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3.乗り越えるモノ(4)

 病院を出ると、入口そばに停車している循環バスに乗り込む。 「要、今日は、うちに来ないか?」 「え?」 「うちの母さん、要に会いたいって何度も言っててさ」  一番後ろの席に座って、そう言うと、鴻上さんは、スマホを取り出した。 「でも、急じゃ……」 「気にするな。連れてったら、大喜びするから」  ポンポンと頭を撫でられた。それだけなのに、なぜかホッとする。 「ほら」  そういうと、鴻上さんのスマホに届いた、おばさんからのメールを見せてくれた。これでもか、というくらいのハートマークに、なんだかよくわからないキャラクターのマークがいっぱいの中での『待ってる!』という文字。  おばさんって、こんなキャラクターだったっけ?と、首を傾げたくなる。 「おじさんには連絡しとかなくていいのか?」 「ええ。父は、放任主義なんで」  どうせ、今日も残業か泊まりかのどちらかだし。今更連絡するのも、変な話な気がした。  引越しをしてから、久しぶりにこの社宅のマンションに来た。懐かしく思いながら、エレベーターを降りて、鴻上さんの家に着くと、"待ってました!"とばかりに玄関先で大歓迎された。 「いらっしゃい!!!大きくなったわねぇっ!」  俺のことを抱きしめながら、背中をバンバン叩くおばさん。やっぱり昔のまま、元気いっぱいだった。 「今日はね、要くんが来るのわかってから、大急ぎで買ってきたのよっ!」  キッチンのテーブルではカセットコンロの上にすき焼き鍋がセットされていた。 「えっ!わざわざ……すみませんっ」  親父が忙しくなったころから、鍋なんてやらなくなったこともあって、すき焼き鍋なんて、嬉しすぎる。俺はよっぽど嬉しい顔をしていたのかもしれない。目の前にいるおばさんも、鴻上さんも、すごく嬉しそうな顔で俺を見つめていた。  おじさんは帰りが遅いらしくて、さっさと3人ですきやき鍋をつつき始めてしまった。やっぱり、一人より、誰かと一緒に食べる食事は旨く感じる。おばさんのマシンガントークは止まらないし、鴻上さんはその話をうんうん聞いてるだけだったけど、それで会話が成り立ってる。その中に俺がいて、なんだか幸せだなって、思った。 「もう、今日は泊まってったら?」  おばさんは残念そうに玄関まで見送りに出てくれた。 「いえ、母の洗濯物とかあるし。明日、学校だし。今日は失礼します」 「そう?また、遊びに来なさいね?」  久しぶりに温かい空気の中にいたせいか、少しだけ、名残惜しくなる。玄関先で挨拶だけして帰ろうとしたのに、鴻上さんが「途中まで送る」と、ついてきた。俺、子供じゃないのにな、と思ったけれど、温かい空気に馴染んでしまったせいか、少しだけ寂しく感じていたのも事実。  何を話すというわけでもない無言の時間が、特別、苦痛でもなく。鴻上さんだから、なのかな、と思う。なんとなく視線を感じて、隣を歩く鴻上さんを見ると、やっぱり、俺のことを見てた。 「どうかしましたか?」 「いや。母さんじゃないけど、本当に大きくなったなと思ってね」  いつの頃の俺と比較してるのか、すぐに察しはついた。でも、あの頃と、今の俺は違うはず。 「そりゃ、俺だって、もうすぐ16ですよ。」  ニッコリ笑ってみせた。まだ昔の痛みは残ってるけど、それに気づかせないように。 「そうだな。」  そう言って、俺の頭をグリグリと力強く撫でる鴻上さん。その瞳が、切なそうに見えたのは気のせいだろうか?気が付けば、もう駅前の西口に着く。 「すみません、ここまで付き合ってもらって」 「いや」 「それじゃあ、俺、行きますね。今日はありがとうございました」  ペコリと頭を下げて背を向けた時。 「要っ!」  鴻上さんが、いきなりギュッと抱き寄せた。こ、これは……いわゆる……バックハグ?一瞬、頭の中が真っ白になる。 「あ、あのっ。こ、鴻上さん?」  人目があるところで、男同士なんですけどっ。と思ったら顔が赤くなってきた。 「ち、ちょっと、は、離してもらえませんか……」  大きな声を出すわけにもいかず、ボソボソと伝えた。 「悪い……」  俺の後頭部あたりに鴻上さんの額が当たっていて、鴻上さんの息が襟足あたりをくすぐる。 「あ、あの……」 「県大会」 「はい?」 「県大会、応援に来てくれないか」 「……」 「絶対、勝つから」  少しだけ、声が震えている気がした。 「要が応援してくれたら、勝てる気がするんだ」  どうしちゃったんだろう。いつも、大人な鴻上さんが、今日は少しだけ、弱弱しく感じる。そんな鴻上さんのお願いを拒否できるほど、鬼畜ではない。 「……わかりました」 「……ありがとう」  そう言うと、ようやく俺を離してくれた。振り向くと、顔を真っ赤にしている鴻上さんが、とても新鮮で、可愛いな、って思ってしまった。 「そ、それじゃ、気を付けて帰れよっ」  そう言ったかと思ったら、猛ダッシュで帰っていった。あまりの早さに、呆然としていたら、俺が乗るバスが一台行ってしまっていた。

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