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第99話 ぼくは走る

「みんなーっ! 今日は野乃花に会いに来てくれてどうもありがとうっ! 心をキュンキュンに込めて歌うから、最後まで楽しんでいって下さいねーーっ!」  ののちゃーーん! うぉぉーー! と地響きのような雄叫びが会場を沸かせ、さっきまで大人しく座っていた奴らが一斉に立ち上がる。  ののちゃんの事は、初めてライブに連れてきてもらった日から気になり始めたので、たまにストリーミングで聴いていた。だから歌われる曲はほぼ知っている。ノれないはずはないのだ。  ぼくはちゃんと楽しもうと、腕を振って歌を一緒に口ずさむ。  だけど、一向に心から楽しめる瞬間がやってこない。  「次はノリノリの曲、行っちゃうよ〜っ!」  ほら、ののちゃんもそう言っている訳だし。  楽しくならないと……楽しく……    そうやって違う感情で自分を押し込めている自分に気付いた瞬間、煌びやかなステージが不鮮明になってきた。  (無理だ……っ)  目に映る景色が全て水の中の風景に変わった。  ぼくの双眸から滴が溢れ出す。  ここに来てもずっと、隣に歩太先輩がいてもずっと、頭の中は聖先輩の事ばっかり。  ぼくは今ライブに全く集中できていない。  聖先輩に会いたい。  もう一度なんでも無い事でからかって、照れながら「馬鹿か」と言われたい。  聖先輩の瞳に、もう一度、ぼくを映してもらいたい……!  右隣にいる歩太先輩に、泣いているのがバレないようにこっそりと掌で涙を拭った。  たぶんバレてない、大丈夫。だってこんなに盛り上がって、みんな手とか上げてるし、ぼくのことなんて見ていない。  だが急に、歩太先輩の顔がぼくの耳元に寄せられた。 「小峰は、本当に馬鹿だな」 「えっ……?」  ハッとして右を向くと、歩太先輩はステージの方じゃなくてぼくを真っ直ぐに見つめていた。 「いや、小峰だけじゃない。聖も、本当に馬鹿だ」  音響のせいで全部をしっかり聞き取れた訳じゃないけど、そう言われた。そのまま歩太先輩は、ぼくの眦に指を添えて、涙をスッと拭ってくれた。  ぼくらの周りの人は、ぼくがののちゃんに会えた事に感激して涙してしまったと思っているんだろう。なんだか穏やかな視線が突き刺さってくる。  見つめられて少し照れていたら、再度耳元で囁かれた。 「聖、明日から父親のところへ行く事になってるんだ」 「……え?」 「もう、聖には会えなくなるのかもしれない」  頭が真っ白になった。  海外に行ったまま、帰ってこなくなっちゃうの? 「だから、行っておいで。小峰が本当に好きだと思う人のところへ」  ぼくはますます、涙がこみ上がった。  歩太先輩が入学式でぼくに微笑んでくれたこと、こうしてデートに誘ってくれたこと。一つ一つのことが、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。  歩太先輩。歩太先輩。  ぼくはあなたに恋ができた事、本当に誇りに思います。 「すみません、歩太先輩。ありがとうございます」  ぼくは震える声でそう言って、ライブ会場を後にした。  

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