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第6話

『もし、そなたが良ければ……』  という言葉通りに受け取るのであれば、胤は誰が薬師の淹れた茶など飲めるか、と吐き捨て、剤の庵を後にすることだってできた筈だ。  だが、剤の好意を無碍にするのも胤にとっては気持ちが良いものではなかった。何故なら、剤があの憎い薬師であることは紛れもない事実ではあるが、剤が母代わりだった奥方を殺めた訳ではない。  胤はさらに不機嫌になりそうな表情を悟られぬように茶を煎じる剤の方ではなく、土間から上がったところにある百目だんすや薬研の方を向き、睨みつけた。 「薬種屋に出入りせぬのなら、そのようなものでも珍しいかも知れぬな」  剤は世間話をしながらも、器用に茶葉を煎じ、花茶を淹れる。昨日、胤の店から買った茶葉や身体にも舌にも良い茶に整える。 「そなたが昨日、振る舞ったものに比べると旨味は足りぬかも知れぬが、さあ、ひといきに」  この辺りではあまり見ない、真っ白な土で焼かれ、薄っすらと金の装飾が入った茶碗に品良く淹れられた赤茶色の茶。  胤は剤に言われるままに、一気に飲み干した。健康茶というか、薬じみているかと思いきや、嫌な苦味や誤魔化すような甘味などはなく、加えて身体中の毒気が抜けていく感覚がして、剤は胤から目を逸らすと言った。 「幾分かは身体の毒気は抜けるかも知れぬが、やはりそなたには身体よりも傷が負った場所があるらしい……」 「それはどういう……」  剤は胤の方から障子の方を見ると、また雷が落ちる。  まるで、雷光が光り、雷音とともに落ちることも、胤の心の内も見透かしていると言わんばかりに剤は百目だんすから薬名の入っていない丸薬を取り出した。 「これはそなたの傷を負った事実がない世界に行ける薬。飲めば、愛別離苦さえも覆し、幸福になることもできるだろう」  剤は胤に薬を手渡そうとするが、受け取ろうとはしない。  思えば、母上と慕っていた奥方を殺したのも、父上と慕っていた師父を失ったのも薬が効かぬようになったのが原因だった。  いくら、剤の勧めとはいえ、胤は「はい、そうか」と受け取ることはできなかった。 「そう……よな。無理もないことかも知れぬ。幸福を受け取るということはそれを奪われる日も必ずくるということ。そなたとて恐れて、足が竦んでしまうだろう」  剤の挑発とも言える言葉に、胤はカッと血が上る。「貸せ」と言わんばかりに胤は剤の手から袋から丸薬を取り出すと、口の中へ放り込んでしまった。  もし、剤が暗殺者で、胤がその標的ならこんなに容易い仕事もないだろうが、剤は薬師であり、胤は剤の巻子を届けに来た商人だった。 「愛別離苦さえも覆し、幸福になる……実に馬鹿馬鹿しい。そ……んな、こと、は……」  胤の視界が大きくぐらりと揺れる。身体に痛みがある訳でもなく、呼吸などがままならず、苦しいという訳でもない。  ただただ、胤は剤の目の前、土間の上で倒れてしまい、意識を手放した。

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