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第4話

 そんな馬鹿な、と思う。  二段ベッドの上で寝転がりながらペンを弄んでいたが、馬鹿らしい、と、腕を下ろすのと同時に放り投げる。放り投げた拍子にベッドの下まで落ちてしまった。拾い上げるのも面倒だ。  あれきり彼とは連絡が取れなくなってしまった。  まったく、こんなんばっかりだ。  また相手を探すのも面倒でとりあえず抜けそうな動画を漁っていると、再生ボタンを押した瞬間に兄貴が入ってきた。兄貴の表情がサッと変わったのが分かった。  一瞬やべっ、と思ったが、こんなときに空気を読まず入ってくるそっちが悪いんだろ、と、ひらきなおって再生を続けた。あんあんと、わざとらしい声が響き渡る。気まずくて出ていくかと思ったのに、ずっと突っ立って見下ろしてくる。 「何だよ」 「……こっちの台詞だ。何やってるんだ」 「見て分かんねえの。抜きたいんだけど」 「抜くって……」 「健康な男なら当然の反応だろ。それとも何、兄貴は溜まったことがねえの」  二知翔がゲイだということは、兄貴にはバレている。おおっぴらには口にしないが、それに嫌悪を示しているということも態度で分かる。 「当然の反応かもしれないが、気持ち悪いもん見せんな」 「しようがねえだろ、男が好きなのはどうしようもないんだから。それにイマドキさー、そういうの気持ち悪いとか言ったら差別だと思うんですけどー」 「お前の性的嗜好なんてどうでもいいが、人前で堂々そういうことができる神経が気持ち悪い、って言ってるんだ」  そう言い放つと背を向け、机に向かい、参考書を広げ始めた。  気持ち悪い、というならそっちもじゃないか。  こんだけ挑発してやってんのに、そんな平然とした態度を取れる神経が気持ち悪い。ちょっとは狼狽えろ、と思う。  それとも本当に『どうでもいい』からか。貴族が使用人の前で裸になっても羞恥心を感じないのと同じように。ひとだとすら思っていないから。犬が粗相をしている、くらいの感覚か。  だったら噛みついてやる。  後ろから羽交い締めにして、本当に首筋に噛みついた。 「おい……っ!」  流石に慌てた様子を見せている。  傷を付けるつもりはなかった。そういうのは趣味じゃない。首筋に軽く当てていた歯を浮かせ、今度はそこに舌を這わせ、耳元に向かって一気に舐め上げた。じゅるじゅると下品な音を立てて。  まともに取っ組み合いをしたら勝てる自信はなかった。だからほんの少しだけにするつもりだった。けれど不意打ちしたのがよかったのか、子どもを相手にしているみたいに手応えがなかった。椅子ごと床に倒れかかる。派手な音をさせて、下にいる親に気づかれても面倒だ。咄嗟に兄貴を支える格好になっていた。  見ひらかれた兄貴の目。蛍光灯の光を映して、きらきら光っている。そこに映る、呆けた顔をした自分……  距離を保ちながら、ゆっくり横たわらせていく。兄貴の後頭部が床についたときはじめて、服の裾をぎゅっとつかまれていたことに気づいた。  腹の上にまたがり、体重をかけ、一気に距離をつめた。  操られるように、口の中を蹂躙していた。  むらむらする、とか、溜まってる、とか、やりたくてどうしようもない、とか……  そんな風に相手を誘ったことは数知れない。けれど本当の意味での『衝動』ではなかったんだ、と、初めて知った。今、この瞬間こそがまさしく『衝動』だ。  嫌い。  嫌い、嫌い、嫌い。  気持ち悪い。  嫌で、嫌で、嫌で、しかたなかったはずなのに、肌に、唇に、粘膜にふれて、もっと、もっと気持ち悪いところに踏み込もうとしている。殴りつけたいような気持ちで、でも愛情を示すような行動をしている。好きな相手としかできないようなことをしている。  こんな風にするのは初めてだった。というか、兄貴とこんなことをするのは初めてだった。というか、兄貴なんかとこんなことをしちゃいけない。そうだ、いけないことだ。それなのに、ぞっとするくらい馴染みがよかった。この馴染みのよさは何だろう。数知れないほど男とやって、感じ方のコツを得てきた……のとはまた違う、馴染み方だった。馴染む。違う。もとからそこにあったみたいな。知っていたみたいな。引き剥がされていたものが、元のところに戻っていくみたいな。  唇の端を噛まれた、のが分かった。やばい。これ以上はやばい。  引こうと思った。でも引こうとした次の瞬間、舌が絡まってきて、より深いところに引きずり込まれた。何でそんなことをするんだ、と、自分から仕掛けておきながら少しだけ、いらついた。あんたがそんなことをするから……そんなことをしたら、戻れなくなるじゃないか。  底なしの沼に引きずり込まれていくみたいだった。気持ちいい、気持ち悪い。戻りたい、戻りたくない。ぼんやりして、でも冴えている。引っ張られている、押されている……  追うように、探すように、舌を絡めていく。絡めさせ、られているのかもしれない。ぽつ、ぽつ、と気泡のように水底から浮かびあがってくるものが、肌に当たるやいなや、ぱちん、と弾ける。つかめるかも、と思った瞬間、弾ける。  そうだ、こんな風に兄貴を見下ろして……引きずり込まれた……経験が……確かに、あった。

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