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第5話 煙草

 ぎこちなく笑いあった翌日、二人は一緒に買いものをして、初めて一緒に外食をした。 廣沢は土地の味に驚いて、水野は自分の知らない仕事があることを、ほんの少しだけ知った。 駅からまっすぐに伸びた一本道は、商店の立ち並ぶ大通りへとつながっている。山に向かう上り坂を登ったり下ったりしながら、必要なものを買いそろえた。 これからは、毎日この大通りに通って、買い物をすることになる。町の人たちと少しずつ顔見知りになって、味噌や醤油の味にもなじんでいくだろう。 そば屋の後に立ち寄った八百屋では、大根が旨いとすすめられた。威勢の良い親父の声に乗せられて、一緒に里芋も買った。その晩、ツタが味噌で煮てくれた。足の先まで暖まって、とてもうまかった。   念願の煙草屋は、うんと坂を上った所と駅前にある。重い荷物を背負った二人は、もう一頑張りして、坂の上のたばこ屋で煙草を手に入れた。 廣沢は、煙草とマッチを一箱ずつ買うと、大事そうにポケットにしまった。 「一本吸っていきますか?」 水野が、廣沢に声をかけた。植木の親方も、休憩中に一服する時は、それは気持ちの良さそうに煙を吐いていた。きっと、廣沢も吸いたいだろうと思ったのだ。 「あ、いい?灰皿、どこかにあるかな」 申し訳なさそうにしながらも、廣沢の手はポケットに伸びている。水野は、店の横手にある灰皿を指さした。 「そこです」 廣沢は、今度こそ素直に破顔して、悪いねと言いながら早速一本火を点けた。しゅっとマッチをこする音と火薬の燃える匂いがする。咥えた煙草を喫うと、火がついた先が赤く光ってじりじりと燃えていく。ほうと大きく煙を吐き出す廣沢は、やはりとても大人に見えた。 「うまいですか?」 「ああ。寒いのに悪いね。ちょっとだけ……」 「じゃ、そのまま歩きましょうか」 「いや」 水野は、歩き煙草で帰るとばかり思って、行きましょうかと言った。だが廣沢は、まだ半分ほど残っている煙草を灰皿に押し付けた。 「待たせた。悪かったね」 「や、もったいない。歩きながらもう少し喫えたのに」 「ああ、そうか。歩き煙草の習慣がなかったものだから。以前は、休憩時間に台所から裏庭に出て、そこで一服していたんだ」 「お屋敷から外に出た時に、喫わなかったんですか?」 「お休みにはね。映画の後に喫茶店に行ったりしたよ。お屋敷にいる間は、どこに火種を落としてしまうかわからないから、煙草を咥えてフラフラするなと教えられていたんだ。そのせいだな、きっと」 「色々、決まりがあるんですね」 「堅苦しく考えることはないんだよ。ただ、火事はね。せっかく空襲で焼けたものを立て直したんだ。今になって燃やしてしまったんじゃ、悔しいだろ?お屋敷は、仕事場だけれど私たちの家でもあるんだから」 「はい」 水野にも、その理屈はよくわかった。この土地は、運の良いことに空襲はなかったけれど、山の向こうが赤く燃えていた日のことを、何度も親たちから聞いている。 「さ、日が傾く前に戻ろう」 廣沢は、もう何度目かわからない笑顔を作って、水野を見た。その笑顔にひるむことなく、水野は背中の荷物を背負いなおした。 ☆  知らぬ者同士の寄り合い所帯は、少しずつその様相を変えていった。 毎朝、新聞が届くようになった。ツタは、毎朝、採ったばかりの野菜や卵を届けに来て、夕方には夕飯を作ってくれた。その代わりと言っては何だが、洗濯機を好きに使ってもらった。 廣沢と水野は、一緒に朝ご飯を食べて、それぞれに働いた。 余談だが、二人は塩を買えていない。専売の塩は、地域で「本家」と呼ばれる家で扱っているので、よそ者と若造の二人組にはひどく敷居が高かった。しばらくは、ツタが譲ってくれた塩でしのぐ他はない。もう少し町に馴染んでから、ツタと一緒に挨拶がてら塩を譲ってもらいに行こうという話になった。 生活の心配をする傍らで、津田から頼まれた仕事も、どんどん片づけねばならない。 二人は、よく掃除をした台所と続きの畳の間に、食器棚に収まっていた大量の食器を運び出した。 