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第4話
任務のためだと偽れば、屋上への侵入はあっさりと叶った。薄青い入院着という格好でも、特に咎められることはなかった。またイルメールに無茶を言われている、周りはその程度の認識なのだろう。
「無茶を言われたのは、事実だけどね」
よく晴れた空の下、少し伸びた髪が風になぶられるに任せながら、エミリオは軽い口調でつぶやいた。
「ドミニオン」本部内施設はどこもかしこも最上級のホテルのように整えられているが、屋上はヘリポートが置かれている一画以外は殺風景なものだ。ヘリポートを管理している者たちの目を逃れ、塔屋の裏手に回る。
屋上の周りは頑丈なフェンスで取り囲まれているとはいえ、高さはエミリオの胸程度。監視カメラと外部からの侵入を防ぐセキュリティは内部からの脱出を阻まない。
入院生活で体力は落ちているが、これでもアルファばかりの組織内で長く副官を務めてきたのだ。肉の落ちた腕に力を込め、難なくフェンスの上に立ったエミリオは、機能的に整えられた街並みをぼんやりと眺めていた。
アルファがリードを取って整備した、エウロペ・コンチネントを代表する街。この景色を守るために全てをなげうってきた。決してオメガを認めない、この世界のために、全てを。
「そんなの、嘘だ」
エミリオはアルファではない。それほどの広い視座は持ち合わせていない。自分はただ、あの人の側にいたかっただけなのだ。
「エミリオ!」
風を切り裂き、響く兄の声。静かに振り向いたエミリオは、血相を変えて走り寄ってくるイルメールの姿を見た。めったに見ない慌てた顔がおかしくて、笑ってしまう。
「やあ、兄さん。さすがに一人で来たね」
間に合わない可能性も考えていたが、このタイミングで来るということは、病院を抜け出してすぐに気づいたのだろう。いつもなら暗殺を警戒し、エミリオ以下複数の部下を連れて行動している兄だが、事が事である。単独で動くしかなかったのだろうと思うと、さらに笑いを誘われた。
「……降りてこい」
馬鹿な真似をするな、どうしてこんなことを。そう問いかけるのも惜しいのか、イルメールは端的に命令を下した。
いつだって、兄さんは兄さんだな。ますます面白くなって、エミリオは踊るようにフェンスの上で軽くステップを踏んでみた。足が滑って落ちてもいいと思ってやったのに、鍛えた体幹が彼を踏みとどまらせた。
おなかに「問題」が入っていた時だったら、落ちたかもね。思いつきがおかしくて、またくすくすと肩を揺らす。
どうしてそんなふうに、信じられないような目で僕を見るんだろう。僕をこうしたのは、兄さん、あなたなのに。
全ては二人、ずっとこの景色を守るために。オメガの死体の上に成り立つ平和を維持するために。無意味な夢を何度も見た結果、それ以上の意味はないと、今の自分は理解している。
「なぜ、こんなことをする。お前は助かった。全ての始末は私がつけた。何も問題はない!」
すっかりと凪いだ気持ちでいるエミリオとは逆に、イルメールは危機感を募らせているようだ。その、心底分からない、という顔が滑稽だった。それでも彼への執着から逃れられない自分は、もっと滑稽だった。
逃げ道は一つだけ。
「兄さんは、僕のことなんて本当に何も知らないんだね。ずっと好きだった。さよなら」
すうすうと隙間風が吹くような腹を抱え、エミリオは虚空へ身を投げた。
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