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第20話 影も形も無い < Side網野

 ――ゴッ  鈍い音と鈍い痛み。  カウンターにぶつけた額の痛みより、握り潰されるような胸の方が何倍も痛い。 「育ちゃん……、大丈夫?」  心配そうに声を掛けてきたのは、オレが訪れている『Bar・Treffen(トレッフェン)』の従業員、ユリさんだ。  少しだけ低い声だが、完璧メイクのユリさんは、一見で男だとは気づく者は、ほぼいない。  カウンターに9席と、ボックスが4席で、従業員も3名ほどのあまり広くないバー。  オレたちの間では、発展場として有名な場所で、昔は一夜限りの相手を探しに通っていた。  ここで、オレは、鞍崎さんを見つけた。  一目惚れというやつだ。  鞍崎さんがここを訪れていたのは、オレの目的とは全然違ったけど。 「ユリさん助けて下さい。鞍崎さん、怒らせました……」  カウンターに額をつけたままに、萎れた声でユリさんに縋る。  鞍崎さんとユリさんは、昔からの知り合いだ。  オレの鞍崎さん情報の大半は、ユリさんから仕入れたもの。  ユリさんは、オレと鞍崎さんのキューピッドだ。  オレは、ユリさんに足を向けて眠れない。  鞍崎さんに避けられていると気づいてから、オレは、会社に電話をかけていない。  勿論、鞍崎さんの携帯にも。  電話で聞くような用件はなかったし、たとえ用事があったとしても、鞍崎さんが出てくれずに、落ち込むのが目に見えているから、掛けたくなかった。  敢えて渦中に飛び込み、凹んだ心をこれ以上抉られたくもない。  オレは、出張から戻ったその足で、ここを訪れていた。  鞍崎さんのコトだから、ユリさんに新作の試供品を届けに来ているかもしれないと踏んでいた。  でもその姿は、影も形もなかった。

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