「同じ皿が、何でこんなに沢山あるんだ」 壊さないようにと思うほど、水野の肩には力が入って嫌な汗をかく。 「洋食器は、同じ柄の小皿や大皿を何人分も揃いで作るものらしいよ。これは、7人分。ちょっと多いね」 「そんなに?それに、全部絵が描いてあったり金の筋が入ったりしてて、傷をつけたりしたら」 「そうだね。そうなると、揃いにならない。まぁ、その辺は、津田様が上手くやってくださる」 「銀屋さんが持ってきた茶碗や皿は、それほど数はないですよね。それに、もっと普通でした」 「うん。揃いといっても四組だから、最近の一家族分だ。波多野様は、お客様をあまり呼ばないおつもりなのかもしれないね。それにしても、木箱が足りないな」 廣沢が、どうしよかと水野を見やれば、水野もうーんと首をひねっている。 結局夕飯時にツタに聞いてみることにした。 すると、八百屋やお茶屋であまりがないか聞いてごらんと教えてくれた。 「それに、まずは銀屋さんに聞いてごらんなさいな。きっと上手く見繕ってくれるでしょうに」 二人は、顔を見合わせた。確かに、それが一番早そうだ。 翌日、早速銀屋に行ってみることにした。 「おはようございます」 水野は、声をかけながら、カラカラと引き戸を開けた。 暗い店内には、ガラスケースに入った人形や器が並び、絵は無造作に立てかけてある。返答がないのでもう一度声をかけると、さらに奥から応答の声が聞こえて、のそりと大きな影が動いた。 「何だ、お前たちか。終わったかい?」 「いえ、ご相談がありまして」 新米管理人二人は、丁寧に頭を下げる。津田は、何事かと思いつつ手真似で店の奥に二人を呼んだ。  小さな座卓を挟んで相対すると、煙草盆を引き寄せた。 「で、何だ」 慣れた手つきで煙草に火をつけて、ふーっと吹き出した煙が言葉と一緒に宙を舞う。 「はい」 廣沢は、居住まいをただす。それを見て、水野もあわてて丸まった背中を伸ばした。 「食器の入れ替えが、終わります。ただ、少し困っている事があります。こちらに食器を運ぶための、木箱が足りません。この辺りで、木箱を譲ってくれるような店をご存知ないでしょうか。ツタさんは、八百屋かお茶屋がいいだろうと教えてくださったのですが、一度津田様にご相談をと思いまして参りました」 「廣沢」 「はい」 津田は、合いの手のように煙草を深く喫って煙を吐くと、少々呆れたという顔で二人を見る。 「お前さんは、そんな風にしか喋れねぇのかい?もっとざっくばらんに、できないかねぇ」 「と、言われましても」 「まぁ、そうだな。そのうちこっちが慣れるか、そっちが崩れるかするだろうさ。お前さんがその方が話易いならそれでいいさ。で、木箱な。あるある。おい、植木屋」 「はい」 「お前、後でリヤカー引いてこい」 「はい!」 「やけに元気がいいじゃねぇか」 「力仕事なら、できます」 水野の表情はわかりにくいけれど、この時ばかりは勇んでいるのがよくわかる。それを、廣沢が頼もしげに見ている。津田は、そんな二人を微笑ましく思いつつ、波多野の読みはどうやら当たっているらしいと、少々驚いてもいた。生まれも育ちもまるで違う二人を雇って、突然一緒に仕事をしろというのは無茶な話だ。しかも住込みときている。波多野が自分に仕事を頼んだのは、ついでに二人の面倒を見てやってくれということだろうとは思っていたが、存外面白いものが見られるかもしれない。 津田は、妙に肩入れしてやりたいような気がしてきた。 いつ見ても、鯱張(しゃっちょこばっ)た廣沢と、何を考えているのかわからない水野。かつて失くした部下たちを、どこかで重ねてしまうからかもしれない。 「では、一度戻って水野をこちらに来させますので、よろしくお願いします」 暖かな沈黙を、廣沢の声が優しく霧散させた。 津田は、わかったと頷いて、店を出ていく二人の背中に慌てるなよと声をかけた。 ☆ 「ばあちゃんの言う通りでしたね」 水野の声が、心なしか弾んでいる。歩く速度も速いようだ。 「ツタさんに聞いてみてよかった。これで、あの食器も片付く。最初の仕事だからね。