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桂樹が『彩』家を名乗れなかった理由と国の歴史と-4
「何故だ・・何故、私の妻ばかりが・・」
「気を落とされますな・・陛下・・」
コトリと小さな音がする。ふと見れば酒器を卓に乗せる臣下と視線がかち合った。
「・・・これが落とさずにいられるか・・無事だったのは第一王妃である彼女だけだ。だが、彼女も・・・」
瞼を閉じると思い出す。
悲鳴に乗じて扉を蹴破った瞬間に見た、あのおぞましい光景を・・。
臣下に羽交い絞めにされながらも伸ばしたこの腕を・・。
『婀姫 !』
『それ以上近づいてはなりませぬ!陛下!』
『ええい!離せ!構うものか!婀姫 !婀姫 !』
『陛下!誰か!誰かおらぬか!』
あの日の閃光に包まれた彼女の悲鳴が耳に張り付いて、今も消えないままだ。
子が亡くなったとの知らせを受けて、すぐ部屋へと走った日が懐かしい。
『婀姫 ・・扉を開けてはくれないか・・』
『・・・お会いしてはなりませぬ・・陛下・・』
『・・・何故だ・・もとはと言えば私が・・』
『いいえ。陛下。陛下は何も悪くありませぬ・・』
『せめて・・顔を・・顔を見せてくれ・・』
その言葉には一瞬の間があった。永遠とも取れる一瞬。
その壁を破ったのは王妃のか細い声であった。
『・・・どうか、私を離縁なさってください・・陛下』
その言葉に、その声に、霜樹 の瞳が大きくなる。
『・・・・・・』
『私を見れば、陛下の目が汚れてしまいます・・・』
『婀姫 ・・・』
『ですからどうか・・』
『それは・・出来ぬ・・許してくれ』
『・・・陛下・・』
『お主を失うなど・・考えられぬ・・私の、半身が・・身体が、抉られる、ようだ・・その・・ような・・』
『では、側室を・・側室をお迎えなさいませ・・陛下・・』
『・・・いっ・・いやだっ!・・お主以外の女など・・』
『陛下・・・』
『我々の距離はこの扉一枚。壁越しであるのに、この距離が今は遠い・・』
『・・陛下・・』
『寝れぬのだ・・もう何日も寝ておらぬ・・』
壁の奥の声が途切れる。
布越しに詰まる声に霜樹 の眉が僅かに歪んだ。
『陛下・・側室を・・どうか・・』
『それが、・・・お主の願いか・・』
『・・・・・・・・』
『私がいくら側室を持とうが、心は既にお主のものだ。顔も腕も変わってやれぬ。だが、心は、心だけはお主のものなのだ。婀姫 』
『・・・っ』
『毎日、ここへ会いに来る。どれほどの年月がかかろうが、毎夜お主に会いに来る。それだけは許してほしい・・』
『・・・・・か・・』
『うむ?』
『断るりゆ・・が・・ありま・・か・・』
嗚咽と共に途切れる声が、裂かれたように抉れて苦しい。
けれども、同時に戻る安堵感にホッと息を吐いた彼は扉に深く額を付けた。
『婀姫 ・・・』
「・・・・・・・・・」
閉じた眼をゆっくりと見開く。盃に映る物言わぬ炎の残像が今は切なく映る。
どれほど考えても答えは出ない。出ないと分かっているのに。
「・・・陛下・・・」
「私の所になど、嫁いだばかりに・・」
「それは違います。陛下・・」
「・・・何が違うというのだ・・・・」
「陛下・・・」
力無く話す声にいつもの生気は感じられない。
すっかりと肩を落とし酒を呷るように飲み干す彼の姿を目にしながら、彼は胸の奥がツンと抉られる様に痛くなった。
誰が悪いとも責められない。ましてや王が悪いなどと思うわけがない。
そうまで考えてふと、彼は自身の父親たちが話していた会話を思い出した。
霜樹 公の父である当時の彩王がその昔、黒亮 公に向かって言い放ったとされるその台詞・・。
『・・まさか・・・いや。きっと気のせいだ・・先王が放った台詞に意味があるなどと・・・』
「・・・・・・・」
『いや。待てよ・・・』
そうまで考えて、その先をグッと飲み込む。
顔を上げれば、長椅子の上で項垂れるように酔い潰れて眠る彼の姿が目に入った。
その双眸は濡れていて、幾度も水滴が彼の頬を伝っている。
「・・・・陛下・・・」
呟いた声は彼には届かない。
寝台へと連れて行かねばと側に寄れば酔い潰れているせいもあるのか、口元からは酒特有の香気がぷんと匂った。
「・・・・陛下・・」
未だ止まぬ涙の滴の伝う頬をそっと指で拭いながら、彼もまた項垂れるように瞳を閉じた。
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