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2.逃げたい。逃げない。(5)

「要が、まだ……あいつに囚われてるとは……思ってもいなかった」  鴻上さんの声が、少し掠れて聞こえた。そして気が付いてしまった。  この人は、俺のために、泣いてくれている。その姿を見ただけで、なぜだか胸のあたりがキュンとなるのはなんでだろう。  俺は、ポケットの中のハンカチを鴻上さんの濡れた頬にあてた。慌てて、俺の手からハンカチを取り上げて、涙をぬぐう姿が、大人な鴻上さんとは違ってみえた。 「わ、悪い」 「いえ……俺のせいですね」 「そうじゃない」  なんで、そんな切なそうな顔をするんだろう。 「要は何も悪くない」  鴻上さんは、大きなため息をついてコーヒーを飲み干した。 「なんか、みっともないな」  照れくさそうに笑う鴻上さんは、やっぱり、いつもと少し違う気がする。 「いえ……」  もう4年近くたつのに、いまだに立ち直れていない俺のほうが、申し訳ない気持ちになる。鴻上さんは、これまでの俺とのやりとりで、これが、アイツのことがクリアされれば、もう大丈夫だろうと思ったのだろう。だから、鴻上さんから見れば、俺の最終テストみたいなもののつもりだったのかもしれない。  でも。そんなことは思っていても、うまくはクリアできないわけで。ダメダメな俺を鴻上さんに見せつけてしまった。 「……こっちこそ、すみません」 「だからっ」 「大丈夫になりますからっ」  マグカップから鴻上さんの目に視線を移した。 「俺、大丈夫になりますから」  この言葉で、自分自身に暗示するかのように、鴻上さんに宣言した。  帰りの電車の中、静かに尋ねた。 「試合内容はどうだったんですか。負けたって言ってましたけど」  気になったのは、やっぱり、アイツ……馳川 亮平のこと。  馳川と鴻上さんは同じ中学の剣道部で、すでに双璧といわれるくらいで、静の鴻上、動の馳川、と県内でも有名だった。小学生時代の俺にとっては、いつも互角に戦ってる姿が憧れで、いつか、俺もああなりたい、と思っていたのに。 「……副将が頑張ってくれたんだけどな。やっぱり、4回連続で戦うとね。まぁ、それでも、相手の中堅までなんとかしてくれたんだから、まだマシだったけど」  県内でも、そこそこ強い部類にはいる我が校だけど、やっぱり私立で全寮制で上手い奴らが集められるような学校にくるやつらとは、鍛え方がやっぱり違うんだろう。それでも、その相手に中堅までを負かすことができた副将の強さに驚くとともに、その上で大将という位置にいる鴻上さんも、凄い、と思う。 「馳川は……亮平は……相変わらず強かったよ」  窓の外を見ながら、悔しそうに呟く鴻上さん。その目の先には、アイツがいるのだろうか。 「鴻上さんなら、勝てます」 「今日は負けたけど。」  断言するように言う俺を、面白そうに見つめる鴻上さん。 「条件が同じなら、絶対、鴻上さんは負けません」  アイツに勝ってほしい。心からそう思う。 「ありがとう。……でも、もうアイツと試合することもないだろうけどな」  それが残念でならない、という顔で、遠くを見つめている。 「……関東大会」 「……」  俺の言葉に、大きく目を見開く。 「関東大会いけば、戦う可能性出てきますよね」 「……そうだな」  ふいに、鴻上さんの目が、強い光を持って俺を見つめてきた。 「その時は、もう一度、応援に来てくれるか」 「……」 「要がいてくれれば……要が応援してくれれば、勝てる気がする」 「……勝ってください」  そうすれば、アイツから抜け出せる気がする。手のひらをギュッと握りしめると、俺は鴻上さんを見つめ返した。

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