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エピローグ〈真人目線〉

 そして、季節は春。  周は無事志望校に合格し、一年遅れの高校生となった。  まさかこの年で入学式に参列することになるとは思わなかった。祝いの席だ。これまで使っていた安物のスーツではなく、パリッとした濃紺のスーツを新調した。新しいスーツに身を包んだ真人を面映ゆげに見上げる周の表情に、年甲斐もなくドキドキしてしまう。 「ていうかさぁ、別に真人こなくてもいいんじゃねーの?」 「いや、だって一応保護者やしさ」 「保護者っていうか……彼氏だろ?」 「か……彼氏、か」  そんなふうに言われてしまうと、嬉し恥ずかしい気持ちでむずむずと鼻の下が伸びてしまいそうになる。たるみかけた顔を引き締めるべく、真人はばしばしと頬を叩いた。  今年は春先までぐっと冷え込んでいたおかげで、入学式の行われる四月の今も、桜の花が美しい。  真新しいブレザーを着た周の姿は、眩いほどの初々しさだ。そこそこの進学校であるため、伸びていた髪の毛を短く切り、清潔感のある制服をきちんと着込んだ周の姿は、いっぱしの男子高校生である。  そんな格好をしていると、立派になったものだ……と妙な感慨が湧いてくる。初めて出会ったときは、野良猫のように真人を威嚇していた周だ。人を拒絶するような目つきをしていた周が、こうして制服に身を包み、自ら選んだ学び舎で新生活に乗り出そうとしているのだ。  短くなった前髪の下には、きりっとした上がり眉。黒く艶やかな瞳には未来が宿り、きらきらと輝いてとても清々しい。  学校が近づくにつれ、同じ制服に身を包んだ生徒たちの数が増えてくる。女子生徒たちは、もれなく周の顔に釘付けだ。無理もないだろう。一年年長ということもあるが、複雑な人生経験を経ている周の表情は、同年代の子供たちよりもずっと大人びている。ただでさえ端正な顔立ちをしているのだ、目立たないわけがない。 「……不安やなあ」 「え? 何が?」 「周くん、絶対モテるやろ。僕みたいなオッサン、飽きてすぐ嫌になるかもしれへんなぁ……」 「はぁ? ふはっ、何言ってんだよ! そんなわけねーじゃん」  肩にかけたうすっぺらい鞄を揺らしながら、周は華やかな笑顔を見せた。桜の花をバックにしているせいか、そのまばゆさときたらすさまじい。 「こっちだって心配だよ。真人、毎日毎日女子大生に囲まれてんだもん」 「女子大生なんて……ほぼほぼいいひんよ。男が多くてむさ苦しい研究室や」 「うそつけ。こないだ路生んとこ寄ったついでに大学行ったら、女子大生に囲まれてキャッキャしてたじゃん」 「ああ……あれは、質問を受けてただけで」 「チッ。しれっとモテてんだからたちわりーよな」  面白くなさそうに舌打ちをしつつも、周はどこか甘やかな笑みを浮かべて真人を見上げた。そして声を潜め、こんなことを言い出す。 「まあいいや。……今日帰ったら、スーツで制服エッチしてよ」 「制服……っ、て、な、何を言い出すねん、こんなとこで!」 「スーツ、キマってんじゃん。エロいよ」 「うぅ……まったく」  細身のスーツだ、こんなところでムラムラしていていいはずがないというのに、ついついこの清潔感ある禁欲的な制服を乱し、快楽に喘ぐ周の姿を想像してしまいそうになる。真人は大きく咳払いをした。 「と、とにかく。君の体質については、この学校では誰も知らへん。気をつけなあかんで」 「だいじょぶだいじょうぶ。定期的に吸血エッチしてるし」 「まったく……緊張感ないなぁ」 「へへ」  街路樹の並ぶ広い道を、ひそひそ話をしながら歩く。周はとても楽しそうだった。晴れやかなこの姿を、ご両親はさぞかし見てみたかったことだろうと、真人は密かに思った。  周の父親とは、この間面談を終えた。  想像していたよりも、周の父親はまともそうで、大人しげな人物だった。  父親――月森正克氏の話によると、周の母親は、彼がヴァンパイアだと分かって以来、精神に不調を抱え続けているらしい。それは今も続いているため、あまり刺激を与えたくないのだという。