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第5話

 目覚めると、木製の天井が目に入った。 「……ここ、は……?」  思わず出た声はひどくかすれていた。ずいぶんと長い間、エミリオは意識を失っていたようだ。  気怠い疲れに支配された頭をゆっくりと動かす。壁も木。かけられている布団を構成する布地も、化学繊維ではないようだ。最近流行のロハスとかいうやつだろうか。馬鹿馬鹿しいと、兄は一蹴する考えだが、エミリオは嫌いではない。 「オメガは……、おっと」  機能美を愛するアルファより、オメガは自然の美を愛する。それゆえに兄はロハスの流行を嫌悪し、エミリオはひそかな親和性を覚えるのだが、人前では間を取って興味がないふりをしていた。  今となってはどうでもいいような気もするが、オメガだとバレたらどんな目に遭わされるか分からないのだ。自ら飛び降りておいてなんだが、つらい現実から逃げようとしたその先で、望まぬ危機に陥りたいとは思わない。 「同じことの、繰り返しになる可能性もあるしね……」  すっかり平たくなった腹をさすりつつ、観察を進めた。総合すると病院、あるいは療養施設の一種のように思える。状況からしてあり得ない話ではないが、入院着に包まれたままの手足は自由に動いた。  気怠さはあるものの、どこにも痛みはない。上体を起こし、布団をめくって確認したが、手当てを受けているような様子もなかった。 「それにしても……僕は、飛び降りたはずでは……?」  医療技術が発達した世の中とはいえ、「ドミニオン」本部は十階建て。自らの意志で飛び降りたために足から落ちた、もしくはどこかに引っかかったとしても、大怪我は免れないはずだ。触れた頬の皮膚は疲れはあるが若々しく、年単位の時が過ぎた、というわけでもなさそうである。 「そうみたいだね」  困惑するエミリオを包み込むように優しい声がした。はっとそちらを見やれば、間仕切りの布を持ち上げて白い人影が入ってきた。見知らぬ場所へ連れてこられたというのに、出入り口の確認さえ怠っていた事実を恥じる間もなく、彼は話し始めた。 「ごめんね。迷惑かもしれないけれど、見ていられなかったから、ネブラに無理言って助けちゃった」  穏やかに微笑むのは、銀色の髪と瞳を持つ美しい青年、だろうか。二十代半ばのエミリオより少し年下に見え、体格も一回り小さい。ゆったりとした白い貫頭衣を皮の帯で留めつけているだけなので分かりにくいが、女性とは体つきが違うので男だろう。  しかし、なんとなく違和感があった。圧倒的な威厳に満ちたアルファではない。その傘の下で安寧に微睡むベータでもない。  かといって、オメガがこんなふうに落ちつき払った態度を取れるものだろうか? おまけに彼の顔には、見覚えがある。ネブラという名前も、知っている。 「あなた、は……」 「ぼくはルーメン。君たちが言うところの、神様」 「……え?」  彼の性別をいぶかしんでいたエミリオに、ルーメンはとんでもない爆弾を投げ寄越した。 「知ってるでしょ? ネブラとルーメン。ぼくたちが、この世界を作ったんだよ」 「それ、は……知って、います、が」  ネブラとルーメン。創世神話の双子神。見覚えがあるのも当然だ。「ドミニオン」のメンバーは毎朝一堂に集められ、偉大なる創世神の似姿を見上げて忠誠を新たにする、という儀式を繰り返しているのだから。  各大陸の治安維持部隊も似たような儀式をしているらしいが、特に「ドミニオン」の指導者は双子のようによく似た兄弟だ。イルメールとエミリオにネブラとルーメンを重ね、正しく「神の似姿」(イコン)であると讃えられることも多かった。 『ありがたいけど、僕はルーメン様みたいに美しくも愛らしくもないなぁ?』  ルーメンと比較されるたび、笑ってそう返すのがエミリオの恒例のやり取りだった。兄上と違って気さくな方だと、楽しそうにする部下たちにバレないように、必死になって笑っていた。僕は創世のアルファたるルーメン様とは似ても似つかない、オメガなのだと。 「エミリオ!!」  混乱する頭に聞き慣れた呼び声が追い打ちをかける。間仕切りの布を切り裂くようにして部屋に飛び込んできたのは、漆黒の制服に身を包んだイルメールだった。 「兄さん!?」  エミリオが飛び降りる寸前、イルメールが走り寄ってきたのは見えていた。彼がこの、ルーメンを名乗る青年のところまで自分を運んだろうか。  始祖の力の多くは戦闘に適した形で自分たちの代まで伝わっているが、ルーメンは始祖そのものの名を名乗るぐらいだ。本当に治癒能力を持っているのかもしれない。  兄弟で「ドミニオン」を統括しているように思われがちだが、実際の支配者は兄だけだ。彼の従者に過ぎないエミリオは知らない、知る必要がないとされていることも多い。  だが、イルメールの形相はそんなエミリオの妄想を裏切るものだった。 「これは一体どういうことだ。貴様ら、私と弟に何をした!?」  めったにない兄の大声。エミリオはびくりと身を竦ませたが、ルーメンは平然としており、いつの間にかその横に並び立った黒い人影は即座にこう言い返した。 「命を救いました」  冷静を通り越して慇懃無礼な一言は、ぞろりと牙の並んだ獣の口から発せられた。 「獣人……!?」  艶やかな黒い毛に覆われた狼が、人と同じように立ち上がった姿。エミリオたちの常識ではオメガと同等の侮蔑にさらされる存在は、金の瞳で静かに室内を睥睨している。 「そうですよ。あなた方の時代には、私は勝手に人型にされているようですが」  被毛で覆われた体に衣服はあまり必要ないのか、皮の腰巻き以外は身に着けていないながら、言葉遣いは丁寧で紳士的でさえあった。多毛症の治療を受けたことをすっぱ抜かれ、昨年自殺した有名な俳優アルファの顔が脳裏を過ぎった。 「ひどいよね。ネブラはこの姿だから、かっこいいのに。でも、人間の顔をしてても、きっとかっこいいと思うよ!!」  ネブラ、と獣人を呼んだルーメンが頬をふくらませてその腕にしがみついた。愛おしそうに銀の頭を撫でながら、ネブラはイルメールを見据えた。 「イルメール・ウルヴァン。あなたは義理の弟を孕ませた挙げ句に勝手に堕胎させた。それに絶望した弟君が自死を選び、あなたも止めようと後を追って飛び降りた。このままでは二人とも死んでしまうので、ルーメンの頼みで我らの時代へご招待しました」  淡々とした状況説明を聞いて、エミリオは思わず自らの腹を押さえた。  今はぺったりと平たくなったそこは、中に小さな命を宿していた時も、ほとんどふくらまなかった。産み月が迫っていてもそうだった。  こっそりと調べたところ、オメガの男性にはよくあることらしい。女性、ないし女性オメガと違って、妊娠の兆候が小さいのだ。  そのため、エミリオ自身も最初は気づかなかった。一時期はひどい吐き気に悩まされ、今まで好きだった食べ物を受けつけなくなったりもしたが、そんなはずがない、と思いたかった。

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