31 / 59

第28話

守にはああ言ったが、やはり紡は、弟に高校までは出て欲しいと考えていた。それに、できれば今通っている中学の付属の高校に進んで欲しい……そうすれば受験の心配もないし、守が今夢中になっている空手と、その部活動――そこでできた親友たちも同じく付属高校へ行くはずだから、彼らと一緒にいることもできる。 霧原の家を出ようと言う弟の言葉は心強かった。弟は、今の贅沢な暮らしを紡のためにならあっさり捨てられるというのだ。その気持が本当に嬉しい。それと同じくらい強い愛情を、紡は弟に感じていた――幸せにしてやりたい。 お金が――弟の学費をまかなえるくらいのお金さえあれば―― ある日紡は、例の金持ちの友人――ヨシヒロが嫌な奴、と評していたという――彼に招かれて家まで行った。その生徒は、電車で暫く行った街に住んでいた。 相変わらずの友人の自慢話に付き合い、勉強をしてから紡は彼の家を出た。バスに乗って最寄り駅まで戻る――駅の周囲は友人の家のあった瀟洒なエリアとは雰囲気がかなり違っていた。古びた外壁のビルが立ち並ぶ裏に、小さな個人商店や家がごちゃごちゃと建て込み、その隙間を縫うように狭い路地が続いて――その雰囲気は、紡の両親の工場(こうば)があった町によく似ていた。 霧原や、今しがた訪ねた友人の住む高級住宅街――真っ直ぐな道に沿って見事に整えられた庭木が続き、その奥には豪邸がそびえ建っているような――そんな場所とは別世界に思える。路上には空き缶が転がって吸い殻なんかも投げ捨ててあり、電柱には怪しげなチラシが何枚も貼り付けられ……きっと霧原なら、顔をしかめることだろう。だが紡には……そういった情景がひどく懐かしく感じられた。 それらを眺めながら思わず路地に足を踏み入れた紡の目に、ふと、道に出されている看板に書かれた学生ローン、と言う文字が飛び込んできた。 見上げると、それは薄汚れて怪しげな雑居ビルの三階部分の窓ガラスにも書かれている。紡は自分でも気づかないうち、引き寄せられるようにそのビルの狭い階段を上がり始めていた。 三階まで行き、そこの踊り場の脇にある営業中と書かれた札の下がるドアをそっと開けてみた。中は簡素な会社事務所のようになっていて、正面にある窓の前に置かれた事務机に、ガッシリとした体格の強面の男が一人、書類をめくりながらタバコをくゆらせていた。 紡がドアノブを握ったまま入り口に突っ立っていると、男が気付き、片眉を上げて紡を見た。 「あー、ゲーム屋かい?だったらな、もう一こ上だよ……」 彼は怖い見かけからは思いがけず優しい声で言う。紡は一瞬なんと言ったものか迷って固まっていたのだが、男の声にハっと気を取り直すと首を振り 「い、いえ、すみません、ゲームじゃなくて……あの、学生ローンて……高校生でも借りられるんですか?お金……」 と尋ねた。

ともだちにシェアしよう!