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第8話

◇  ヨルに連れられ、ラシャはどこかうわの空のまま寝室へ向かった。  寝室の扉を開けると、広い部屋の中央に赤と金色の天蓋付きの豪奢で巨大なベッドが目に入ってきた。  ここはファランの寝室であり、ラシャの寝室でもあった。ファランがラシャに一緒に寝て欲しいと頼んだからだ。  子供の頃は、小さいラシャを独りで寝させるのは心配だという理由で、ファランと寝ていた。しかし魔法学校に入学して、ラシャは一人で寝たいと兄に頼んだ事がある。  その時は、月一回『発情期促進剤』を飲むという交換約束をして、やっと許しを貰えたのだ。自分専用のベッドを用意して貰えて、とても快適で嬉しかった。   その自分の様子にファランが一気に落ち込み始め、周りが心配する声が上がった程、仕事に支障が出てしまったらしい。  困り果て、王子を案じた側近達がやって来て、ファラン様の寝室にどうかお戻りくださいと泣きつかれてしまった。その為、渋々また一緒に寝ているのだ。  それからも何度か自分の寝室が欲しいと頼んだのだが、オメガのラシャを独りにするのは心配だと涙を浮かべた兄と、自分よりも遥かに大きくて生意気な弟にも寝室は必要ないと却下されたのだった。 「ヨル、ベッドにお願い」 「畏まりました」  ラシャは両腕を上げ、ヨルの肩に抱き着いた。ヨルは軽々と持ち上げ、ベッドの縁に彼を乗せた。  ラシャは周りを見て、余裕で三、四回、頭から転げ回れそうだと思った。床に脚のつかない高さのアルファ用のベッドを見て、溜め息を吐く。  小動物系のラシャには、酷く大き過ぎるベッドだ。高さも胸の位置まであり、登り降りもかなり困難なのだ。時々ならこんなベッドに寝るのも楽しいだろうが、毎日だと何かと辛い物がある。  辛いと言えば、これから飲む薬によってもたらされる効能で、二日間もベッドとお友達になるというかなりハードな物なのだ。なにせ丸一日発情しつづけるという、強力な効果を持つからだ。 「ラシャ様、『ラビトーの恋雫』です。どうぞお飲みください」  ヨルが、濃い桃色をした小さな飴玉のような薬とコップに入った水を、トレーの上に乗せて持って来た。  『ラビトーの恋雫』は、透明な濃い桃色をした飴状の丸薬で、オメガの発情期を促す為の促進剤だ。一時的にだが、動悸、息切れ、喉の乾きを覚え始め、次第に発情期と似た症状を誘発させる。  苺花草の白い根を乾燥させて粉末にした物と、地獄恋華の赤い蜜を果実酒で甘く煮詰めた物が原料となっている。  ヨルが見ている前で、ラシャは小さな丸薬を摘み取り、口に入れた。入れた途端に溶け始め、甘ったるい苺の味が舌を痺れさせた。慌ててコップの水を口に含み、丸薬を飲み込んだ。口の中に苺の風味を残したまま、ラシャはふぅ、と一つ息を吐き出した。  この薬は、ラビトーという兎獣人が初めて作ったとされている。その後、彼の名前で商品化され、改良を加えられながら広い地域で使用されている。  ラシャのような発情期が来ない者に性の快楽を覚えさせる目的だったり、中高年のオメガが性行為を愉しむ為の嗜好品として、主に利用されている。特に小動物系に良く効く薬だ。  兎獣人は、比較的発情期が早く来るとされているのだが、ラシャは遅くて、十七才になってもまだ発情期を迎えていなかった。発情期が来ない者は、稀にはいるらしいのが、まさか自分がそうだとは思わなかった。  早く定期的に発情期が来るようになって、大人になったとドラグに報せたい。  兄もラシャが発情期を迎えたら、ドラグを呼んでいいと許可を貰っているのに。  発情している時に、ドラグのあの重そうな長槍で鍛えられた、硬い筋肉と皮膚で覆われた大きな手で触れられたら、どんな気持ちになるのだろうか。あの熱くて弾力のある唇で強く肌を吸われたら……。  そう想像するだけで、身体がゾクリと震え、腹部から熱い何かが拡がった。 「あっ、はぁっ……」  両腕を交差するように、二の腕を掴む。動悸が速い速度で脈打ち始めたのが分かった。  疑似発情の前触れだ。この後、まもなく呼吸が乱れ出し、息切れが起きる。呼吸が荒くなるにつれて、吐き出す息も熱くなっていく。 「はぁっ、はぁっ、はっ、はっ……」  なんとか肺に空気を送ろうと、前屈みになりながら呼吸を繰り返す。前のめりになっていくラシャの身体が、僅かに前方に傾いだ。バランスを崩しそうになった時だった。誰かが彼の肩を掴み、支えた。  ヨルだろうか。ありがとうって言わなきゃ……。  ラシャが僅かに目を上げると、そこには長い金髪を下ろし、額に一角獣の角が神々しく光らせた麗人が立っていた。  微かに湿った長髪の間からうっすらと微笑む男性からは、石鹸の香りと共に、濃厚なアルファのフェロモンが漏れ出していた。 「どうやら薬が効いてきたようだね」 「に、兄様……」  自然と慄き、声と身体を震わすラシャに、ファランは安心させようと甘く微笑み、頭をそっと撫でた。 「あぁ、怖らがなくていいんだよ。これから頑張って大人になる練習をするだけなのだから。兄に身を任せて楽にしていなさい」  そう囁きながら、蛹の皮を取り除くように、ラシャの薄いガウンをするりと剥いだ。

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