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第5話
霧原に導かれるまま、車に乗り込んでしまってから紡は慌てた。
「あ!き、霧原さん、俺、仕事場から帰ったまんまのかっこだった……あの、汚しちゃう!」
今更気づいたのだが、霧原の車はひどく高級そうで、シートも柔らかい革張りだ。
「なに気にしてんの。大丈夫だよ」
「で、でも……油が……靴だって汚いし」
「工場のかい?」
霧原が痛ましげな表情で紡を見て言った。
「はい……」
「頑張ってるんだね……ほんとに気にしないで。でもそうだな……ちょっとどこかで着替えようか」
霧原は言って車を出した。
着替え……?ぽかんとした紡を乗せた車はそのまますぐ近くのホテルの地下駐車場へと滑り込んだ。霧原は紡を連れて部屋を取り、そこの風呂を使うように言った。
「終わったらここでちょっと待ってて」
バスルームの中にいる紡に霧原が声を掛ける。紡ははいと返事し、霧原の意図がよくわからないまま風呂に入った。
体を洗い終わって出てくると、部屋に霧原の姿はなかった――着ていた作業着もない。困った紡は仕方なくホテルのバスローブを羽織って霧原を待った。ちょっと待っててと言っていたから――きっとすぐ戻ってくるのだろう。
思ったとおり霧原はじき帰ってきた。紙袋を手にしている。
「これあげるから、着て」
「え!?」
紡は驚いて声を上げた。霧原が手にしているのはブランドのものらしい紙袋で――まさか自分に服を買ってきてくれたのだろうか?
「僕の趣味で見繕ったから好みかどうかわからないけど――」
霧原は言いながら袋を開ける。中には綺麗な色のシャツと、それに合わせたらしいパンツが入れられていた。
「そっ、そんな!もらえないです!」
「裸でいるわけにいかないだろ……それじゃ食事にも行けやしない。君の作業服はコインランドリーで洗ってるから。下着も放り込んじゃったからね」
「そんなあ……霧原さん……」
「だから全部ちゃんと買ってあるよ、安心して。ほら」
霧原は紡の側に来ると、ローブの帯を解きさっと脱がせてしまった。
「え!あ、あの……」
裸にされ戸惑って声を上げた紡に、パッケージから出した下着を渡す。
「いつまでも遠慮してるからだよ。はい、履いて」
慌てて下着に足を突っ込み引き上げている紡を、霧原はしげしげと眺めている。紡は思わず赤くなった。
「な、なんです?」
「……思っていたとおりだ……前より痩せたじゃないか。仕事きついんだろ?」
言いながら霧原は急に手を伸ばすと、紡の左腕を掴んでぐいと引き寄せた。はずみで紡は霧原の胸に倒れ込む形になってしまい、驚いて叫んだ。
「わ!なに?え!?」
霧原は腕を掴んだまま、間近で紡の右肩あたりを見て顔を顰めている。
「これはどうしたんだ?誰かにやられたんじゃないだろうね?」
そこには大きめの青痣が広がっていた。
「あ、違います……ちょっと……仕事中機械に当たっちゃって」
「ひどいな……まだ痛むんじゃないか?ちゃんと手当は受けたのかい?」
「い、いえ。だって、俺のドジだし」
「だめじゃないか……手だってこんなに荒れて……何かきつい溶剤扱ってるんだろ。作業続きで治る間がないんじゃないのか?可哀相に……」
霧原にそっと手を取ってさすられ、可哀相にと言われた途端……我知らず紡の目に涙が溢れてきた。
「霧原さ……俺……」
言葉が出ない。両親が亡くなってから――こんな風に紡をいたわってくれた人はいなかった。霧原は泣き出した紡を両腕で包むように抱いた。
「可哀相に……ずっと辛かったんだろう……我慢しなくていいんだ。君は……こんなに頑張ってる。偉いよ……」
霧原の胸に取り縋って泣き出した紡の身体を彼はローブでくるみ、またしっかりと抱いてくれた。
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