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桂樹が『彩』家を名乗れなかったその理由と国の歴史と
何も無いと思っていた。
何も問題も無く過ぎてゆく日々がきっとこれからも続いて行くのだと、深い群青の闇が迫りくる夕闇の空を見上げながら、桂樹はそんな事をぼんやりと感じていた。
その日もそうだった。いや、そうなるはずだったのだ。
芺 桂樹 。それが彼の名前である。とは言っても彼がその姓を名乗ることが出来たのは彼が六歳になるまでのわずかな期間のみだった。
庶子とはいえ、王の側室であるから堂々と王宮の離れで暮らしても良かったはずなのに、それを拒んだのは誰でもない、実の父親である彩王だったのだ。
第二王妃である桂樹の母はとても繊細で身体の弱い人ではあったが、芯の奥に強い心を秘めた女性だった。その彼女が子を授かった当時、王をはじめとする沢山の者が祝い、期待した。
それは事実だった。お産が始まり、桂樹を産むまでは・・。
では、なぜ桂樹が彩 の姓を名乗ることが出来なかったのか?
それには少々長い理由がある。
この狼 国は四つに分断されており、東西南北に分かれて国を治める王が存在している。
もとはひとつの国であり、一人の王が国を治めていたが当時の王であった鴻王の暗殺未遂事件をきっかけに、それまで煮え湯を飲まされ続けていた親族たちが蜂起し、権力争いへと発展したのは三十年前の話となる。
その後、王族同士での覇権と権力争いを行い続けた結果、この国は四つに分断され、兄弟、親族共にそれぞれの地に移り住み、政権を維持する事でギリギリの均衡を保ち続けている。
豚 国と猪 国との国境に近い北部は王の伯父である葵公が。
魚国 と龍 国との国境に近い東部は桂樹の父である彩公が。
海に囲まれた南部は王の叔父である芺公が。
豚 国との国境に近く海に囲まれた西部は親族である黒公がそれぞれ治めている。
ただ、分断された四つの国の中で、どの国とも争わぬ代わりに侵略しないことを堂々と掲げ、中立的立場を貫いたのは西部のみであった。
黒公が治める狼 国西部は、遥か昔から猫と人妖の血を引く者が多く、両族との混血児が多数生まれる土地でもあった為、現在も獣人が数多く生活している唯一の土地である。
現在、齢五十を過ぎた黒亮公もまた同じであり、代々受け継がれている王族の中で黒家の存在は、ひときわ異彩を放っていたのは事実ではあった。
王が暗殺された当時、親族が集まり真実を明らかにせんとする査問会議が早々に開かれた。
全ての諸侯が一堂に会した部屋の中で、成人を迎えたばかりだった黒亮公は他の諸侯たちから
「黒亮公よ。お主たち一族は幼少期より王に冷遇されてきたではないか」
と一斉に告げられた。
皆の表情は険しく、まるでお前が犯人であると言わんばかりの勢いだったのは事実だが、もとより黒亮公は他の親族とは違い、当主である父が亡くなった後に自ら一線を退いた為、王の死を知らされたこと自体、他の諸侯たちと比べて二日ほど遅かった。
にもかかわらずこの意見である。
黒亮公は頭の中で『馬鹿めが』と悪態をつきつつも、それに対して応戦せざるを得ない理由があった。
本音としては誰が王を暗殺したかなど彼にとっては心底どうでも良い話であり、覇権争いを繰り広げて止まない親族同士の小競り合いを見るのもまたうっとおしかった。
しかし、この席に座しておかなければ、彼が今まで治めていた土地と民もどうなるか分かったものではない。
彼の重い溜息はまだ続く。
ただでさえ、我らの住む地は人間とは異なるというだけで迫害を受け、行き場を失った者達が命の危険を冒しながら進み、辿り着いた安住の地でもあるというのに。
『黒亮公、どうか願います。この地は我々にとって、いや、この地に住まう全ての民にとってなくてはならない場所なのです。気が進まないというお気持ちも痛いほどよく分かります。ですが、民の為にどうか・・』
そう話して平伏した州牧達の表情が忘れられない。
何としてもここで領地を勝ち取っておかなくては、いずれ西部も他の王族どもに取って食われてしまうかもしれん。
そうなれば民はどうなる?略奪と暴行、数え切れぬほどの迫害から逃げて辿り着いたその地まで奪われたとあっては・・。
『・・・・・行ってくる。留守を頼む。ああ、襲撃に備えよと全軍に通達を怠るな。一歩間違えば明日はここも戦場となろう』
そう言い残して彼は王都へと足早に向かったのだ。
予想していたとはいえ、そうまでしてのこの仕打ち、なんとも退屈な時間である。
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