だが、快方に向かってはいるようだ。ひょっとすると、いつかは家族揃って再会を果たすことができるかもしれない。  久々に父親と顔を合わせる周の表情は複雑だった。だが周は、決して父親を拒絶するような態度ではないように見えた。ふてくされたように目を伏せていたし、一言も口をきかなかったけれど、真人と父親の会話に集中している様子がありありと伝わってきたものだ。  別れ際、一度だけ視線を交わした親子の表情は、決して険悪なものではなかった。真人に向かって深々と頭を下げ、「周のこと、どうかよろしく頼みます」と噛み締めるように口にした父親へと向けられた周の眼差しは、穏やかだった。  つい先日終えたばかりの面談のことを思い出しつつ、真人は生き生きと新生活へと向かう周の表情を見下ろした。  周は『今』を生きている――彼の表情を見ていると、そう感じることができる。それがとても、誇らしいのだ。 「そういえば、今夜はお祝いに焼肉行こやって、路生が言うてたで」 「え!? マジ!? 行く行く!!」 「珍しくあいつの奢りらしい」 「へぇ〜さすが医者、太っ腹。なんか、路生もすっかり親戚のおっさんみたいだな」 「あいつの前でオッサン言うたらあかんで、本気で怒るから」 「わーってるって」  この春から、SDPOの持つ秘匿されたネットワークを通じて、各国に『Vamp1』は出回り始めている。  代替する成分を発見することも、新たに合成することも不可能だったが、培養は可能だ。大量生産への道はまだまだ遠いが、ヴァンパイアの血液から採取された成分を抱く特効薬は、患者たちを苦しみから救い始めている。人々に痛みと苦しみを与え続けていた美しき病がこの世界から滅びるのも、時間の問題かもしれない。  かくして、路生は『指定難病治療センター』から異動となり、今は同じ病院の形成外科に勤務している。今はもっぱら、『Vamp1』の効果で皮膚硬化症から解放された患者たちの皮膚移植手術に勤しんでいるところだ。病は消えたとしても、これまでクリスタル状の病巣に蝕まれていた皮膚の再生は重要課題。路生はいつになく熱心に、仕事と研究に向き合っている。  仕事が変わったおかげだろうか、最近、路生はよく笑うようになった。  これまでのように、ただ死にゆくばかりの患者の病状をコントロールしていた頃とは違う。彼らは確実に生き延びる。そして、路生の手腕によって、傷ついた皮膚は確実に美しさを取り戻すのだ。  患者たちが次々に快方へ向かう様子を見守る路生の表情には張りがあり、そんな顔を見ていると、真人も報われるような気持ちになった。  明人と交わしていた『秘密』を断ち切って、周を助けるために動いてくれた。ああして路生がSDPOとの渡りをつけてくれなければ、真人も周も、大きな力によって握り潰されていたことだろう。今、こうして全てががうまく進んでいるのは、路生のおかげだ。   『水晶様皮膚硬化症』は根治可能となり、恐れられる難病ではなくなった。  真人は、人を愛する喜びを知り、愛情を受け止め返してくれる存在の尊さを知った。  これまで暗く塞いでいた世界に、清々しい青空が広がり始めている。  周のもたらした数々の変化に、真人はしばし思いを馳せた。……が、ほどなくして周が三年間通う高校が見えてくる。真人はネクタイを正し、背筋を伸ばした。 「なぁ僕、ちゃんと父兄に見えるか?」 「見えるよ。歳の離れた兄貴って感じじゃね?」 「兄貴か……父親には見えへんか、さすがに」 「あははっ、そりゃそーだよ。そこまでオッサンじゃねーだろ」 「……せやな」  軽く笑みを交わし合い、新たな学び舎へと一歩を踏み出す。  春霞の優しい青空に、桃色の花弁が彩りを添える。  これから歩むべき明るい未来を、祝福するかのように。 『せっかくなので、いただきます。』・終 ˚✧₊⁎⁎⁺˳Merry Christmas✧༚✩⑅⋆˚ 最後まで読んでくださって、ありがとうございました! 

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