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第10話
そして再び目が合ったとき、氷が溶けていくようにみるみる、兄貴の表情が崩れていくのが分かった。
「ごめん」
絞り出すような声。そんな言葉を聞きたいんじゃなかった。
「ごめん、ごめん、二知翔、こんなことになるとは思っていなかったんだ。こんなこと……」
「どういうことだよ」
顔を手で押さえて蹲る兄の両肩をつかんで、揺さぶった。
「どういうことだよ!」
「好きだった」
「……え?」
「好きだった。お前のことが。小さい頃からずっとずっと好きだった。きらきらした目をして、俺のあとをついてきてくれるお前のことが本当に好きだった。でもお前は徐々に離れていった。当然だよな。学校に行って、友達ができて……当然のことなのに、でも我慢ができなかった。だから……」
「だから、『名前を書いた』……?」
兄貴は何も言わなかった。でもその沈黙がすべてだった。
ぐしゃぐしゃにされた胸に、自然と手をやっていた。
「お前は本当に俺のものになったよ。前と同じに……いや、それ以上に俺の言うことしかきかなくなったし、俺のことしか見なくなったし、俺のことだけを思ってくれた。でも、俺のものになったお前は、俺が好きなお前じゃなかった……!」
待ってくれ。
理解が追いつかない。
何か……何か、ものすごいひどいことを言われているような気がするのに……今の自分にはちゃんと、兄貴を責める権利があるはずなのに……それなのにいつもみたいにクソ兄貴氏ね、と思えない。
「怖くなって……消そうとした。でも消し方が分からなかった。しかたがないからそうやって……そうやって、ぐしゃぐしゃにするしかなくて。次第にお前は俺から離れていって……俺のことを嫌いになってくれたみたいで……よかった、って思ってたんだ。俺の方から離れることなんてできないから。それならお前の方から離れてくれる方がよっぽどいい、って……。でも、やっぱりお前には黒々とした染みが残ったままで……」
「嘘だ!」
嘘だ、嘘だ、そんな話、誰が信じられるものか。(嘘だ、信じて、兄貴を自分のものにしようとしたくせに)
「だって俺も本当に兄貴のことが好きだった……!」(いや、本当は嫌いだった……?)
好きだった。兄貴とふれあっていると、比喩なんかじゃなく本当に、『ひとつになった』と実感した。離れたくなんてなかった。(いや、それもペンの力のせいなのか……? じゃあ一体いつ。いつまでが本当の自分で、いつからが書き換えられた自分なんだ)
違う、同じ屋根の下にいるというだけで鬱陶しくて、死ねと思った。(いや、でも、小さい頃、プールで兄貴に手を引かれた思い出は本物だ。あの頃からずっと兄貴に焦がれていた)(いや、そもそもそれは、『本当の』思い出なのか……? 水が怖くて泣いていたのは本当に自分なのか……?)
分からない、分からない、分からない、何もかも分からない……!
混乱している二知翔を置いて、今まで沈黙していた反動のように兄貴は、身勝手な告解をする。
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