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2.逃げたい。逃げない。(4)
誰かが俺の手を優しく握った。
誰かが俺の髪を優しく撫でた。
誰かが優しくため息をついた。
いつの間にか眠ってしまっていた俺は、ゆっくりと目を開く。そこにはすでに制服に着替えていた鴻上さんが、心配そうに座っていた。
「……鴻上さん」
「ごめん……」
何について、謝っているのか。鴻上さんの顔を見れば、言わなくてもわかる。俺の手を握ってくれたのは鴻上さんだった。彼の手の温もりが、不安だった気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた気がする。
「……試合はどうでしたか」
「……負けたよ」
「……そうですか」
外はすっかり夕暮れで、だいぶ時間が経っていることに気づく。
「もしかして、俺のこと待っててくれたんですか」
「心配だったから。」
慌てて身を起こしてベッドから出ようとする。
「大丈夫か?」
「ええ、すみませんでした。もう、大丈夫ですから」
俺たちは、静かに保健室をあとにした。
駅までの道のりを無言で歩く俺たち。
何を話せばいいのか。
何を聞いてはいけないのか。
チラチラと、前を歩く鴻上さんの様子を伺いながら、少し後ろを歩く。そんな俺がわかるからか、クスッと笑うと振り返って俺を見た。
「駅の近くに、古い喫茶店があるんだ。そこで、少し話をしようか」
俺はただ頷くしかなかった。
鴻上さんが連れてきてくれた店は、表通りから脇に入った細い道にあるちょっと寂れた商店街のほうにあった。本当に昔からある喫茶店のようで、店内の灯りはそれほど明るくはなく、カウンターの中にいるおじいさんも年代物みたいだった。
鴻上さんはブラックコーヒー。俺はカフェオレを頼んだ。
店内には、きっといつもここに時間つぶしにきてるんだろうと思わせるおじいさんとおばあさんが、楽しそうに話し込んでいるだけで、あとは俺たちだけだった。
カフェオレは甘くて、強張っていた身体も気持ちも、ほんの少しだけ、和らげてくれた気がする。
「アイツが来るとわかってて、要を呼んだんだ」
唐突に話し始めた鴻上さんは、テーブルの上で握りしめた手に視線を落としていた。
「……もともと、向こうの学校から言ってきたんだ。交流試合」
鴻上さんは、ぽつぽつと話し始めた。
……確かに相手校は強豪校で、他の選手たちにしても、いい経験になると思ったし、アイツが今どれくらいすごいのか、鴻上さん自身の目でも確かめてみたかったらしい。それに、俺に応援してほしかった、というのも事実で、アイツに勝つという気持ちの後押しが欲しかったらしい。
結果的に、俺がまだトラウマから脱出できていないということと……アイツが、まだ、俺のことを忘れていないということを、再認識させられた……らしい。
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