。最近は病棟の方で若い患者と親しくしてるみたいやけど……」
「病棟って……え? まさかあの子も、難病治療のために先生のもとに……?」
「治療……というか」
隆太の了解のもと、『周の血液を飲む』という人体実験は始まっている。周の血液から検出された成分、仮にそれを『Vamp1』と名付けたのだが、それが人体に害をなすものではないということが分かったからだ。
皮膚への直接塗布では効果が見られなかったので、様子を見つつ、『周の血液』とは明かさずに、隆太に経口投与を始めているところだ。分量にして10mlずつ飲んでもらっているが、七日間経過した現在、これといった変化はない。投与方法にもまだまだ検討が必要なところだ。
そんなことを考えつつ、本業以外の時間は『Vamp1』のより詳しい成分分析に当てているため、今はまさに寝る間を惜しんでといるという状態だ。そのため、偶然とはいえ、周が隆太と親しくなってくれたことはありがたかった。あの寒い家の中に一人きりで留守番をさせることはしたくない。寂しいだろうし、『ヴァンパイアの末裔』を競り落とさんとする悪徳金持ちのような人間が、周をつけ狙っているとも限らないからだ。
病棟にいれば、すぐそばにいつも路生がいる。周自身も隆太の変化を気にしているから、すぐそばで見守ることができる。
「まあ、治療のためといえば、そうかな」
「そ、そうなんすね……。あんなにも若くて美しい子が……」
「……美しい?」
「あっ、あ、いや〜〜。あははは、だってきれいな子じゃないですか! あの子の周りだけ全然空気が違うっていうか、モデルさんか俳優さんかと思いましたもん!」
「まあ、せやなぁ」
確かに、周は客観的に見ても綺麗な顔立ちをしている。口の悪さや疑り深そうな目つきは尖っていて、近寄り難さがあった。けれど今は、真人に懐き始めてくれている。新しい表情を見ることも増え、真人の中の戸惑いは増すばかりだ。
「なんていうかこう……謎めいた色気みたいなのありますよね。普通の少年に見えて、瞳の奥に男を惑わせる何かを持ってるような」
「そんな言い方はやめて欲しいな。彼は僕の……」
うっとりしながら頬を赤らめ、周に対して性的なニュアンスを匂わせる蘇我に、真人は嫌悪感と腹立たしさを感じずにはいられなかった。
だが、思わず咎めかけ、言い淀む。彼は僕の何だというのだろう、と。
周が真人を『キモい』と思っているわけではない、ということは明らかになった。それは素晴らしい朗報だ。そしてあの日以降、真人は周と同じベッドで眠るようになった。
……といっても、手は出していない。周はどうも体温が低いたちであるらしく、手足が冷えて寝付くまでに時間がかかるというのだ。
若干不機嫌そうな顔で『そろそろ朝晩寒いんだし、ソファで寝るのやめたら?』と言われたときは、その発言がどういう意図を持っているのか分からなかった。真人が無言でその意味を解そうとしていると、周は『も、もう寒いし、風邪ひいたら困るだろ! 俺も寒いし……一緒に、ベッドで寝てよ』と……。
そうして同衾するようにはなったのだが、湯たんぽがわりのようなものだ。周も最初は緊張していた様子だが、真人が手を出してこないということで気安くなったのだろう。今では抱き枕のごとき扱いで、冷え込む朝方などは、ぴったりと真人に抱きついてすやすやと眠っていることもある。
吸血行為をしていない時の周は、年相応の少年だ。妙な色気も出していない。だが、真人の目にはやはり周は愛らしく、眠っている気の抜けた顔には庇護欲をそそられる。
彼のこれまでの不遇を憐んでいるのかといえば、それは否定できない。だが、不器用だが強く生きようとする周を慈しみたい、大切にしたいという気持ちは、真人の心に少しずつ根付きつつある。
『可愛い』とは、『愛す可 き』という意味だ。この言葉を、こうまで身をもって実感することがあったのかと、真人自身ひどく驚いていた。
常にむらむらと淫らな気持ちを抱いているわけではない……が、次にまた、周が血を欲しがった時――その時、自分がどういう暴挙に出るか、考えるだけで恐ろしい。
だがしかし、一応そうなってもいいように……というか、万が一そうなってしまった時に、最低限周を傷つけないように……という理由で、男性同士の性交渉に必要なものは買っておいた。それを周に知られてしまわないかとひやひやしながらの三週間だ。……いい歳をして、一体何をジタバタしているのかと自分でも呆れてしまう。
「す……すみません先生! 先生のご親戚なのに、僕、変なこと……!!」
「……え?」
「そ、そうですよね! 僕みたいなキモヲタの薄汚い欲望を押し付けるなんて気持ち悪すぎますよね……!! すみません、忘れてください」
真人が考え事に耽って黙り込んでいたのを、激怒していると勘違いしたらしい。真っ青になりながらぺこぺこと謝り始めた蘇我に、真人はゆるく首を振った。
「いや……まぁ。別に怒ってるわけじゃないねんけど」
「い、いえいえ! なんかこう、あまりにも僕の理想に近い三次元の少年が目の前に現れたので、なんかその、ぽーっとなっちゃって、最近集中力を欠いてしまって」
「三次元……? 蘇我くん、君さっきから何言うてんの」
「あはは!! いや、すんません! 忘れてください……」
「?」
小首を傾げつつ、真人は素直に蘇我の発言を忘れることにした。皿からきれいにカレーを掬い取り、真人は水を飲んだ。蘇我も気をとりなおすように喉を鳴らして水を飲み、一つ息をついてこんなことを言った。
「そういえば先生。昨日エイル製薬からお電話ありまして」
「エイル製薬?」
エイル製薬は、国内に流通する抑進剤のシェア95%を占める大手製薬会社だ。医療・研究機関とは提携せず、すべて自社内の研究機関で薬剤の開発・製品化を進めている。
エイル製薬の出す抑進剤は効きが良いが副作用が強い。だが他に選択肢がないため、量を調整しつつ路生も使っていると聞いている。
抑進剤の副作用で、精神的な不調をきたしていた明人の姿をいやというほど見てきた真人だ。そのため学生時代は、『副作用のない抑進剤の開発』を目指して研究活動に取り組んでいた。成果も出ていた。学会で発表した真人の研究は注目を浴び、だからこそ、この年齢で准教授という地位まで与えられている。
だが、なかなか薬剤化が進まない。礼泉大学と兼ねてから繋がりのある二星 製薬と手を組んでいるのだが、『成分が安定しない』だの『他に優先しなければならない案件がある』だのと言われ続けて、遅々として開発が進んでいない状況だ。
大学を通じて抗議もしたが、上の教授陣は『待つのも大事だ。君には学生を育てるという仕事もある』と言い、教員不足だからと多くの学生を真人にあてがうのだ。
そういった事情に言いようのない歯痒さを感じていた。抜本的な治療法を見つけたかった。だから、真人はヴァンパイアの血液を求めたのだ。
――ひょっとして、エイル製薬が僕の研究に目をつけてくれたのか……?
最大手の製薬会社からの提携依頼であるならば、それは真人にとって悪い話ではない。だが今は、『Vamp1』の研究に全力を注ぎたい――と思いつつも、真人は蘇我に促されるまま、スマホから研究室専用のメールボックスを開いた。
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