4 / 7

第4話

 体を震わせる思いに胸が締めつけられる。狂おしい記憶がさざ波のように肌を滑り、震えがさらに増して行く。イサイはたまらず、日の温もりを求め、自らの瞳と同じ色の碧空を見上げた。鬱蒼とした森に射し込む光は僅かで、木々の隙間に望める空は遥か遠く、少しも慰めとはならない。劣情に苛まれた記憶は癒されず、寒々とした感情の震えに身を委ねるしかなかった。 「イサイ様……」  その声が誰のものなのか、咄嗟には気付けなかった。従者の声だと理解した時、体の震えが瞬時に止まった。記憶が織り成した暗色の意識に、色彩が戻って来る。イサイは今のこの時に、自分の身に何が起きていたかを思い出した。気晴らしに出掛けた遠乗りで、従者一人を残して他の者達とはぐれ、森の奥深くに迷い込んでいたのだった。 「あちらに煙が見えます」  イサイは従者の言葉に頷き、手綱を軽く引き、のろのろと歩んでいた馬を立ち止まらせた。森に宿る妖(あやかし)に惑わされたのだろう。不可思議な寒気はまだ少し感じられるが、従者が指し示した煙の細く棚引く姿に安堵する。幻ではなく、現実的な暮らしを匂わせるものに、イサイはほっと息を吐き出していた。 「あの煙は人家からのもののようだな」 「はい。ですが、気付かぬうちに敵方の領地に近寄り過ぎているやもしれません、イサイ様はここでお待ちを。わたくし一人で様子を窺って参ります」  従者は言うや否や、煙の方角に馬を駆り、木々のあいだを通り抜け、瞬く間に森の中へとその姿を消していた。あとに一人残されたイサイは、従者もまた森が見せた幻影であるかのように感じた。体にまとった深紅のマントをきつく握り締め、震えを呼び覚ますような感覚を捨て去ろうとした。その時だった。ふと目の端に、煌く何かを捉えた。 「あれは……?」  不意に芽吹いた光を確かめようと、馬の腹を軽く蹴ってそちらへと進めさせた。いななく馬を宥めつつ、そろそろと近付いた。突如、警告のような強風に頬を打たれ、恐怖に肌が粟立つが、それでも光に魅了されたイサイは、風に逆らい、先へと進んだ。 「この場から立ち去れというのか?それならば、何故に私に光を見せる?」  そう呟いた次の瞬間、イサイが目にしたものは、粛々とした森の主(ぬし)を思わせる巨樹だった。地面に深く根を張り、周囲を圧するようにゆったりと枝葉を広げ、イサイの思いを試すが如くに実を煌かせている。 「まさか、これが?死神の実……なのか?」  イサイは自らの声に導かれるように、馬上から手を伸ばして実を一つもぎ取った。 「知れたことだ」  その実を手にしたからには、すべきことは決まっている。恐れることは何もないと、心の中で続けていた。

ともだちにシェアしよう!