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第8話 俺と弟と
雅也の顔をこんなに近くで見るとは思ってもみなかった。
俺よりも少しだけ華奢だと思ったのは間違いの様で。こうして腕を頭の上に固定されてしまうと、俺の力ではビクとも動かない。むしろ、動けば動くほどキツく食い込む指先が、俺の肌を突きさすんじゃないかと不安になる。
「痛いよ、.......マジで、......」
遂に泣き言を云うと、雅也はフッと笑みを浮べて綺麗な二重瞼を閉じた。
その隙に俺は床を転がって雅也の元から離れる。よくテレビで見る様なアクションに、自分でも驚いてしまうが仕方ない。また腕を掴まれたらもう逃げ場がないと思った。
「和人さんって、.......母親に似たんですね。」
「え?」
「祖父の葬儀で見かけた時の顔を思い出しました。鼻筋の通った切れ長の眼が、今のあなたとそっくり。父には似ていませんよね。」
「........何が云いたいんだ。俺の母をよく思っていないってのは分かった。なのに俺と似ている事が良いのか悪いのか、どっちなんだよ。それともアレか、お前の父親には似なくてホッとしたか?」
俺には工 という人の顔は分からない。
安置室で見た顔は、疲れ果てたどうしようもない顔だったし、あんな死に顔を見せられて何を思えっていうんだ。
「僕は父に似ているそうです。二重瞼でどっちかというと童顔だ。今の仕事についてから嫌という程からかわれる。だからこそ腕力をつけないとって思ったんですよ。」
雅也の言葉になんとなく耳を傾けてしまう。
互いに知らない時間を過ごしてきて、こんな形で出会ってしまった事を呪うべきなのか。
「そうだ、.....僕の母ですが、彼女は出て行きました。あなたの母親と父が駆け落ちをして暫くしてから。僕が高校を卒業するまでは頑張ってくれたんですけどね。流石に近所の眼が嫌になって.....。今は再婚して山形に住んでます。」
「.........」
俺はなんと言葉を発したらいいのか思案した。雅也の歩んできた道が垣間見えると、少なくとも自分は何も知らず母の無事だけを祈って過ごしていたんだと思った。おとなしい父と二人暮らしでもそれなりに楽しかったし、本当の家族だと疑わなかったんだからな。
俺はコイツより幸せな生活を送っていたんだろう。
「ところで、僕に何か用事だったんでしょ?.....変な事になっちゃいましたけど、何か訊きたい事でも?」
「........ぁ、......それは、.....」
そう云えば訊きたい事は沢山あった。でも、すっかり知ってしまったではないか。
兄妹が愛し合い、俺は尾道の父の子として今まで育てられてきた。母さんは死ぬまでそれを隠そうとしていたが、愛した兄に再会したら自分の欲を消す事は出来なかったという事だ。
ただ、尾道の父がその事を知っていたのかは分からない。
「もういいよ。なんとなく想像はつく。.......それに、出自を知ったからといって何かが変わる訳でもない。俺は俺でしかないんだから.....。」
そう云うとゆっくり立ち上がろうとする。長居をしても気分を害するだけ。雅也の独特の雰囲気に俺は云いしれない不安を覚えた。何か良くないものだ。
「じゃあ、突然きて悪かったな。俺は帰るから。それと、......もう此処には来ないから.....。」
静かに膝に手を置くと云い、その場で立ち上がると雅也の前をよけて歩き出す。が、突然足を掛けられて、膝から崩れた俺の身体は再び畳に強く打ち付けられた。
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