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第8話
「紘一くん来てるんだ?」
とっくに家族の夕食の時間は終わってて、俺一人遅い夕食をとっていたら向いに座ってる弟の千啓(チアキ)がお土産のケーキを食べながら言った。
「そうだよ。だからこのケーキがあるんでしょ」
そう返したのは妹の干和(ヒヨリ)。
ふたりとも中学二年生で、いわゆる双子だ。
とはいっても二卵性双生児だし瓜二つってわけじゃないがわりと似ているかな。性格は真逆だけど。のんびりマイペースな千啓と男勝りな干和。
「勉強おしえてほしーな。今日出た宿題難しかった」
「紘一くんはお仕事の話で来てるんだからだめ!」
「じゃあ智くんでいいや」
「智くんは予習復習したり宿題あるからだめ!」
「じゃあ干和ちゃんでいいや」
「しょうがないわねー」
「……」
この双子は仲良いのかなんなのか。
いつもこんな感じの会話をしてて、妙に笑えるんだよな。
「勉強頑張れよ。わからないところあったら聞きにきていいから」
「はーい」
「智くん、ちぃちゃんのことは私に任せておいて!」
「はいはい」
紛れもなく仲がいいんだろうな。
……干和が千啓をかなり年下の弟のように扱ってはいるけど。
本人たちがいいならいいだろ。
「――ごちそうさまでした。お兄ちゃんはお部屋で勉強してるなー」
「「はーい」」
宿題の話をしていたわりにのんびりとお菓子を食べ続けている双子を残して、茶碗を片付けると部屋に戻る。
双子に言ったそのまま参考書を取り出して風呂にはいるまで勉強することにした。
そうして俺の部屋のドアがノックされたのは風呂からあがってしばらくしたときだった。
俺だ、と声がかかって返事をする前にドアが開く。
部屋に入ってきたのは紘一さん。
つーか、どうぞって言ってから入ってくれないかな。
もし俺がなにかしらアレなことしてたらどうするんだ。
思春期真っ盛りなんだからアレなことをしていたとしても不思議じゃあない。
まぁ実際右手とお友達になるなら鍵はかけておくけど。
くだらない思考を巡らせながら、久しぶりに俺の部屋にいる紘一さんの姿をベッドの上から眺める。
視線があって薄く笑った紘一さんは俺のほうへと歩みより手を伸ばした。首にかけたタオルをつかみ、ぐしゃっと髪を乱暴に拭く。
「濡れてる。ちゃんと乾かせ」
「面倒くさくって。それに明日休みだから多少寝ぐせついてもいいかなぁと」
ろくに拭かずに風呂から戻ってきた俺の髪からは水滴がいくつも落ちてシャツにしみをつくっていた。
「そうにしても濡れすぎだ」
タオル越しじゃなく、直接髪に触れてくる指。
前髪を掻きあげられ水滴がこめかみを伝い首筋に流れていく。
髪をすくようにして触れた指はそのまま水滴のあとを辿るように動いて首筋で止まり、掌が押しあてられる。
ゆっくりと水滴をぬぐった手が離れていくのを目で追う。
濡れた髪をさわったせいで、その手も濡れている。
タオル貸した方がいいのかとタオルをつかむと、紘一さんはポケットからエンジのハンカチを取り出し拭いていた。
皺ひとつなくアイロンが丁寧にかけられ畳まれたハンカチに水がしみこんでいる。
それを気にする様子もなくポケットにしまいながら、紘一さんの目が俺を見下ろす。
「智紀。しばらく会わない間に、なにかあったか?」
少し雰囲気が変わったな、とその目が細まる。
「そうですか? とくになにも変わりないですけど」
なにかあったっけ、と逡巡してみた。
紘一さんに会わなかった三カ月ほどの間――。
「……ああ」
アノコト?
