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第2話

 コルーゼランダーク王国は、豊富な水と実りのある緑に恵まれた大国である。その国力は大陸の中でも随一だと、近隣諸国から羨望の噂が絶えない程だった。  前方だけでなく後方まで延々と伸びる、遥かに聳え立つ高い峰々が見える。あれがルラシア山脈だ。年中厚い雪原と氷に覆われている峻厳な山脈が、外から襲って来る敵や魔物から国を守るように囲んでいる。  その下には雄大な草原が広がり、山脈からの澄み切った清水がせせらぎと共に流れて、川へと繋がっていた。その草原の草や川の水を求めてやって来た、放牧された家畜が転々としながら、のんびりと寛いでいる。  コルーゼランダーク王国へと続く、整備された長大な道路の向こう側には、豊かに実をならせた穀物畑が、太陽の恵みをふんだんに受けて黄金色に輝いていた。  そのまま道なりに辿って行くと、白い城壁が前方を塞ぎ、立派な門扉が開放された、南大門が見えてくる。  高い城壁に囲まれた城の入り口をくぐると、そこからは商業の街、キャリヨンである。  雑多な店々が所狭しと立ち並び、店主達が大きな声を張り上げ、呼び込みをしている。  数え切れない人々、様々な人種の者達が慌ただしく行き交っており、各々目的の場所へ向かおうと早足で歩き去って行く。   門から離れて奥へ向かうにつれて、人口密度は少なくなる。徐々に喧騒と雑然とした雰囲気はなりを潜め、静けさと落ち着きを取り戻していった。  その通りの一角に、青い塗装に彩られたカフェ、「リピュアン」がひっそりと営業している。  リピュアンの近辺には、小さな個人経営の魔法書店や魔道具店、魔法雑貨店が連なって店を出していた。その為、魔法学校の学生や魔術を生業とした人々が、よくこのカフェで読書をしたり、待ち合わせ場所に使用していた。  ラシャ・ミュも、店内のソファで静かに読書をしている内の一人だった。  テーブルの上には、ミルクがたっぷりと入っている濃い目の紅茶が目の前に置かれている。しかしまるで眼に入っていないのか、その明るく輝く銀色の瞳は、書物に書かれている文字を一心に追いかけていた。  面白い内容に直面すると、時折長くピンと立った白い耳がひくひくと小さく動く。  ボブにカットされた白く柔らかい髪から白いウサギ耳を生やした、小柄な体格に幼気な容貌のラシャ・ミュ。彼の見た目から分かる通り、兎獣人である。  彼は、魔法関連書を読むのが何より大好きなのが故に、集中し過ぎて周りの事を忘れてしまう残念な癖があった。  今日も対面にいる恋人の存在をつい忘れてしまう位には、興味深い内容が沢山書かれていて、しっかり読み耽ってしまっている。  そんな恋人に対して不満を言うでもなく、穏やかな眼差しで見守っている男は、ドラグ・オンディ・アーク。青味がかった艶のある黒髪を後ろで縛っている、大柄な体躯をした竜人だ。  その鍛え上げられた身体の首から下は、透明の美麗な宝石のように輝く蒼色の竜鱗が生えており、時折服の襟元からチラリと見える。その度に、隣の女性の熱い視線が強くなるのはいつもの光景だったりする。  そこへ、給仕が注文したケーキ等を持って現れた。 「お待たせしました。オレンジとレモンクリームのタルトと、エルノー産トトカモ肉のトマトソーススパゲティでございます」  濃い青色のエプロンを着た給仕が声をかけると、ラシャの耳がピクリと震えて、本から顔を上げた。 「あっ、ごめんなさい。また僕、本に夢中になってしまって……。今片付けますのでっ」  慌ててテーブルを占拠していた本を閉じ、鞄にしまった。  そんな彼を見て、ドルクと店員は温かく微笑んだ。 「お客様、謝らないでください」 「そうだぞ。静かに本を読んでいる客はたくさんいるんだから、気にする事はない」  二人の言葉に、ラシャは恥ずかしそうにはにかんだ。 「ありがとうございます。あ、僕が頼んだのは、そのケーキです」 「かしこまりました」 「うわぁ、美味しそう」  オレンジとレモンの瑞々しいフルーツの爽やかな色合いと香りが、とても食欲をそそった。  ドラグのスパゲティを置きながら、ラシャの正直な態度に店員は微笑ましいとばかりに、目元を和らげた。  どうぞごゆっくりなさってくださいと声をかけると、他の客に呼ばれて離れて行った。 「全く、そんなところも可愛いが無防備で心配だな」 「え?急に何を言い出すの?」 「他の男にそんなに無邪気に話されると、もやもやしてしまうんだ」 「無邪気にって、普通に話しただけだと思うんだけど」 「そうなんだが、恋人としてはどうしても嫉妬してしまうんだ。ラシャは気にしなくていい事だ」  ドラグはそう苦笑して、さぁ、食べよう、とフォークを取り、スパゲティを食べ始めた。  そんな彼をしばらく戸惑いながら見つめて、ラシャはようやくフォークを手にした。  アルファである君こそ、いつも沢山の人に囲まれているのに。それを見る度に、オメガの僕は嬉しく思うけど、少しだけ寂しくもなるんだよ、ドラグ。  冷たい甘酸っぱいクリームに混ざっている、細かく刻まれたほろ苦いレモンピールを噛みながら、ラシャは恋人にそう心の中で呼び掛けた。

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