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第70話 ある疑惑

「えっ、先輩?!」  聖先輩はこちらに顔を近づけたかと思えば、唇を少し尖らせてぼくの首筋に押し付けた。  ちゅ、ちゅ、と唇を離したり付けたりしながら、ぼくの白シャツの第二ボタンに親指と人差し指を掛ける。 「んっ、だめですよっ……ここ何処だと思って……」  ここはぼくの家のすぐ近く。  幸いなことに木材置き場の裏手の道になるので滅多に人は通らないが、ばったり誰かに出くわすとも限らない。  それにぼくは、もう聖先輩とはケジメをつけるって決めたんだ。こんなふうにいやらしい事も、触れ合うこともしてはダメだ。  まるで果物の皮を剥くように、先輩はぼくのシャツを第三ボタンまで開けて、襟元を左右に引っ張った。鎖骨や首筋が外気に晒されてしまったぼくは、より一層腕に力を込めて先輩の肩を押した。 「先輩……っ、やだ、からっ」 「シュート、決めるなよ」  今度は耳の中に舌の先を差し入れられる。  いやらしく動き回る舌の低い音がダイレクトに脳内に響いてくる。   「あっ……ん……ッ」 「知らなくてもいいだろ」  なんのことだろう、と一瞬ぽかんとしてしまったが理解した。  聖先輩はやっぱり、歩太先輩がぼくを好きだって知ってるんだ。だから教えたくない。嫉妬まみれでどうしようもなくなった先輩は、こうやってぼくの体を…… 「このままでいろよ。」  (え……?)  さらに付け加えられた先輩の言葉が、ぼくの心に引っかかって目を瞠みはる。  そんな言い方、まるでぼくがシュートを決めたら先輩にお別れするようにお願いするってことに気付いているように思えるけど。  何をお願いするのかは乙葉にしか明かしていないし、乙葉がわざわざ聖先輩に教えたとは思えない。  (このままでいろって、歩太先輩の好きな人は知らないでいろって意味だよね? それとも、自分とこのまま付き合っていけよって意味?)  答えが見い出せないでいたら、先輩は濡れた唇でぼくの鎖骨のすぐ下にちゅっと音を鳴らしてキスをした後、そこを痛いくらいに吸い上げた。 「や、あ、あ……それっ……」  ぼくは壁にずりずりと後頭部を擦り付けながら逃れようとする。  まるで吸血鬼だ。  歯は立てていないけれど、力いっぱいにそこを吸い上げる先輩。五秒くらい吸われてから、ようやく唇が離された。 「なっ何してるんですか!!」 「マーキング」  ぺろ、と自分の口元をほんの少し出した舌で舐めた先輩はすごく色っぽくてドキドキしたけど、手を恐る恐る自分の肌から剥がしてみて驚愕した。  な、なんか、蚊に刺されたみたいにうっすらと赤くなってる! まさかこれ、俗に言うキスマークってやつじゃ?!  ぼくは鬱血しているその箇所をゴシゴシと指で擦った。 「消えないだろ、そんなことしても」 「だったらなんでこんなの付けてるんですかー! もし誰かに見られたら……」 「見られたら、まずいの?」  ハッと顔を上げれば、射抜くような聖先輩の双眸がこちらを向いている。 「バレたくない? ……歩太には」  なんか先輩が怖い。  さっきから言ってることが確信をついている気がしてならない。もしかして知ってるの? ぼくがシュートしたら聖先輩にお別れを言うって決めてること。  訊いてみようかと思ったが、空気が重く引き締まっていてとても言えるような雰囲気ではなかった。 「そういうことじゃなくて、他人にこんなの見られたら誰だって恥ずかしいですよっ。着替えの時に見えちゃうかもしれないのに」 「だから下の方に付けてやったんだろ。それだけでも有難く思え」  やっぱり先輩は偉そうに言いながら、ぼくのはだけたシャツのボタンをとめてくれる。セーターもきちんと皺をのばすように着せ直してくれた。 「行くか」と言って元いた道に戻り、ぼくの自宅の方へと歩いていってしまう。

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