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〈番外編〉 訪問者 6 【綾音と涼平】

綾音と二人で市街地までバスで下り、電車に乗った。二人掛けのシートに腰掛け鈍行列車の緩い揺れに身を任せる。横を見ると、隣に座る綾音の手に小さな箱が乗っていた。 「綾音、それどうした」 「帰る時に藤代さまから戴いたの」 リボンで巻かれただけのシンプルな小箱。 一瞬 指輪かと思いドキリとしたが、持ってみると何も入ってないかのように軽い。振ってもかすかにカタカタと音がするだけだ。 「パンドラの箱なんですって」 「パンドラの箱?」 「うん。そう仰ったの」 ――先に玄関を出た涼平君を追って帰ろうとしたら藤代さまに呼び止められた。 「あ、待って、綾音さん手を出して」 「え、こうですか?」 広げた手の平に乗せられた、リボンを結ばれたシンプルな小箱。 「今日の訪問記念にあげる。パンドラの箱」 「パンドラの箱ですか?」 「そう。開けてもいいけど時期が来るまではただの箱だよ」 僕はしげしげと箱を眺めた。クリーム色で名刺入れのような大きさ。軽い。 「時期が来たら?なんだろう……不思議な箱。じゃあその時まで大事に取っておきますね」 「うん。そうして。じゃあね」 「はい、失礼します」 そう挨拶をして急いで涼平君を追ったんだ。走って揺れた箱からはカタカタと軽い音がしてたよ── 綾音からその話を聞いた俺は、藤代さんをますます薄気味悪く感じた。 時期が来たら? あの人は綾音の未来に一体何を見ているんだ? αの上位の存在、『稀少種』 絶対数が圧倒的に少なく、普段の生活をしていれば出会う機会はまずない。そのため稀少種がどういった存在なのか詳しく知る者は誰もいない。なので俺らには藤代さんだけが全ての稀少種の象徴なのだ。 彼の類まれなる身体能力と多分野に渡る広い知識、秀でた容姿と人目を惹く大らかなオーラ。それらの見た者を虜にしてしまうカリスマ的な存在感が、なるほどこれがαの上位種、稀少種かと皆に印象付けている。 頭が良くてスポーツが出来て優しくて。そんな人格者が稀少種なのだと。 しかし、果たして俺たちが見ているその姿だけが全てだろうか。 αの上位種とはα‬の頂点で、つまり全てにおける性種の頂点を意味する。その神のような存在が、αですらないβとΩの俺たちに掴めるのか?複雑計算を瞬時にする思考回路と桁外れの能力を秘めている彼らが、もし本当の姿を隠していたとしたら、果たして俺たちにそれを知る術はあるのか? もしかしたら俺たちβやΩといった一般人、いやαですら稀少種の本当の姿を知らないのではないのだろうか── 今日、俺たちは藤代さんの<普段の様子>を知りたくて、住まいを不意打ちで訪れたんだ。彼には何かを隠す時間も手段もなかったから、普段の様子を見ている筈だった。 管理人さんに怪しまれることなくマンションに入れてもらい、驚く藤代さんに嫌がられることなく部屋に上げてもらって覗いた日常。しかし俺たちが見た彼の生活は、果たしてどこまでが本物だったんだ? 誰かが覗く事を前提に広げられたノートとパソコン。そこに書かれていた本来なら人目に触れない筈だった重大な情報の数々。 パソコンで見た履歴の写真、あれは、横領と若手アイドル達への暴行で逮捕された、タレント議員のスクープ写真だった。逮捕された一昨日から今も連日報道が続いているから間違いない。 だがさっき俺たちが見たのは一週間前のパソコンの履歴で、つまり逮捕よりずっと以前に撮られていたものだ。しかも画面の端には新興宗教の幹部と大手輸入会社のCEOも写っていた。綾音ん家の情報によると、そのCEOは海外と武器の売買を行っている武器職人の噂がある。そんな奴と一緒にいるなんて……本当にヤバいのはその二人との繋がりだが、テレビではそれは一切公表されていない。 つまり、あの時俺たちが見た写真は、スキャンダルに隠されたそいつが逮捕された本当の理由で、この事件の核心だ。 本当なら他の国も巻き込んだテロに発展する恐れのあった事件だったのだ……世間が知らされたのは氷山の一角だった。 あれを見せられてその事に気付く人間はどれだけいただろう。 たまたま俺が見て理解したノートの分子式は、淳也と綾音には分からなかった。俺が見て分からなかった数字の羅列は、淳也にとっては重要なものだったに違いない。 さりげなさを装って巧妙にばら蒔かれたエサの数々。それに喰いついた人間の反応を観察していた藤代さん。 それらは、あたかも お前達はこれがどこまで分かるのかと問われ続け、自分がどういう人間であるかの選別を受けていたようで、なんとも不気味で胸糞が悪い。 あの人の存在をどう捉えればいいんだ?大学で見せる優しい顔ははたして本物なのか?

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