間違いなくやりたいんだ。君もそうだろう?」 「はい」 「君は……」 廣沢が、何かを言いかけて口を閉じた。そして、じっと水野を見つめる。 「何か、まずかったですか?」 「いやいや、そうじゃないんだ」 恐る恐る問い返した水野に、廣沢は思わずというような自然な笑顔を返した。 「色々聞いてくれるし、私が何か答えれば、ひどく感心してくれるだろう?確かに、私はお屋敷仕事をどうやってこなすかは、知っている。でも、一歩お屋敷の外に出れば知らない事ばかりさ。あまり君がほめてくれるから、勘違いしそうになるよ。私は、君の兄弟子でもなんでもない」 「お屋敷の中の仕事については、兄弟子というか師匠、です」 「ああ、そういう事か……。君は、それが収まりがいいのかい?」 「はい」 「私がわからない事や知らないことは、聞いてもいいんだろう?」 「勿論。俺のわかる事なら答えますし、わかんなかったらばあちゃんに聞きます」 「そうだ。ツタさんもいる。津田様も助けてくださるし。君の考えや思うところも、もっと聞かせてくれよ」 「いや、俺なんて」 「違うだろう」 嬉しさをにじませながらも、苦笑いをしている水野に、廣沢は足をとめた。 「君は、私と同じ波多野様が選んだ管理人だ。自分を卑下するのはよしたまえ。それは美点じゃない。君のいい処は、他に沢山あるだろう」 「そう、ですか?」 「きっと。多分ね」 「きっと?」 だって、まだよく知らないんだよと、廣沢は膨れてみせる。水野は、腹の奥がくすぐられるように楽しくなって、くふふと笑いをこぼしてしまった。 「さぁ、急いで戻ろう。リヤカーはツタさんに借りるのかい?」 「はい!」 二人は、雪解けの水たまりをよけながら、帰り道を急いだ。 ☆  リヤカーを引いて取って返した水野は、じきに戻って来た。木箱を積んだリヤカーのお尻を、津田が押してくれたそうだ。 そして、三人の手で食器はあっという間に箱詰めされていった。 廣沢は、急ぎの用がないならと津田を引き留めて、いつものストーブの前にお茶をだした。 「それにしても、前の旦那は派手好きだな」 「どちらかというと、ご商売のためです。ご自宅の旦那様の私室は、ごく普通のお部屋でした」 「なるほど。はったりも必要ってことか。で、これからお前らはどうするんだ?」 茶をすすりながら、津田は気軽に聞いてみた。 それに対して、水野の顔にはわかりませんと書いてあり、廣沢は眉間をぎゅっと寄せた。 「……なんだよ」 「はい。それも、少し困っています。家の中をあちこち見て歩いたのですが、波多野様にお伺いしないと決められないことが沢山ございます」 「例えば?」 少し面白そうだと、津田が上目で廣沢の顔を見る。すると、津田が滔々と話し始めた。 「まず、主寝室です。早川の旦那様と奥様がお使いだった部屋ですが、今は空っぽです。寝具やカーテン、文机や本棚は必要かなどお伺いして、揃えなければなりません。また、お嬢様方のお部屋は、以前お使いのままになっております。こちらも、年若い女性がいないのであれば、家具を入れ替えなければなりません。それに、別の用途にお使いなら、壁紙を変えた方がいいでしょう」 「壁紙?」 「はい。淡い黄色に、ピンクの花模様でございます」 面白そうに聞いていた津田と水野が目を合わせて、それは困るなと眉をしかめたり口をへの字に曲げたりしている。しかし、廣沢は一向お構いなしに話を続ける。 「他にも、お食事用のテーブルと椅子、飾り棚や背の低い箪笥は、どれも先ほどお話にあったいわゆる商売用です。つまり、お客様をお招きになる予定がないなら、聊か仰々しいのです。波多野様の趣味に合うというならそのままですが、そうでないなら、こちらも入れ替えませんと」 「確かに。奴は、あんな猫の足みたいな机は御免被りたいだろうな」 「ですから」 津田は、廣沢に最後まで言わせまいと、両手をその顔の前に広げた。 「波多野を呼べと」 「いや、呼べ、というか、その、ご都合を伺いたいのです。電報も失礼ですし、お手紙をお送りしても宜しいでしょうか」 懸命に言葉を尽くす廣沢の様子を見てきた水野は、今になってやっと問題の本質がわかった。 