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4.守れなかったモノ。守りたいモノ。(8)

 入学式の時に、要の母親が入院している話を聞いていた。いつかお見舞いに行かなくては、と思っていたから、少し強引だけれど、病院へ行く約束をした。  地元の駅で要と待ち合わせをして、そこからバスでの移動は15分くらい。   病院なんて、自分が風邪をひいたときに家の近くの個人病院に行くくらいで、それだって、そんなに回数はない。病院に着いて、こんなに大きな病院だったとは思わず、少し驚く。そして要の後をついていくと、俺たちと同じようにお見舞いにきている人たちも多くいることにも、驚いた。  検査に行っていた要の母親が戻ってきたかと思ったら、入れ違いに要がナースステーションに出て行った。俺が覚えていた要の母親は、もっとぽっちゃりとしていて、楽し気に笑う人だった。でも、今、目の前にいる人は、俺の記憶の中の姿の半分くらいになってしまっている。 「鴻上くん」  その声は、先ほどまで要と話をしていた時の力強い声とは違って、少し弱々しく感じる。 「要のこと、よろしくね」 「はい」 「……要には言ってないんだけど……」 「……」 「たぶん、私、もうそんなに時間がないと思うの」 「えっ」  いきなり、そんなことを言われて戸惑うしかない。自力で歩いて検査に行った人が、そんなに簡単に? 「別に告知をされてるとかじゃないのよ。でも……勘が働くというか……鴻上くんも、こんなこと言われても困るよね」 「あ、はい……」 「……要にとって、鴻上くんの存在って大きいと思うの。たぶん、兄弟がいないから、お兄さんのように思ってるんだと思うわ。だから、あの子の力になってあげて」  涙が彼女の頬を伝っていく。要のことを思って泣いている姿が、美しいと思った。それと同時に、彼女が思っているような『兄』のような存在でいられそうにない自分が、ひどく彼女を裏切っているような気分になった。 「でも、俺に何ができるのか……」 「……いいのよ。何もしなくても。あの子のそばに……隣にいてあげてくれれば」 「……」 「鴻上くんの目を見ればわかる」  ……何が? 「鴻上くんなら……要のこと、大事に思ってくれるって」  信じ切ったその瞳は、俺の本当の気持ちに気づいているんだろうか。そんなことはないと思うけど。例え、そうだったとしても。  彼女に言われなくても、今度は、要のそばから離れないと、密かに思った。  涙を手でぬぐっていた彼女に、ベッドの脇の簡易テーブルの上にあったハンドタオルを渡す。なんとなく居心地の悪い空気の中、要がミネラルウォーターを買って帰って来た。"何かあった?"という顔をしたけれど、俺からは何も言えず、曖昧に笑うだけ。  見舞いを終えて、このまま要を一人家に帰す気になれず、家に誘った。母親には移動中のバスからメールをしたら即答だった。  いつも、要は一人で夜は食事をしているらしい。うちの親父と、要の父親は、同じ会社に勤めているけれど、親父はけっこう早く帰ってくる。要の父親は、そうでもないということか。  家につくと、母親は大喜びで、"要くん、要くん"とあれこれとお節介を焼いてたけれど、要は要で、俺たち3人で食事をすることが嬉しいらしい。母親が、すき焼き鍋の肉や野菜を、どんどん取り皿にのせていくのを、ニコニコしながら躊躇なく口に運んでいた。  こんな笑顔をずっと見ていたい。その笑顔を守ってやりたい。そう思った。  泊まって行けという母親の言葉に、今日は帰るという。そんな寂しそうな顔をされたら、できるだけ一緒にいたくなるじゃないか。俺が"送る"と言ったら、ほっとした顔。余計に離れたくなくなるじゃないか。本当は、一人になる家になんか帰したくなんかない。  俺は、隣を歩く要を見つめた。昔は、見下ろしていたのに、俺と並んでも要の目の位置がずっと高くなった。 「どうかしましたか?」  俺を見る要の澄んだ瞳。 「いや。母さんじゃないけど、本当に大きくなったなと思ってね」 「そりゃ、俺だって、もうすぐ16ですよ」  にっこりと笑う要は、罪作りだ。密かにため息をついているのなんて、気づきもしないだろう。  要の家には駅を挟んで反対側、東口からバス。"ありがとうございました"と去ろうとする要の背中が寂しそうで、無意識に抱きしめてしまった。しまった、と、思った。でも。  要は、ただ、固まったように身動きしなかった。すぐに思い切り拒否反応されるかと思ったけれど、要が反応しなかったことに、ほっとした。 「あ、あのっ。こ、鴻上さん?」  要の頭に、額をのせる。髪に残ってるかすかな香りに、ドキドキして、そんなことに気づかれたくなくて。"離してもらえませんか"と言われても、離せない。 「県大会、応援に来てくれないか」  気が付いたら、そう口走っていた。この前、倒れたのは、亮平のせい。武道館までは来れたんだ。だから。 「要が応援してくれたら、勝てる気がするんだ」  要のために、勝ちたいから。すがるような思いでつぶやいた。 「……わかりました。」  耳に届いたのは、要の優しい声。要の返事に、俺の緊張の糸が切れた。呆れたかな、と思うと、すごく照れくさい。そして、今の状況(駅前の人通りの多い時間帯に、男が男を抱きしめてる)に気づいてしまい、一気に顔が赤くなる。 「……ありがとう」  離れなきゃいけない、と思っても、離したくない。ゆっくりと腕を離すと、少し頬を赤らめた要が、面白そうに俺を見る。その視線に、耐えられなくなる。 「そ、それじゃ、気を付けて帰れよっ」  俺は猛ダッシュで家に帰るしかなかった。

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