もしアレだったらどんだけ目敏いんだよ、って話だ。
俺の答えを笑みを浮かべ待つ紘一さんを見上げ、同じように目を細め口角を上げる。
「そういや俺、初体験しちゃいました」
「へぇ」
今日夕方セックスした奏くんとの初めてのときのことを思い出す。
「それで?」
「気持ちよかったですよ?」
笑顔のまま返す俺の視界で、紘一さんは背を向け窓際に行くと少し窓を開けた。夜の冷気が吹き込んできて湯あがりの身体をぞくりと震わせる。
寒いなとベッドに置いていたパーカーを手繰り寄せ羽織、その間に紘一さんは煙草を咥えた。
それは車で没収された"俺の"煙草。
シンプルなシルバープレートのライターで火がつけられる。
ゆっくりと吸いこみ煙を吐きだした紘一さんは赤く火をともした煙草を掲げる。
「この煙草の男が相手か?」
表では滅多に煙草を吸わないけれどいつも紘一さんが吸っている銘柄とは違う煙草。
夾のにおいが風にのって部屋に充満する。
「――いえ。違います、正反対なタイプかな。その煙草の男とは。女の子みたいな可愛い男の子ですよ」
筋肉のついてない、もちろん女の子のように柔らかではないけれど、華奢な白い身体。
つい数時間前に組敷いていた身体を思い浮かべる。
――ふうん、と呟かれた声は少しだけ興味が軽くなったような響きがあった。
「それで? ハマったわけか?」
「さぁ、どうかな。よくはあったけど本当に可愛い子だから」
正直女性とするのと大差なかった。
俺と同じ男の象徴はついてはいたけど、喘ぎも女の子みたいだからなぁ奏くん。
「つまらなかった?」
「そこまでは言わないですよ」
「で、この煙草か?」
「さー、どうかな?」
本当にこの人はなんなんだろう。
たった煙草一つでなんでまるですべてわかったかのように言ってくるんだろ。
「――智紀」
窓際からまた俺のもとへと紘一さんが歩いてくる。
深く吸い込んで吐かれた紫煙が至近距離で吹きかかる。
髪に匂いつきそうだな――なんて考えていると長い指が煙草を持ち直し、俺の口元へと吸い口を持ってきた。
俺を見下ろす男を見上げながら、唇を開け、差し出された煙草を咥えた。
離れていく指先を眺め夾の煙草を吸う。
咳き込まないくらいには吸えはする。だけど頻繁にってわけでも好んでるってわけでもない。
成長期だし身体に悪いことはしたくないし?
「どんな味だ?」
目を眇める紘一さんに首を傾げてみせる。
「苦いですね」
マズイなーと内心ぼやきつつ言えば、可笑しそうに喉を鳴らし紘一さんは背を向けた。
そのまま窓際へと戻ると窓を全開にする。冷たい風が入り込み煙くなりかけてた室内の空気を少し追い出していく。
湯上りに冬の夜風は厳しいな。
そうは思っても動くきもせずにぷかぷか煙草を吸い、紘一さんはスーツの内ポケットから自分の煙草を取り出すと火をつけていた。
違う匂いの紫煙が漂う。
「――あ」
そういえば、とふと思い出して俺もベッドから立ち上がった。
「紘一さん」
「なんだ」
「携帯灰皿、持ってます? 灰皿って持ってないんですよね」
紘一さんは煙草を咥えたまま携帯灰皿を取りだした。
小さな正方形で黒のクロコダイル革の灰皿。それをあけて俺に差し出す。
投げてくれればいいのに。
向こうまで行くのが面倒くさいんですけど。
仕方なく腰を上げ、俺も窓際へと向かった。
紘一さんの手の中の携帯灰皿に煙草を押し付ける。
「なんだ。もう消すのか?」
「この家禁煙だって、忘れました?」
俺の家族で煙草を吸う者はいない。必然的にこの家では誰も吸わない。
来客もだ。
唯一吸うとすれば紘一さんの祖父であり、松原の社長くらい。
「そういやそうだったな」
悪びれなく笑う顔は少しだけ昔の――。
「智紀」
「はい?」
また、口元に煙草が差し出される。
それはいま紘一さんが吸っていた煙草。
さっきと同じように口を開いてそれを受け取る。
同じように煙を吸い込んで。
「……マズっ」
つい一口で離してしまった。夾の煙草よりも明らかに重い。
「ちゃんと吸え」
「いや、もういいです」
遠慮します、と煙草を返そうとすれば手で受け取るきはないらしくて、仕方なく口元へと運べばようやく受け取った。
隠すことない底意地の悪そうな光を宿した目で俺を見て、咥え煙草のまま、
「子供にはきつかったか?」
と笑いを含んだ声をかけてくる。
「そうですね。俺にはさっきの煙草のほうがちょうどいいです」
燻る白。
煙い、けど、昔からこの匂い自体はたまに紘一さんがまとわりつかせていたから知っていた。
味がこんなにキツイっていうのは知らなかったけど。
「ふうん」
興味なさ気に呟き、紘一さんはそんなに吸ってない煙草を携帯灰皿にもみ消した。
カチン、と蓋を閉めそれをポケットにしまう。代わりに出したのはブレスケアのグミ。
それを3粒くらい口に放り込んで、ほら、と俺にも食べさせる。
口の中に広がる煙草とは正反対なスッキリとする柑橘系の香りと味。
「紘一さんてマメですよね」
「常識だろ?」
笑う顔は、昔と変わったようで変わらない。
そして、
「智くーん! 紘一くん居る?」
ノックとともに聞こえてきた干和の声とともに、その笑みが"いつもの"笑顔へとかわるのも。
全然、変わらない。
「いるよ。干和ちゃん」
俺の代わりに返事する柔らかな声も。
ドアへと向かう寸前に「冷えてるぞ」と俺の頬を撫でていく指も。
本当に――性質の悪さは変わらない。
***
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