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第5話

「私の願いを叶えてみよ」  イサイは微かな疑いに口の端を歪めたが、手中の実に歯をあて、ひと欠片、かじり取って飲み込んだ。口に広がる甘ったるい味に、この五年、胸に秘めた願いが溶けて行くように感じた。すると突然、静寂を突き破るかのように地鳴りがし、静まり返った森を騒がせる。その振動に地面が激しく揺すられた。  手から実が振り落ちても、イサイはそれを捨ておいた。地の底から響くような恐ろしげな音に怯え、蹄を打ち鳴らす馬の首を優しくさすり、得体の知れないものへの恐れを宥めてやった。 「落ち着け、心配ない」  甲高い馬の鳴き声にあるものは、恐怖だけではないようだった。迫り来る何かへの威嚇を感じさせる。そう思う間にも、辺りは霧に包まれ、森に迷い込んだ時以上の冷気がゆるゆると漂い始めた。 「私の願いは聞き届けられたのだろうか……」  寒さに震える白い息が、自嘲気味に吐き出される。イサイは森の妖に踊らされただけのようだと思った。耳に小さく響く声さえ、気の迷いが聞かせるものでしかないのだろう。しかし、その声が大きくなるに従い、疑いようのない懐かしさに、荒れ狂う熱が体中に溢れ出る。 「イ……サイ……イサイっ!」  声を頼りに振り向くと、霧を背後に、軍馬に跨る勇壮な甲冑姿を見る。それは忘れもしない、イサイがナグロに手向けた死に装束だった。 「ナグロなのか?」  イサイの声に答えるように、馬上の勇士は兜を脱ぎ捨て、鎖帷子のフードを引き下げ、記憶にある猛々しい顔をイサイの目にさらした。全速力で馬を走らせ、こちらへと向って来るその様子に、イサイもまた深紅のマントを翻して馬を走らせた。 「ナグロ!」  イサイが手を伸ばすと、ナグロは片手でイサイを抱き上げ、少年から大人へと成長した五年の月日を物ともせずに、軽々と自分の馬に乗せていた。馬の前足が空中高く伸び上がる程に強く手綱を引き、疾走する馬を無理やりその場に立ち止まらせる。そのまま馬上でひしと抱き合い、欲望をぶつけ合うように口づけを何度も交わした。 「ああ、これは夢だ」  ナグロは熱に浮かされたように言い、その唇をイサイの熱く火照る頬に滑らせた。 「大人になったあなたに触れるなど、死したこの身に許されはしない」  ナグロはひと時の夢に歓喜し、美しく成長したイサイの凛然とした姿に目を細めていた。儚く消える夢と思いながらも、至福の時を愛でる幸せがそこにはあった。それが逆にイサイを厳然とした現実へと導いた。イサイは首を横に振り、ゆっくりとナグロから身を引き剥がし、悲しげに答えた。 「夢ではない。願いをかけた、死神の実に……」 「なっ!」  ナグロの漆黒の瞳が赤みを帯びる。その目には、自らがなしたことへの激しい悔恨の情が映し出されていた。

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