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第二部「階梯と車輪」3

 一月ほど前、告白された。三月も終わりのことだ。気が動転し酷く礼を失する態度をとったわたしにも、彼は変わらなかった。  その後すぐ、どういうわけかこちらの仕事、つまり夢使い稼業がうまくまわりはじめた。かんたんにいうと、ご贔屓客がついたのだ。この仕事は口伝てがいちばん確かで、どうやら店長の知り合いが口をきいてくれたらしい。前職の人脈があるのだろう。  そんなわけで、これから赴くのはシティホテルだ。昨今は同宿することはなく、ホテルの隣室をとるのが流行りだそうだ。今日の依頼人は地方の名士だというはなしだった。場所が場所であるし、さすがにシャツとジーンズでは申し訳ない。着替えのスーツはきちんと揃えて持ってきた。これも実は店長のすすめで、わたしは若いからこそ服装に気をつけたほうがいいとアドバイスを受けた。  似たようなことは、師匠にも忠告されたことがある。夜を共にする風習のせいで、夢使いを春を鬻ぐものと同一視するひとびともいるからだ。公職につくことは許されないとはいえ、今では組合さえある職業だというのに貶めるものもいないではない。 ただし、昔の文献を紐解けばその差が曖昧であったともいえる。ひと昔前までは、そんなはなしも耳にしたと師匠がもらした。それを口実に肉体を要求する客もあったと。  差別や偏見はある。  何処にでも。至るところに。ありとあらゆることについて。 こちらがそうされるだけでなく、まるで格別の悪意なく、ましてそれを意識することもせず、誰かをこのじぶん自身がそうすることがある。  わたしが彼に行ったように。  学校、やめなくてもいいじゃない?  ふいに、彼女の声に背を衝かれたように感じた。クラス委員。男女ふたりペアで仕事をした。特にあれこれ相談せずとも物事がすすんだ。ミスもなく気懸かりもなかった。  あれは三年生のことだった。卒業するまで一年もない時期で、進学をしないというなら止めないが卒業だけはしておけと教師にも師匠にも周囲のおとなたちだけでなく友人にも言われた。一人前になって早く働きたいという言い訳は、ただの逃げ口上であるとみなに見抜かれた。  けれど自身、それがわからなかった。  僕自身、が。  思い出すことはなかったはずの傷。あの当時は痛みにすら気づけなかった。なにがじぶんをああも頑なにしたのか。それが、わからない。  ため息が、口をついて出た。  宵闇にさえまだ風が青さを僅かながら孕んでいる、こんな素晴らしく好い日和に、わたしは何故、これほど憂鬱なのだろう。  ……何故。  何故かは実のところわかっている。  それと、向き合えないだけで。

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