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第3話
「雨谷ちゃん、誰か来たみたいだけど」
とろとろとした緩い眠気を破ったのはインターホンの音に続いた安曇さんの声。
眠ってから数時間も経っていないだろう時間でも世間的には普通に人が動いている時間だ。ただ俺にはまだ眠りが圧倒的に足りず、頭を上げることさえ億劫で。
「荷物届く予定とかある?」
「んー……あるかも。ないかも?」
「俺出てくるよ」
引きこもりの物書きよりは体力があるらしい作曲家は、そう言ってベッドから軽やかに下りると手早く着替えながら玄関へと向かった。
俺がヒートの時に寝室にこもっている間なにかと世話をしてくれているから、俺宛ての荷物の受け取りも慣れている。だから任せてしまおうと二度寝を決め込もうとしたと同時にドアが開く音がした。
「はいはーい。って」
「「あれ?」」
安曇さんの声と誰かの声が見事にハモる。困惑がわかりやすく表された一言。いきなりドアを開けられて驚きでもしたのだろうかと眠りに入ろうとする頭でなんとなく思い。
「ここって雨谷翠の家じゃ……?」
「そうですけど」
「じゃあ翠出してもらえます?」
次の瞬間水をかけられたように目が覚めた。
俺を「翠」と呼ぶその声。
記憶よりも幾分低まってはいたけれど、それでも間違えようのないその響きに、俺は下着にシャツだけかぶって玄関へと飛び出した。
それと同時に目を突き刺した日の光の眩しさに思わず顔をしかめ、それからその光を遮る立派な体躯を凝視する。まさかとは思ったけど、そのまさかだ。
「颯吾 ……!?」
「翠! 久しぶり」
知っている顔より精悍さは増していたけれど、相好を崩したその幼さの残る顔はやっぱり颯吾だ。
俺の幼馴染で、兄弟同然、本当の弟のように育った相手。こんなところにいるはずがないのに。
驚きのまま固まる俺に手を伸ばし、手首を確かめるように掴んだ颯吾は形のいい眉をひそめてみせた。
「前よりも痩せてる。ちゃんと飯食ってるか?」
身長だけの俺と違って、颯吾はしっかりとした体つきをしているからその差がやけに強調される。背の高さはそれほど変わらないのにこれだけ厚みが違うのは、やっぱり俺がオメガだからだろうか。
「そんなことより、なんで颯吾がここに?」
「隣に引っ越してきた」
隣と示されたのは奥の角部屋。
郊外の高台にある四階建てのマンションの四階角部屋だから見晴らしもよく広さも十分だけど、なんせ駅から離れている上にエレベーターがないという悪条件があって少しの間空き部屋が続いていた。その分家賃は広さに比べてかなり安いけれど、普通に通勤する分にはとても不便な場所にある。そんなところにたまたま颯吾が引っ越してくる偶然なんてあるわけがない。
「まだ俺ん家片付いてないから上がらせて」
だけど颯吾は俺の疑惑の視線をなんなく受け流して、実家に帰ってきたかのような気軽さで家に入ってきた。その、あまりにも自然な強引さに、俺は引き留めるどころかその姿を見送ってしまう。慌てて追った時にはもう遅く。
じゃあ俺帰るから、なんて颯吾とすれ違いになる形でさっさと帰ってしまった安曇さんがたぶん一番賢い。
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