廣沢は、指示がない状態で家の中をいじりたくないのだ。しかも、それについて指示を仰ぐ方法について、悩んでいたのだ。どの方法が、もっとも失礼がないか、と。 「失礼も何もねぇだろ。自分の家のことだ自分で決めろ、ついてはこっちに来いと波多野に言やぁいい話だろ?」 津田の返答は理にかなっている。だが、廣沢にはかなり難しい注文だ。 水野は、恐る恐る口をはさんでみた。 「あの」 何かと廣沢と津田が、一度に水野の顔を見る。 怯みそうになるが、水野は廣沢の困りきった目を見て、腹に力をいれる。 「あの、そういう、注文を受けてから細かいところを詰めるってのは、どこでもある話だと思うんで。廣沢さんがお手紙を書いて、銀屋さんに電話で口添えしていただくっていうのは、どうでしょうか?」 「ああ」 「いい事言うじゃねぇか、植木屋」 今度こそ、水野は本気で照れて、しきりに後ろ頭を掻きむしっている。 廣沢は、目からうろこが落ちるような気がして、ほっと安堵の息をついた。 「そうか。水野君、ありがとう」 安心したと笑う廣沢は、とても自然だ。いつもの作った笑顔に比べて、幾分くしゃっとしているけれど。 「じゃ、それで行くか?」 廣沢は、大きく頷いた。 「はい。お願いします。それでは、私からまず波多野様にお手紙をお送りします。そこで、こちらに来られるようならいつ頃かお返事を、と書いておきますので、津田様がお電話してくださった時に伺っておいてください」 「なんだ。仕事が増えたな。まぁ、いい」 うまく収まったなと笑った津田は、コートの内ポケットを探った。 「一本いいかい?」 水野が、すっと立ち上がって灰皿を差し出した。 「悪いな。お前たちも、やるんなら」 いえいえと廣沢が手を左右に振っているのとは反対側で、水野がぽんと爆弾を落とす。 「俺は喫わないですけど、廣沢さんは喫います」 「なっ……!」 水野の一言にひどく驚いて言葉に詰まってしまった廣沢は、口が動かない代わりとでも言うように、水野をぎゅっとにらみつける。なのに、その表情は変わらない。 津田は、双方を交互に見やって、吹き出して笑いだした。 「津田様!」 「廣沢、お前の負けだ。水野は、俺の言うことをちゃんと聞いてたのさ。なぁ?」 そうだろうと水野を見やると、その通りだと大きく頷いた。 「な?諦めて、お前も一本喫えよ。俺たちは、仕事仲間なんだからよ」 「……は、はい」 廣沢は、仕事のスイッチを強制的に切られてしまったかのような気がして、背中がくにゃんと曲がってしまった。 そして、水野と津田が雑談を始めたのを聞きながら、自分の煙草とマッチを取り出した。 「じゃ、失礼して」 煙草の箱をカサリと揺らして、一本飛び出した煙草をくわえると、マッチで火を点けた。 ふーっと大きく煙を吐いて顔をあげると、二人がニヤニヤ笑いながら見ていた。 「な、なんでしょう」 「いや、一仕事終えた後の一服は、格別だろう?」 口の端をゆがめてにやりと笑う津田は、まるでなんでもお見通しと言わんばかりだ。 その向こうで、水野も満足気に笑っている。 「津田様。それに水野君まで、そんなに笑わなくったって、いいじゃないか」 少々不貞腐れていると、その言葉につられるようにして水野の顔を見た津田が不思議そうに言った。 「これで、植木屋は笑ってんのか?」 「と、思います。なぁ、水野君」 「や、多分。はい」 「どっちだよ。わかりにくい男だなぁ。言うことは言うくせに。まったくお前たちは面白いよ」 当人たちを置いてきぼりにして、津田はひどく機嫌が良かった。 水野が、茶を入れ替えるとそれを飲み、煙草ももう一本喫ってから重い腰をあげた。 木箱を積んだリヤカーを、帰りは三人で押したり引いたりして銀屋まで運んだ。 力仕事に精をだして、寒いなかでも背中に汗をかくほどだった。 往復した水野は、その晩ぐっすり眠り、そのすぐ近くで廣沢は波多野に宛てて手紙を書いた。 もうすぐ、暖かくなります。是非、一度おいでくださいと。

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