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6.素直になりなよ(10)
朝、少し早目に駅前に向かったのに、太山さんはすでに来ていた。
"コンコン"
助手席の窓をたたくと、すぐに気づいてくれて、わざわざ車から出てきた。
「おはよう。早いね」
「太山さんのほうこそ」
「車出す前に、コーヒー買って行く?」
「あ、だったら、俺、買ってきますよ」
駅前にあるコーヒーショップで、アイスコーヒーとアイスカフェラテを買ってくると、車はすぐに動き始めた。車の窓から見える空は、少し雲が多くて、所々にしか青い部分が見えない。梅雨入りの声を聞いているけど、まだ、それほどジメジメした感じではない。
「今日、暑くなりそうですね」
「ああ。でも、雨は降らなさそうだけどな」
それでも、会場に入れば人の多さで、ムシムシするだろう。
「獅子倉くんはさ、剣道やらないの?」
正直、こうして試合を見に行くたびに、俺もあそこに立てたなら、と思わないでもない。それでも、やっぱり。
「いやぁ……ちょっと部活とかでやるのは、いいです」
「でも、小さい頃、けっこう、強かったんじゃない?」
「そんなことないですよ」
身体の小さい俺は、いつも大きいやつらに弾き飛ばされてた。それに負けないように、俊敏さでは負けないように頑張ってた。だけど。
「運動神経良さそうに見えるけどなぁ」
「あはは。ありがとうございます」
自分でも、悪くはないと思う。中学の頃だって、サッカー部やテニス部には声をかけられた。でも。
「俺、部活とかって向いてないんだと思います。ダメなんですよね。上から目線で言われるの」
いや。そうじゃない。自分よりデカイやつからの圧力が怖いだけ。最近は、ようやく慣れてきたけれど。やっぱり、デカイやつが近づくのは怖いんだ。
「だったらさ」
ちょうど赤信号で止まったところで、太山さんは真剣な顔で俺の顔を見た。
「俺が通ってる道場にでも来てみない?」
「……はい?」
「いや、ちょうど獅子倉くんの家と高校の中間あたりに、俺の通ってる道場があるんだよ。それで」
話の途中で信号が青に変わり、後ろの車からクラクションが鳴らされる。
「おっと……で、小さい子か年寄りばっかでさ、俺たちくらいのが少ないんだよ」
少し早目に出られたおかげで、会場の看板が見えてきた。
「時々、柊翔も来てくれるんだけどさ。まぁ、本当に時々なんで」
「太山さん、大学ではやってないんですか?」
「うちの大学のは、そんなに強いわけでもないし、同好会的な感じなんだよね」
「へぇ……」
「実は、ちゃんとした剣道部もあるんだけどさ。俺も、そこまでやりたくないっつうか」
てへへ、と苦笑いしている太山さん。そういうのもあり、なのかな。
「それに、俺、そんなに金ないし」
「金?」
「俺、ガキんときの剣道の道具、全部、後輩とかにやっちゃったんで、また、新しく用意するのも……。それに、うち、母親が入院してるんで……」
「あ、そうなんだ……」
太山さんは眉間にシワを寄せながら、駐車場に車を入れた。
「……そういうことなんで、ちょっと無理ですね。すみません」
車から降りると、太山さんは"残念だなぁ……"と言いながら、俺と一緒に会場に向かった。
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