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第二部「階梯と車輪」2

「で、何さ。ずいぶん親しげにしてたじゃないか」  ロッカールームに入ってすぐ店長がやってきた。このひとはまたいつもいつもふらふらして……と呆れるが、意外に面倒見がいいことは知っている。エプロンを脱ぎハンガーにかけたところでこちらの肩に腕をおく。重い。が、払いのけようとしても無駄だろう。彼女のことが知りたいのだ。 「高校の同級生です。彼女もそう言ってましたでしょう」 「おまえさんが、故郷の人間のはなしをするのは初めてだよ」  ため息になりそうな返答を察してか、肩の重みが去っていく。このひとはこれだからやりにくい。いや、わたしの性格からすれば、実のところ有り難いのかもしれない。無理やり何かを突きつけられない、または間合いをはかってもらっているのだとすれば。  そういうこちらの思案顔を素通りし、そのまま近くの椅子にだらしなく腰かける。わたしにこたえる用意があると理解したらしくおもむろに口をひらいていわく。 「名刺もらってただろ」  あのときはすぐさま陳列棚へとすすみこちらに背を向けていたはずが、しっかりと気づいたらしい。油断のならないと思うのは失礼だろうか。それとも、店長であれば当然の振る舞いか。 「また来るそうです。表通りの一本向こうに大きな十階建てのビルができたでしょう。あそこに勤めてるそうですから」  店長はなにごとか考える顔をしてこちらを仰ぎみた。それから無精髭にとりまかれた顎をひと撫でし、わたしが何もこたえないのが不満なのか、ふーん、と鼻をならした。  おまえ、気づかなかったよな。  そのとおり。気がつかなかった。気づいてもおかしくないのに。何も、察することができなかった。 「昔の恋人か?」 「違います」  声が硬くなるのを止められなかった。けれど店長は口許をゆるめ、頷いた。 「だよな。別れた男にああいう顔できるならたいしたもんだ。まあ俺の知ったこっちゃないが、気になったんでね」  悪いな、と殊勝な顔をして謝った。口先だけには見えず、かといって何が気になったのか訊ねることもできず、ただわけのわからない感情をもてあまして向き合った。すると、 「あいつはどうする」 「あいつ?」 「あいつったらあいつだよ。わかってるくせに。俺はさっきのお嬢さんみたいに、若くて綺麗でよく出来そうな女性をあいつ呼ばわりしないさ。セクシストなんでね」  思わず、彼だって若くて見栄えがよくて出来のいい男性なんじゃないですか、と言い返しそうになった。そんなこと口に出したら何を言われるかわかったものじゃない。だからこそ、 「すみませんが、このあとご依頼者と会う予定なので失礼します」  わたしはそう言ってロッカーをしめた。店長はなにも言わず立ちあがり、小机の引き出しから煙草を取り出して火をつけた。これがために来たのだとわかって、すこし気が楽になった。  扉へ向かう背中に声がかかったのはいつもどおり、んじゃまた明日、というやる気があるんだかないんだかわからない挨拶で、それでも肩越しに振り返ると、道中気をつけてな、と咥え煙草で片手をふった。  長旅に出るわけじゃあるまいし。  ただ、そうは返さなかった。こころをこめて頭をさげた。  それが、今生の別れになることもある。僕は、それを知っている。

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