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第97話 歩太先輩と、仲良く。
その後歩太先輩は、保健室でぼくの体にキスをして怖がらせてしまったことを謝ってきた。僕の思惑通り、歩太先輩の気持ちが自分にない事を悟って、いろんな感情が渦巻いてあんな行動に出てしまったらしい。
「小峰にはてっきり、無視されるだろうなって思ってたよ。けれど今日の朝、変わらずに挨拶してきてくれただろ。本当に嬉しかった」
歩太先輩は本当に嬉しそうな表情でそう告げた。
勇気を出して話しかけて良かった。
そして歩太先輩はすぐに付け加える。
「小峰が俺のことを特別に思ってくれてたって分かって、正直嬉しいんだ。小峰はほんとうに可愛いし、一緒にいて楽しいし」
穏やかな陽だまりのような視線が横から突き刺さって、照れてしまう。
「どうだろう。またこれから、仲良く出来ないかな」
「仲良く、ですか」
「小峰はもう聖との関係は解消されて自由の身だろ。俺は聖に振られたばっかりで傷心してるし、二人でまた遊んだりして、慰め合っていこうよ」
歩太先輩は勘違いしている。
ぼくが聖先輩といやいやお付き合いをしていたと思っている。
いや、それは事実だ。初めはどうやったら穏便にお付き合いを解消できるか、そればっかり考えていた。けれどちゃんと、好きになっていた。そうじゃないとこの目からまたこぼれ落ちそうになっている涙は、一体どんな意味があるっていうのだろう。
でももう、聖先輩はぼくのことを消去した。
歩太先輩までも失ってしまったら、ぼくはきっと立ち直れないだろう。
弱くてずるい自分は、力なく頷いたのだった。
次の日から、ビックリするくらいに聖先輩に会わなくなった。
登校中、下校中、無意識に聖先輩の姿を探している自分がいる。見つけたところで、声なんて掛けられないと思うのに。
その寂しさを埋めてくれるかのように、歩太先輩はぼくのことを前にも増して構ってくれるようになった。
歩太先輩は受験生なので、あまりそんな余裕は無いはずなのに、「もう少ししたら落ち着くから、夏休み中にどこかに出かけようか」とも言ってくれた。
ぼくはそう言われると、本当に嬉しくなる。
ずっと振り向いて欲しかった人が、こんなにもぼくのことを見てくれている。
なのにぼくの心は、ずっと空っぽだった。
一度だけ、正門の前で歩太先輩と聖先輩が話しているところを見たことがある。聖先輩の視界に入ってしまったらどんな反応をされるのかが怖くて、影からこっそりと眺めていた。
格好よかった。スッと伸びた鼻筋、尖った顎、筋肉質な腕。もうあの人に、ぼくは触れられないなんて。
聖先輩が最後に呼んでくれたぼくの名前。
あの時の声がいつでも脳内再生されて、また涙が滲む。
失ってからその大切さに気づくだなんて。ぼくは本当に馬鹿だ。
中間も期末テストも、パッとした成績を残せないまま一学期が終わろうとしていた。季節はもう夏。クラスの周りの生徒は、どこへ旅行だ、デートだなんて騒ぎ立てている。
「小峰」
放課後、一人で帰ろうとしていたところを昇降口で歩太先輩に呼び止められた。
「はい」
「来週、またコンサートに行かないか? 申し込んでたチケット、たまたま取れたんだ。今回は場所もそんなに遠くないし、たまには俺とゆっくりデートしようよ」
まさか歩太先輩からデートだなんて事、言われると思っていなかった。
歩太先輩に促されるまま、ぼくは「ぜひ」と満面の笑みで答えた。
その日は猛暑日で、家の外に一歩踏み出しただけでも汗がじんわり滲むくらいに日差しが照りつけていた。
待ち合わせ場所に電車と徒歩で向かいながら、春の日の事を思い出していた。
春にも歩太先輩とライブに行ったが、その時の気持ちとは全く違う。その感情の差に自分でも驚いた。こんな気持ちになっているのが申し訳なくて、すでに到着していた歩太先輩へ精一杯笑いかけた。
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