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第11話 鼻の奥に残る蜂蜜臭
叩かれた丸椅子に座ると同時に、再び小佐田さんの声が届く。
「香水つけたりしてるか?」
小佐田さんは、自分のデスクで何かを書き込みながら、声だけをオレに向けている。
まるで、病院の診察室のような風景だ。
「いえ」
「おっけ。手ぇ出して」
首を振るオレに、被せるように言葉を放つ小佐田さん。
動きも言葉も、一切無駄がない。
甲を上にして差し出したオレの右手は掴まれ、くるりと返される。
「掌が上」
言葉と同時に、手首の中央付近に、ぽたりと雫が落とされた。
「そのままキープ」
垂らされた液体は、ほんの少しだけ、オレの手首に染み込んだ。
「ちりちりしたり、痒かったりするか?」
デスクの上の資料にペンを走らせながら問うてくる小佐田さんに、オレは否定の声を返す。
「いえ。なんともないっすよ」
「おっけ」
顔を上げた小佐田さんは、手首についた香水を試香紙へと写し取り、香りを嗅ぐ。
「ぷっは。お前、体温高いだろ?」
ぷくくっと含むような笑いを立てた小佐田さんは、おかしそうにオレを見やる。
「確かに、オレ、平熱高めですね」
「子供体温……」
ぼそりと呟かれた小佐田さんの言葉に、少しだけムッとした表情を浮かべた。
「わりぃ、わりぃ」
全くもって悪いと思っていない謝り方だ。
ま、オレもそれほど怒ってもいないけど。
「ほれ。協力のお礼に、サンプルやるから機嫌直せ」
差し出していた手に小さな小瓶が握らされる。
「でも、お前、体温高すぎて蜂蜜臭だから、使うのはお勧め出来ないわ」
ケラケラと笑いながら、しっしっとあしらわれる。
試験協力に来たのに、この雑な扱いはなんだよ……。
営業部のあるフロアに戻りながら、手首の匂いを嗅いだ。
……確かに。
鼻の奥に甘ったるい蜂蜜のような匂いが残った。
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